初フルマラソン!東京マラソン2018でサブ4を達成したの巻
35歳になりました。15歳からブログ(当時はまだブログなんて言葉はなかったけど)を書き始めてもう20年。こうしてテキストを書いている気分は当時とそんな変わらないけど立派なおっさんです。
そんな35歳での初挑戦。東京マラソン2018で初のフルマラソンを走りました!終盤はしんどかったけど一回も歩くことなく、目標にしていたネットタイム4時間切りを達成する3時間54分!楽しみにしていたイベントだったし結構ちゃんと練習を積んだので、そういったことも振り返ろうと思います。
東京マラソン、とにかく楽しかった。
東京に住んで約15年。歩いたり自転車乗ったり時にはタクシー乗ったり――この街の色んな場所・道を沢山通ってきて。知っている景色を自分含めてランナーが独り占めするように走ってゆく光景は本当に楽しかった。新宿歌舞伎町、靖国通り、中央通りの神田〜三越前〜日本橋〜高島屋の風景、水天宮、浅草、清澄庭園とその横の店舗建築群、門前仲町・永代通り、銀座〜日比谷公園、そしてあんなに辛いと思わなかった日比谷通りの折り返し、ブリックスクエア、東京駅…。
知っている景色だからこそ、「ああ、楽しいなあ」と平気な気持ちで居られたり、最後は知っている景色だからこそ「まだ三田だよ……」「内幸町から日比谷公園ってこんな遠いっけ……」とか思ったりした(笑)
そして沿道からの応援。ジュビロマラソンって沿道の人達とハイタッチしながら走るじゃないですか。東京はそういうのは無さそうと勝手に思い込んでいたけど(やっぱ田舎と比べて危険ってお互い思うじゃない?(笑))、もーほんとに沿道の声援が暖かくてハイタッチも多くの人たちがしてくれて。あれほんとに元気付けられる。一番ペースが上がっていた15〜30kmの区間が一番ハイタッチしていた気がするぐらい。
そして今回着ていたジュビロユニを見て、多くの人が「ジュビロ頑張れー!」と声援をくれた。すごく元気をもらえたし頑張れたし楽しかった。多くのJリーグユニの人が走っていて、自分も走りながら「♪新潟レッツゴー」とか「♪イェイェイェイェイイェイイェイェイェイェイ石川ナ〜オ〜」とか他サポに声を掛けながら(笑)他サポ応援するのも楽しい。それはフジロックでのJリーグ苗場支部もだけど、さすがに東京マラソンはそれと比べても色んなクラブの人が居たなー!
東京マラソンJユニ
— ふっちー@3.11古河はなもも (@runfullnet) 2018年2月25日
札幌、秋田、山形、仙台、鹿島、水戸、福島、いわき、柏、千葉、浦和、大宮、FC東京、東京V、町田、横浜FM、横浜FC、川崎、湘南、群馬、甲府、松本、新潟、清水、磐田、名古屋、岐阜、京都、G大阪、C大阪、神戸、岡山、広島、徳島、愛媛、山口、福岡、大分、長崎、佐賀、鹿児島
目標をサブ4に設定。レースまでの準備について。
過去3度ハーフマラソンを走ってます。一昨年のレースはこの時↓。
romitou.hateblo.jp「サブ4」という言葉は知っていたし、今までのアベレージが1時間50分ぐらいだからその×2と考えれば(後半バテることを加味しても)決してムチャな目標設定じゃないとは思っていた。友人の「いけるよ!」という後押しもあり。普段からフットサルをやっているので走りでスピード感を出すのはそんなに苦ではない。それを踏まえて、走ると決まってから当日までの約2ヶ月間で大きかったなーと思うことはやっぱ「練習」と「シューズ」。色々人と話しててもググっても「30kmからは自分が思った以上に(足へのダメージで)足が止まる」ということだったので、それを克服するのが大きなテーマだった。
●シューズの効果は大きい
今までのハーフは、古着屋で買った軽い靴で走った。今思えばなんて適当(笑)底の厚さから考えるとあれは短距離用だったんじゃないか…だから速いタイムは出たけど翌日のダメージが半端なかった。ハーフ以上の距離であれは絶対もたないし、実際練習でも10km走ると翌日多少痛さが残るぐらいだった。
てことで今回はちゃんと「サブ4向け」の新品シューズを買った。asicsと迷って、new balanceの靴を選択。サイズ感や機能性――もだけど色やセール価格というのも大きかったです(笑)
[ニューバランス] ランニングシューズ M1500(旧モデル) BW3ブルー/ホワイト 27.0 2E
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●今までで一番ちゃんと練習した。
で、当たり前だけど練習。やっぱ不安だった分ちゃんと練習しました。夜寒いとか帰りが遅いとかあっても、この2ヶ月は少なくとも2日に1回は走るように心がけた(雪積もった時は3日間走れなかったりしたけど)。マラソンと違って接触プレーのある(多少なりとも怪我の可能性が上がる)フットサルやバスケも1、2月はなるべく控えた。
- 最初の一ヶ月はペースを考えず、とりあえず少しずつ距離を伸ばしていった。それこそ5kmから始まり(最初はこれでも疲れた)、井の頭公園を1周ずつ増やす感じで、7kmを数回、9kmを数回、10kmを数回、12kmを数回…という感じで。
- 距離に慣れた後はペースを考えての練習。サブ4を走るにはキロ5:40ペースで走り続ける必要がある――けど、色々記事を読むと「前半は人が詰まってペースが上がらない、後半は絶対足が止まるので、キロ5:40と思わずに5:30で走り続ける必要がある。なので練習では5:20のペースで刻むつもりで」というのが幾つかあったので、それを実践。
- 幸いにもフツーに抑えて走っていても大体5:30ぐらいで走っていたので、ちょっと気分が乗っている(もしくは苛立っていた時w)はキロ5分で走ったりしてた。勿論バテるけど数年前は10kmを45分で走ってるからね…我ながら飛ばしてたなあ…。
- 距離への不安を払拭するには長い距離も走らねば…とも思っていたけど、「長距離走ってダメージ残すよりは、2日続けて練習を」みたいなのもあったので、今回事前に走った最長距離は25km(1ヶ月前)。この時は最後足に来たけど、2周前に20km走った時にキロ5:30でいけた(そしてダメージも残らなかった)ので、この時にはもう「サブ4は現実的に狙える目標」だとは思っていました。
- こうした練習を経て、体重も5kg近く落ちて(←食事じゃなく運動で落とした数字として)、30代前半の頃の体重に戻ったので物理的にも身体が軽くなった。
- 最後の1週間はそんなに走らず、他のトレーニングでも「走りより歩きで疲れを抜いておく」みたいなことは意識しつつ、当日までのメンタル的な紆余曲折はあったけど足は仕上がっていた、と思う。
レース振り返り。
ラップタイムを見ながら振り返る。まず目標のサブ4を本当に達成できたことについては。この日はトップ選手が日本記録(設楽選手)と歴代4位(井上選手)という記録を出したように、走りやすいコンディションだったのは一般ランナーでも同じだった。暑くもなく寒すぎず、風も弱く、コースもアップダウンが無い。多分今回の自分の記録は、生涯の自己ベストになると思う(笑)
思っていた以上にアップダウンが無かった。橋ぐらい?清澄白河と芝公園あたりの。普段練習コースが井の頭公園に出入りする坂だったり天文台通りの坂だったりしたので、ちょっとの坂でキツくなることはなかった――けどあの橋レベルの坂でも歩き始めてた人も居たので、練習コースが良かったんだとは思う。
▼序盤
- 今回は初マラソンなので、目標タイムからするとかなり後ろのブロックからのスタート。この記事「東京マラソン:ブロック別のタイム」を参考にすると5時間30分設定のスタート位置。なので終始人を抜いていくような展開。
- 人を抜いていく時どうしても左右にステップをしながらくねくねと走っていく感じになる。まあそれ含めて楽しいレースなんだけど、調子乗って右往左往し過ぎるとあれは絶対足に来るなー(今回来たなー)と思った。
- しかも序盤は余裕あるので上に載せたようにJリーグユニを見掛けたら後ろから写真撮ってた。
▼中盤
- 15〜30までのペースと比べて15kmまでのペースが上がっていないのはそういう人が多かったという所――だけど練習から思っていたこととして、10kmまでより意外とその後の方が足がほぐれて自然とペースが上がるので、15〜30kmまでの記録が良いのはそういうところもある。
- 補給食としてのゼリー、緊急用のドリンク(パック)も買ってあったけど、想像以上に給水コーナー、給食コーナーがあったのでその辺の補給も順調にいってた。私設のエイドさんのお世話になったのは、普通に食べたいと思ったカツサンドぐらいか…東日本橋辺りでいただいたカツサンド美味しかったです!!!ごちそうさまでした!!!
10kmを過ぎた辺り?でトップランナーとすれ違い、ハーフ辺りで「設楽日本記録出したよ!みんなも頑張れ!」という声援があった。いやーすげーよねーー。それでもあれ以上の人たちが五輪ではメダル取る訳じゃん。すごいよねーーー。
結果出ないと「惨敗」とか言われたりして批判の的になったりするけど、出るだけで神レベルだし、その中で入賞できてもできなくても神だし、金候補が銀や銅に終わっても神なんだよね……なんか批判的な目でスポーツ見ないようにしよーって常々思う。褒めて伸びるタイプの方が多い気もするし。
という感じで中盤は極めて順調。銀座での30km時点でツイートするぐらい順調。足にもまだそんなに来てなかった。
▼終盤
- 30kmではまだ足に余裕があると思っていた――けど、内幸町過ぎて32kmの給水所辺りからがどんどん足が重くなっていった…こんなに足が重くなるとは…!内幸町の付近までは「頑張れ〜!そだね〜!」って言っている人に「ナイッスー!」とか返してる余裕があったんだけど(笑)
- もうほんと、三田から泉岳寺ってこんな遠いっけ!?
この付近が一番しんどくって、道路脇にエアーサロンパスブースがあって立ち寄っている人が多かったから惹かれたけど――いやここで止まったらもう走れん…と思って走り続けた。 - 結果的には足がしんどかった30-35を5:30でいけてたのだから、頑張ったというか、練習の成果。
- 35km以降はもうほんと……「歩いたら少しラクになるかも、いやでももうまた走り出せない気がする」という気持ちとの戦い。
37km付近に友人が居て、そしてJリーグのチャントやコールをしてくれる人が居て、気持ち的には持ち直して――不思議と38kmぐらいからの1kmは足が軽くなったのだけど、39kmからはまた辛くなって…いや、息はまだもってるんだけどこれでペース上げたらつるな、って感覚があって…… - といった風に、1km刻みで書いてしまうほど終盤の1kmは長かった(笑)
- 中盤はあんなにハイタッチしたのに、もう今したら腕持ってかれて足つる…と思いながら最後は走っていた。本当はね、折り返した後の日比谷通りも丸の内もハイタッチしながら走れたらもっと楽しかっただろうなー!
- そして最後の丸の内の石畳、あれ地味に足に来る!普通のコンクリートと比べて不安定だから。もうペース上げるのムリ、せめて足つらずに完走を!と思いながら、無事完走。やりとげたー!
- 結果的に最後35-40の5kmはキロ5:45、ラスト2kmはキロ6分掛かっていたけど、逆に言うと落ちてもここまでで済んだから目標に届いた。「終盤にスパート」という作戦を頼りにしてたらキツかったな。そんな足残ってなかった…。
で、タイムについて。ここで失敗というか反省点。レーススタート時の「スタートまでのタイムロス」を把握できてなかった。上の方でリンクしたやつだと約15分という統計があるけど、今回どうだったかをスタート時に見るのを忘れていた。
その上、ラップの取り方を途中で間違えてしまって。15〜30kmまで5:30前後で刻めていたのは分かっていたけど、「4時間まで、あと何分ある」という逆算ができていない状況だった。
だから「よくわかんないけど止まると目標を達成できないかも」という状況にあって最後まで一度も止まらなかったので――結果目標を5分も上回ることができた。とりあえず「多分、ロスタイムは10分ぐらい」と思ったので、4時間10分以内のゴールを……と40km過ぎの最後ちょっとだけ頑張ったのはあるけど、まさかこんなに目標を上回ってるとは思わなかった!逆算できてたらしんどい終盤途中で止まったかもしれないなあ――と思うと、まあ「それ(わからないこと)で頑張れたのならよい」のかもだけど。
レース後は足の重さがすごい、、、一番不安だった膝へのダメージはなんとなく想定内?ぐらいだけど(シューズ効果!)、足裏に来てるー。この足の筋肉痛、何日で取れるかなー。
初めてのフルマラソンについての感想
総括。タイムのことで言うと前述の通り今回は調整も上手くいっていた(そういえばトイレも行かずに済んだ!)、レースコンディションも良かった。なので今後自己ベスト更新するのは大変だと思う。
ただ今回の記録によってスタートが前目のブロックになって、同じペースの人と走れればペースが上がらない時間のロス、右往左往したり抜くために軽いスプリントを何度もする体力のロスがなくなって記録が上がるかも――とも思うし、そう思ってたら入りがハイペースになって後半バテるのかもしれない。多くの人を抜いていくのはその楽しさもあるけど――とかまあ色々思うことはありつつ。でも毎回思っているけど、多少のロスになってもハイタッチするのは楽しいし、走りながら多少の景色を撮ったりはしたい。
で、ここ2ヶ月半ぐらい走る習慣ができて良かったこと。
- ① 痩せた。お腹周りや輪郭に表れている。元々フットサルやってても最近は体重落ちづらくなっていたのに、、、長い時間走り続けることに効果があるのかな。あと誰かが寒い冬の運動の方がダイエット効果があると言っていた。
- ② 体重も落ちたので最近はフットサルも身体が軽くて楽しい(別に巧くなってる訳ではないけど!)
- ③ あと朝駅まで走るのも楽になった。(笑)
- ④ 食事に以前より多少気を使うようになった。別に自炊とかに凝り始めたわけではないけど…、食べるリズムとか、脂っぽいもの(大好きなカツ丼とラーメン)の割合が減って野菜が増えた。
- ⑤ 音楽をちゃんと聴く時間が出来た。最近は昔と違って移動中に音楽を聴かなくても平気だったりするようになったんだけど――走ってる最中は「そういえばちゃんと聴いてなかったアルバム」を聴いたり。それはすごく有意義だなと思った。
「走ってる最中にアイデアが思いついたりする」ーーという所には至らなかったけど、総合的に走る習慣が出来たのは良かった(寒い時間に走るのも慣れた)。レースの予定は無いけどこの習慣は続けたいし、フットサルのこと考えるとも少しインターバル走を取り入れてもいいかもと思ったり。
という感じで初のフルマラソン、本当に楽しかったー!また走りたいし来年もエントリしよう。倍率が高く走るのが難しい東京マラソンじゃなくても、別の地域のフルマラソンも走りたいな。あとは今年はまたジュビロマラソンに出られたらと…。沿道で声を掛けてくれた方々、応援に来てくれた友人、レース前に色んなアドバイスをくれた友人に感謝!
※12月の庭園巡りエントリから急にリアルタイムの記事投稿になりましたが。まだしばらく昨秋や昨冬のエントリが続きますよ、、、
秋の庭園巡り・鹿児島編③。知覧〜枕崎編。知覧麓武家屋敷庭園群と重伝建地区の町並み、知覧特攻平和会館庭園、日本最南端の駅・枕崎駅…など
秋の庭園巡りファイナル!鹿児島編その3。志布志と同じく武家屋敷街の古い町並み群の残る知覧を約5年ぶりに再訪。前回の鹿児島県鹿児島市編は↓。
romitou.hateblo.jpromitou.hateblo.jp知覧へのアクセスは鹿児島中央駅からの路線バス(1〜2時間に1本)、そのバスが経由する指宿枕崎線・平川駅(知覧からは一応は最寄り駅。歩ける距離ではないけど)でタイミング良く乗車できるとそれが一番スムーズなのだけど……タイミングが合わなさそうだったので、平川駅の先にある喜入駅からの路線バスにしました。この喜入駅からのバスは指宿⇒知覧という路線。
知覧麓武家屋敷の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)
重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている「薩摩の小京都」知覧。その武家屋敷群にはそれぞれ江戸時代に造られた庭園が残ります。
それにしてもお昼頃から鹿児島で降り出した雨がどんどん強くなっていく…そんな中での散策。どの写真も暗くなってしまって悔しいので次行く時はそこそこの好天がいいなあ…。
平山克己氏庭園
平山克己氏庭園はやはり鋭い石組みを主峰とし、大刈込や借景に母ケ岳が見所の庭園。大雨の日に訪れたので借景が見えづらいのが残念…というかもうこの頃には池泉式庭園になるかのような土砂降りだった…。
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旧高城家庭園
旧高城家住宅は「知覧型二ッ屋」と呼ばれる茅葺きの武家屋敷。国名勝「知覧麓庭園」には含まれていませんが、刈込み主体とした枯山水庭園があります。また併設されている「高城庵」では郷土料理をいただくこともできます。
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知覧型二ツ家民家
大雨の中巡った武家屋敷街を後にして、今回のもう一つの目的。知覧特攻平和会館を目指します。知覧の現在のメインストリート、前回来た時は何も思わなかったけど、今回はこういった地方の商店街っていいなあ、と思った――昔はこのメインストリートも栄えていたんだろうなあ。
知覧特攻平和会館
「知覧武家屋敷」から約2kmの場所にある公園。第二次世界大戦中に陸軍の飛行場(知覧特攻基地)が置かれていた場所で、航空機で敵に体当たりする「特攻作戦」を主体として行う部隊が編成され多くの犠牲を生んだことから、それを語り継ぐための資料館「知覧特攻平和会館」を中心とした公園となっています。
この公園の入口にある枯山水庭園が実はかなりクオリティが高く気になっていたので、サイトでそちらを紹介したくて訪れました。情報が無いのでもう少し詳しく知りたい…ただ枯山水庭園群が見所の街らしい、こちらも素晴らしい枯山水!
oniwa.gardenこの特攻平和会館の近くに「知覧温泉センター」という施設がある。なんと350円で温泉に浸かれます。地元の方々で超賑わってた。大雨の中急ぎ足で2kmの道のりを移動したので(上り坂含む)、雨だか汗だかわからない身体を一旦温める……けどバスの時間が迫っていたので20分ぐらいしか居られず。
知覧〜枕崎線
今回の旅行を計画していた段階で鹿児島の地図を見ていて、半島の中央・知覧と半島の最南部・枕崎が県道で一本で繋がっていることに気付いた。「路線バスとかあったりしないかなー」と思って調べたら、あった!本土最南端の市・枕崎もいつか行きたいなと思っていたけど、JRで来た道を往復というのも何か味気ないのでこれはいい。これは是非乗りたい!
てことで、特攻観音前バス停から乗車し、終点の枕崎まで約40分で移動。知覧は「知覧茶」が有名でもあるのですが、たしかに道中は茶畑だらけ。
ところでこのバス路線、見つけたのはいいものの道中乗っていたのは自分だけだった…。平日は4往復、土日は2往復のみ。その2往復のうち1本が乗客自分だけ……いつまで維持されるのやら(自分みたいな趣向の人からしたら #ええ路線 案件なんだけどなー)。この夕方の便も平日は学生とかが乗るのかなあ。
日本最南端・枕崎駅
というわけで、日本最南端のJR駅・枕崎駅へ到達しました!最西のたびら平戸口、最北の稚内駅はすでに到達済なので、これであとは最東・根室を残すのみ!
最北・稚内に行った時のエントリは↓。懐かしい。
romitou.hateblo.jp
枕崎の町並み
到着時間も夕方。何が見られるわけでもないけど電車の時間まで1時間半ぐらいあるのでとりあえず町を歩いてみる。駅前にはおしゃなレストランや銭湯もあり。時間をつぶす(そう考えるのもよくないけど)には十分だなーと。スーパーがあるから食料の調達にも便利。
しかし風が強い……あとは天気が良ければ(冬至直後だけど、日本の中ではかなり南西に位置してるので)17時台でも明るかったろうになあ。駅から徒歩20分ぐらいの場所にある「明治蔵」というところまで歩いたけど暗くて何がなにやら。
枕崎市文化資料センター「南溟館」
枕崎駅から徒歩5分ぐらいの場所にある芸術施設。もう閉館時間だったので外観のみ…ここに辿り着くまでも「最南の街」らしく風がめっちゃくちゃ強くて、ちょっと心折れそうになりながら。
枕崎市は「アートを通したまちづくり」を掲げているそうで、実際街の至る所に野外彫刻作品があって。「青空美術館」と名付けているそうです。いわゆる現代アートで盛り上がる――みたいな感じではないけど、なんかこういう街の特色はいいなあと思いながら歩いた。
青空美術館マップ - 枕崎市ホームページ
https://www.city.makurazaki.lg.jp/site/history/436.html
風の芸術展~トリエンナーレまくらざき - 枕崎市ホームページ
https://www.city.makurazaki.lg.jp/site/history/440.html
そして指宿枕崎線で鹿児島方面へ戻る。枕崎から鹿児島中央駅まで2時間強なので、最南を達成するのもなかなかラクではない…。難読駅名と今回の西日本の旅で唯一食べた駅弁。
帰路!
…ということでエントリアップし終わるまで大変時間の掛かった秋の庭園巡りもようやく終了。
ところで。志布志から空港行きのバスに乗る時、3人ぐらいで並んでたんだけど、そのうちの1人がキャリーバッグ引いた若い女性。バスが来るまでお母さんらしい人が一緒に居て「気をつけて」「何かあったら連絡してね」と話していて。フツーに親子なのかなー冬休みを利用して東京にでも遊びに行くんかなーと思っていた。
約2時間掛かって鹿児島空港に到着。チェックイン機を操作していたら、隣の機械を操作していたその女の子が話し掛けてきた。
「コレ、読メナイ。ドウシタライイ」
なんと。現地の高校生じゃなく(おそらく中国系の)外国人の方だった。
「英語は?読める?」
「ヨメナイ」
結局一緒に操作してあげたんだけど。
志布志に…ホームステイ…?いやいや…留学制度で現地で働いているのか…それとももっと夜方面の仕事なのか…となるとさっきの「優しい田舎のお母さん」みたいな人も実はやり手のママだったりとか…そんな想像を働かせつつ。
きっと里帰りだったんだろうけど――とにかく今回の九州の旅は「意外な場所」も含め訪日外国人を多く見掛けた。佐伯のスーパーでご飯買って1日3本の日豊本線鈍行で延岡方面へ抜ける人とか。
すごいな。グローバルだ。グローバルだけど、日本人の若者が本当に減っているんだな。――あんまり政治的なこと、宗教・人種的なことは書きたくないというか(宗教でいったらめっちゃお寺や神社は行ってるけど(笑))、右も左もないんですけど――今は本当に多くの訪日外国人の人達に支えてもらっていると思う。時々悪いことも起こるけど、それでもこのまま良い感じに共存できたらいいのにね。どうせ日本人は更に減り続けるのだから。
大分から宮崎にかけての山間地帯を通っていて思ったこと。もし日本が人口減に転じていなかったら。こうした山間地が開かれ続けていったのか。いや、結局不便な場所の過疎は進んで、大都市が香港のようなマンション群になっていったのか。後者の方が強い気がする。
そういった地方の風景にセンチメンタリズムに惹かれているから色々足を運んでいるんだけどね。日南市油津の商店街も先日数年ぶりに歩いた。この街にとってはカープの存在がなんだかんだ幸運かもしれない。うまく、長く続いて欲しいなー。
秋の庭園巡り・鹿児島編②。仙巌園(磯庭園)、旧島津氏玉里邸庭園、スタバ仙巌園店をはじめ鹿児島市内の近代建築を巡る。
秋の庭園巡り、鹿児島編その2。前回の鹿児島県志布志編は↓。順番的には志布志の先に鹿児島市内に来ているのですがそれはさておき…。鹿児島市へ来るのも4年ぶりでした。
romitou.hateblo.jpromitou.hateblo.jp2018年の大河ドラマが「西郷どん」ゆえ盛り上げてゆこう感のある鹿児島。この4年の間も毎年ジュビロのキャンプ行きたい行きたいと思い続けていたけどそれはかなわず、結局関係ない時期に来ました。今回巡る仙巌園も島津玉里邸も随分前に行ったものだったので、その再訪が目的です。
ところで最近始まったっぽい鹿児島のシェアサイクル「かごりん」。鹿児島中央駅から繁華街までの距離(歩くには少し距離がある、けどバスぐらい停まると速達性に欠ける、けどタクシー使うには勿体無い)的に、シェアサイクル滅茶苦茶便利だなあ〜。忘年会シーズンということで人で溢れかえっている街の中で、天文台方面から鹿児島中央駅に「かごりん」の小さな自転車で向かう姿を結構多く見掛けた。山雅の選手がPRしているのは謎だけれども。あ、鹿児島ユナイテッド路面も観たよ!
旧島津氏玉里邸庭園
国指定名勝。鹿児島中央駅から3.5km。他の鹿児島市内の観光スポットと違って周遊バスが通っていないので、レンタサイクルで来るには丁度良い距離。仙巌園と同様、薩摩藩主・島津氏の別邸として造られた「玉里邸」。こちらが造られたのは江戸時代後期・島津斉興の時代で、庭園が築庭されたのもこの時期。
現在はその敷地に市立鹿児島女子高等学校が建っていますが、茶室と池泉回遊式庭園からなる「下御庭」が「旧島津氏玉里邸庭園」として一般公開されています。なお高校の敷地内にある「上御庭」は通常非公開ですが、2017年11月、2018年3月に特別公開があったようです…稀に特別公開あり?いつか見たいなあ。
oniwa.garden
仙巌園(磯庭園)
初めて鹿児島へ来た時以来7年ぶりの再訪!比較的近年公開が始まった玉里邸と比べると仙巌園は立派な鹿児島の名所。国指定名勝。薩摩藩主・島津氏の別邸として江戸時代初期に造られた大名庭園で、園内様々な場所から桜島を借景とした絶景が眺められます。
広大な敷地には島津氏が暮らした御殿や複数種類の庭園と茶室、幕末には藩の近代化政策に伴った工場が立ち並んだ名残として、世界文化遺産にも登録された反射炉の跡などもあります。
紅葉が散った後。ほんの少し前まで紅葉だったんだなあ。
oniwa.garden鹿児島市内で見たかった庭園は上記2つ(しかしこんな立派な庭園が2つあるのだから、部下だった武家の庭園も残ってても不思議じゃないよな…今回ノーマークだったけど)。↓これとか。
鹿児島県民教育文化研究所 文化遺産オンライン
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/275153
鹿児島市内の近代建築を巡る。
スターバックスコーヒー 鹿児島仙巌園店
同じく仙巌園のすぐそばにあるスタバは国登録有形文化財「磯珈琲館(旧芹ヶ野島津家金山鉱業事業所)」の洋館を用いた店舗。…そういえば国登録有形文化財スタバ、神戸・弘前・鹿児島と各地巡ってるなあ。
異人館(旧鹿児島紡績所技師館)
同じく仙巌園のすぐそばにある「異人館」。島津氏が藩の近代化のため招いたイギリス人技師が暮らした洋館。江戸時代(末期)に造られたとは思えない、素敵なデザインの洋館!こちらも世界遺産「明治日本の産業革命遺産」にも登録されています。