ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

エコしてるだとか好きだとか

猫です(ぱくり)。普段(?)はどちらかと言えば取材する側だった僕が、“会社の中のエコ・ピープル紹介”的なもので、エコについて取材されました。最初は聞かれたことに答えるだけだと思ってた。けどいざ蓋を開けてみると、初対面の人からカメラを向けられいきなり「喋ってください」みたいな感じだったので、何も考えてなくてしどろもどろ(笑)一体何話せばいいんだ?とも思ったし、カミまくって何度も撮り直すことになり。最終的にもかんだやつでOKになったんだけど、何はともあれ無事終えられてよかった…。

こういうコメント撮りのその場を“見たこと”はあったけど、自分で喋るとその難しさを感じたというか、いきなりカメラ向けられてフリー・トーク出来る人ってやっぱすげえんだな、と思った。(フリートークって馬が居たね、そう言えば。←分かる人はマニアック。←僕だ。)で、この動画はリアルに全世界へ公開されるそうです。終えて後から恥ずかしい気持ちでいっぱいなのだけれど、会社名も出るわけだから…そんなことやっちゃってよかったのか?という気にもなり…まあ…親には連絡しようかなと。あとはこれをきっかけにモテるようになれば(笑)そんな気無いけど。でも取材者の方が木村カエラをエコっぽくした感じ(←?)で癒されました。

で、そんな機会があったものだから改めてなんで僕はエコと認識されるようになったのか?ってことを…振り返ってみようと思ったのです。でも別に、エコがしたくてエコをしてるわけじゃなくて。これ、最近書いることに置き換えると、恋がしたくて恋してるわけではないのですよ(笑)無駄なものを増やさないことも、物をリユース/リサイクルすることも、中古CD(製品)や古着が好きなことも、ゴミをちゃんと分別することも、エアコンを使わないことも、マイバッグやマイ箸類を持つことも、自転車や歩くことを好むことも、結果的にはエコなんだけれど、別にエコだからし始めたわけじゃない…エコというより…経済的な理由じゃないかな?(笑)

マイバッグを持つことは今となってはエコなのだけれど、“レジ袋をもらわない”これは中学か高校の頃にはしていた。たぶん、それが一番最初のエコ的活動だったとは思うのですが、「何故レジ袋をもらわないようになったか?」このきっかけは、実家がスーパー経営だったから。母親に「レジ袋は当たり前のようにもらえるものだけど、お店はお金を出して買っているんだよ。1枚○円ぐらい。だから、要らない時はもらわない」みたいなことを言われて(笑)、「でも、確かに別に要らないよな。すぐ捨てるんだから。」と思って、もらわなくなったのが最初だ。元々部屋はきれいだったから、無駄なものを増やしたくない性格は元々だったのだけれど。

マイバッグマイバッグと思うようになったのは、僕が18の時。一人暮らしし始めて、最寄のスーパーが既にレジ袋有料のところだったから。トートバッグ的なマイバッグを持ち始めるようになったのはその時から。その頃には世の中的にもエコとか環境問題とか言われるようになっていたから、僕の中の“いいことは先にしていたい”みたいな気持ちが掻き立てられていたような記憶はあるんだけど…ちなみにその年、フジロックにオアシスが出演し、「こんなにゴミが落ちていないフェスは世界中どこにもない」的な言葉を残したとか残していないとか。フジロックでゴミが云々で、僕もロック好きだからそこに掻き立てられたところもあったとは思うけど。

物をリユースするのは、最初は完全に経済的な理由と(笑)、あとは…単純に“勿体無い”と思ったからかな?すごくデザインやフォントのかっこいいビニール袋があって…持ち歩きたい、と思わせられたとか、きっとそういうところ。中古CDを探すのが好きだったことや、古着が今好きであることも、別にリサイクルという概念が先にあったんではなくて、“安いから”だよ、単純に(笑。古着に関しては他にも理由があることは以前書いたけど)。エアコン使わないのや省エネタップをちゃんと全部切るのも…経済的な理由だし、車に乗らず自転車にしたり歩いたりしていたのも、経済的な理由もある。(それよりは身体動かしたいとかそういう系だけど。)

エコとクリーンと環境って似て非なるものなのでちょっとここでもごっちゃになってはしまうんだけど、無駄なものを増やしたくないだとか、きれいな場所が好きだとか、根底にあったのはそこだと思う。思えば“ゴミをポイ捨てしない”というところから、エコの流れは始まっている気がするのです…元々僕は真面目だったから(?)、そういうことってしていなかったけど。覚えているのは、確かFC東京が味スタに移転して初年度二年目に、スタジアムクリーンをすごく呼びかけていた。実際FC東京の試合の時はスタジアムがきれいだったような気がするし、実家帰って試合後にゴミだらけのヤマハスタジアムを見た時には、本当にガッカリした(笑)

その頃、「ゴミ拾いが仕事として成り立つから、そういう仕事も生まれてこんな地方の高校生もお金を稼げるわけだから…」みたいなことを書いていた気もするし、(現在の野外フェスもそうだけど)人の厚意やボランティアが体のいい経費削減になってしまうと、それは複雑なんだけど。でもやっぱきれいな場所の方がいいじゃん。スタジアムで出来ないことは、日常でも出来ないと思うし。思えば、その頃は周りのゴミを自分で率先して拾ったりだとか、スタジアムクリーンみたいなものにも参加していた気がする。なんか、クリーンであること…に貢献したい気持ちみたいなのあったもんね。清掃員の仕事が僕の天職なんじゃねえの?と思ったぐらい(笑)

あと前の会社で皆で初詣行って。その時にベテラン社員の喫煙者の人が結構吸殻をポイ捨てしていたのね。まだ携帯灰皿を持つことが(地方の一般層には)広がっていない時期だったと思うから仕方なかったかもしれないけど、ものすごい罪悪感を覚えたことを憶えてるよ。上司が喫煙者だったけどすっごい愚痴った記憶がある(笑)あとは最初に行った朝霧JAM。フェス×環境活動というものに触れたのがその時最初だったのかもしれないけど…でも地元の方たちの意識の高さを裏切るような、大雨でドロドロになった足元への煙草やゴミのポイ捨てがあって。翌年を考えた時に、ちゃんと芝生に戻るのか…?って危機感が起因にもなった。

ap bank fesへのボランティアでの参加もエコというより、クリーンが主軸であって。エコや環境へ興味が広がっていったのはやっぱりその頃からなのかな。衣類の素材や有機の食材というものたちへの広がりは、その前年の朝霧JAMと最初のap bank fesからなのかも。それ以降、カルチャーとしてのエコはすごく好き。なんか、いいじゃん。まとめなんだけど、エコとかそういうのって単純に“なんとなくいいことを日常ですること”だと思う。それは人に優しくするのと同じで――僕は人には優しくないけど(笑)、不特定多数に影響すること――地球に優しいこと、それはいずれきっと自分たちに優しさとして帰ってくるのだと思うし。

何十年と年を取った時に、同じような素敵な景色を見ていたいとか思うとしたら、その為に今出来るいいことをやっておこうっていうさ。スキーでジャンプしろっつったって僕には出来ないけど、“なにかいいこと”なら僕にも出来るんじゃないかなって思う。だから当然のこととしてするだけだよ。…とか言いつつ僕の場合、「明日死んだって後悔しないように」みたいな目先目先で物事を考える部分と、そういう妄想を共存させているから…なかなか分かりづらいとは思うのだけれど(笑)…まあ、午前中にそのエコな取材があって、夕方からデータセンターへ行って、360度機械という中に囲まれて作業していて…(笑)すっごい矛盾してるんだけどさ。

こういうことを仕事にする僕にとってエコが罪滅ぼしかというと別にそんなことはなくて、いつまでもこういう職種で居るとも限らないのだから。別に今年一杯に出来ないわけでもない(後ろ向きな意味じゃなく。そういうもんだってこと)。前に若いうちにエコプロダクトに関わってみたい、みたいなことも書いた気がする。今もそれって変わっていないし。“エコロジーで大儲けする人がいないと、環境問題なんて解決しない。”に対して、向き合っているかと言うと、何とも言えないけれど。

アンチエコなんて唱える人も生まれている。けど、それがロックだと言い張るとしたら、逆にそんなのロックじゃねぇよ。と僕は思う。別に電気が無くたって、CDが無くたって、MySpaceが無くたって、フェスが出来なくなったって、音楽もきっと続いていくだろうけど。でもやっぱ、スピーカーで大きな音を聴き続けていたいじゃん。僕の年齢なら、50年後も生きていたっておかしくはないけれど、たぶん、それぐらい先まで今はずっと繋がっているのだから。積み重ねて生きたいなあって。…なんかそんな感じだろうか?でも別に呼びかけるわけじゃないからねえ。だって何でも自分で気付いてこそだから。でも、いいことするのって、逆にロックだと思う。

…改めて読むと、「だから別に“自分はエコです”って人間ではないんだよなあ」と思うところで。とどのつまり、“経済的に安く上がるから、エコになった”みたいなところなので(笑)別に特別なことなんて何一つしていないはずだし、“意識が高い”わけじゃなく…うーん、もう当たり前なだけ。あとは…ファッションとしてエコを捉えているところもあるかもしれないけど(マイバッグも安いようなやつじゃなくて…、好きな北欧(スウェーデン)のデザインチームのものだったり、あとは好きなバンドのものだったりして、要はTシャツと同じ感覚なわけです。)、きっかけはどうあれ、そういったところから広がっていけばいいんだろうなぁ、と思う。

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さて、今週のその他の話。今週は全然駄目。体調が優れなかったのもあるけどテンションも全く上がらず。日比谷公園で猫をぼけーっと眺めていたり(逃避行)。それにしても、井の頭公園を歩いていたり(通学している学生さんが居る)、新橋に着いたりすると(ゆりかもめの駅がガラガラ)、新学期なんだなあと実感。親会社の渋谷系好きな子に、ミュージック・マガジンフリッパーズ・ギター特集を借りたので読んだ。それ読んでいて、よくいる“渋谷系を通った人”を思い返して思ったのは、渋谷系好きって勉強熱心じゃない?僕はそう感じる。勉強出来るって意味じゃないけど、ネオアコギターポップのルーツや古い洋楽をちゃんと遡るでしょ。あとファッションからデザインから何から。真面目なんだよね。ジャニス行ってる、とかさ(笑)特有のちょっとした上から目線もロック好きのそれとはやっぱり違う。

でもなんとなく僕はそうじゃないなあ、って。上のエコの話の中に書いてあるの「そんなの逆にロックじゃねえ。」とかもそうなんだけど、アンチテーゼだとか、シニカルだとか、それに憧れたときに、それに従っちゃ駄目だと思うんだよ。アンチテーゼにはアンチテーゼ、シニカルにはシニカルで返すべき、みたいなのがたぶん僕の自論…かなあ(笑)ちょっと前に“恋愛のS度チェックの心理テストで100%Sって結果が出た”ってことを書いたけれど、たぶんそれって僕がそうであると言うより、僕がそういう人が好きだってことなんだろうなぁと思った。…ん?なんか違うか。まあでもなんかそういう感じ。だから渋谷系特集的な本の中ではJ-POP批評のやつが一番面白かったんだけれど(代わりにそれを向こうに貸している)、それは、一番“素直じゃない”と思ったから。今回の記事は渋谷系に対して素直だと思いました。

まあ、どっちが良いとかじゃなく、僕の好き好きの話なんだけど。んーでもね、僕ジャニスとか行かないしさ。音楽一杯聴いてます、みたいな人に対して「僕はTSUTAYAで充分です」みたいなこと言う人間だしさ(笑)理由は…エコと同じで、より安く上がるから。だけど(笑)最近人と話していて「プライド高いですか?負けたりすると悔しいですか?」みたいなことを聞かれた時、「プライド高かったらこんな人間じゃないと思うねえ、天邪鬼なだけだね。」という風には言ったのだけれど、同じことをして競って負けても悔しいとは思わない…こともないけど、でも同じことして競ったって、かなわないことは分かっているわけ。走ったって投げたって飛んだって歌ったって弾いたってテストだって背丈だって顔だって、誰かにはかなわない。だから僕が“負けない”としたら、人と違うことをしなきゃ(違う価値観持たなきゃ)駄目なのだ。

極端な話、人と争ったら負けるのは分かっているので、人と争った時点で負けというか…“人と違うことをする”そこが僕の勝負軸だと思う。グループ魂の(笑)、"新しいロック"で“俺の考えた新しいロックはもう誰かがやっていた”なんて歌詞があるけど、既成の概念に捉われたら大抵そうなっちゃうわけ。だから、「負けることは悔しくないけど、同じことをしてしまっている時点で、人と違うことを出来ていないことが悔しいとは思う」みたいなことを言っていた。僕は誰かと同じことをしたり誰かの真似や追ったりしたって、何にもなれないし何も生まれないから。争うことは不幸だと思うしね。争わない方が平和。僕は平和なのが好きです。

それが好きだから、僕が好きな状態のままでありたいとしたら、“争わない”というのが一つの(自分との)勝負なのだと思う。欲望と理性との戦い…かなあ?さてあと今週あったことと言うと福田総理辞任。さすがに驚いた。早過ぎじゃない?最初から繋ぎって匂いはプンプンしていたけど、とは言えせっかく自分で立ったんだから、「選挙で戦えない」だとかそんな言葉に屈するなよ、って思うよ。最初から務まるタマじゃなかったってことだけれどねえ。なんか安部さんの時も近いこと書いていたような気がする。でもそれでも、福田さんは他の人たちに持ち上げられた感が強かっただけに、ほんと使い捨てっていうかスパッと諦められたなあ(党内が)。

麻生さんになった方が喜ぶ若者は多い気がするけど、どうでしょ。元々麻生さんが既定路線だったのが、福田がかっさらっていったわけだから。…でも前回一騎打ちだったのが今回これだけ立候補者が上がっているのを見ると、麻生さんは信頼されていないんだなというか…アウトサイダーなんだろな(笑)応援したくなるなあ。もう一つの後任と言うと、オフト。これまたビックリ。フットサルの時に「オフトとかになったりしてね」とか親会社の浦和サポの方に言われたりしてたんだけど、本当にそうなって二人で笑った。前回の浦和就任時は3-5-2だった気がするけど、果たして今回はどうだろうか?むしろここにオフト貸した方がいいんじゃないでしょうか。

最後に音楽話。ロッキンオン読んでいて気付いたのだけれど、The Cinematic Orchestraの来日公演が10月3日にある。呼び屋がSMASHじゃなかったから気付かなかったけど、フジロックと繋がりの深いBEATINKなので、きっと朝霧も出るんだろう。MySpaceにはライヴのスケジュール何にも載ってないけど、土曜ならメインステージの夜の後ろから2番目とか、すごく合うんじゃないでしょうか!…と思ったら、前日はオールナイトなのね。そしたら5日かな?でも絶対出ると思うし、MySpaceで音聴きながら想像するだけでもやばいなあ。日曜なら最後から2番目とかかなあ…。一緒のライヴに出るFlying LotusもMoon Shineに出そうだね。

…ああそれでもチケットがなあ(笑)…日曜は、“ふられたけど朝霧のチケットは取れた”、みたいな夢を見た。うーん、すごくリアル…(プラスマイナスのバランス的にも…)。きっとピロウズのチケット取れたから、そんな夢を見たんだけれどね。でも、恋がしたくて会いたいわけじゃなくて、純粋に“会って話したい”という気持ちが強いだけといえばそうで…それは、かなわなくったって(ガッカリはするけど)、その人じゃなきゃ話せないことってたくさんあって。音楽の話もそう。そういう話が出来るためなら、それ以上踏み込みたくはない。会いたい人に会えないことが一番悲しい(これはこの人に限らずだけど)。そっちの方が失いたくない。

でも、すでに何ヶ月か失っていたわけだから(笑)返事あるかなー、断られるより返事が無いのが一番怖い。会いたくないと思われている時点で、もう既に僕は東京に居るべきじゃないと思う。乗りたくない路線も行き難くなる街も出来るだろうし…そういうとこ考え過ぎる。ううん…最近聴いている曲の一つにbiceの"ただ恋しくて会いたいなんてね"なんて曲が。これが入っている"かなえられない恋のために"というアルバム、すごく好きです。…朝霧に話戻すと、復活のNATSUMENも出たりしないかなあ…当然雰囲気には合うはず。カミーユMySpaceにて朝霧出演を掲載。初日のメインの1番目2番目かなあ。夏フェスも一段落して、暫くはハコ中心。

5週連続フェスの余波はまだあるので、weezerは比較的あっさり断念し、Sense Of Wonderも…現実的には難しいかな…(出費を抑えないと)。今のところ、Los Campesinos!、Tahiti 80(インストア)、Special Others/Boys Of Summer/monobright、Pia Fraus、the pillowsEPIC45/miaouLinus Of Hollywood、あと夏結びMusic Festivalが気になる…というところ。そだ、今回のエントリのタイトルはFlipper's Guitarの曲名をもじったもの。フリッパーズ特集読む前に書いていたのに、何故かこれしか思い浮かびませんでした。恋してるだとか好きだとか。井の頭公園にまた野良猫が増えた。“グーグーだって猫である”効果じゃないだろうに(野良猫好きだけど…)。君は僕のことを忘れるだろうけど、僕は絶対ずっと忘れない。と、猫を見ていると思う。今週末は西が丘でJFL