ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

toe / クラムボン / mouth on the keys / agraph @ 渋谷O-EAST

f:id:airgyan:20111107222841j:image

たとえば、音楽――というよりは“ポピュラー・ミュージック”や“ロック”が無くても生きていけると思う。音楽は、時には人生を変えるし、時には世界を変える。音楽には力がある。けど、必ずしも必要なものではないと思う。今の僕の日常における最大の趣味や楽しみなんか、完全にサッカーだ(笑)。…でも、“何に生かされているか”と言ったら、間違いなく言えることは、“音楽に生かされている”。そんな風に思った。僕の人生や生活において、音楽は水や空気や食べ物と同等レベルに「これが無ければ今の僕は無い」と言えるものであって、喜びや楽しみや悲しみだけじゃなく、人との出会いやお金や仕事までも、何もかも与えてくれているもの。今後きっと誰と出会い、誰と別れ、何処に行って、何処で暮らしても、きっと音楽は切っても切り離せない存在で、そしてまた音楽が僕を何かに繋げてくれるものだと思った。(なんかライヴの感想の冒頭で書くことじゃないけど)

本日のライヴ。並び順的にtoeメインの企画と思いきや、会社で「そろそろ出なきゃな」と思いながらTwitter検索してたら2番手がtoeだと。な、なぬいー!おおお、早く出なきゃtoeがとおのく…そんなひとりごとを脳内でつぶやきつつ、会社から走って5分ぐらい、O-EASTへ(なのでmotkは見れませんでした)。

toe

多分昨年のneutral nation以来、今年初のtoe。多分今年最も聴いているアーティストの一つなのでずーっと見たかったんだけど、なかなかタイミングが合わず見れずに居た。今日のライヴは割と早めに前売り買ってたんだけど、フェス除いてこんなに発売すぐに前売り買ってたの、今年初じゃないかってぐらい(色々ライヴは見てるけど、今年は前日とか当日買ってることが非常に多い)。だからそういう意味でもtoeメインだと思い込んでいたので、かなり途中からになってしまったのは残念。見れたの多分後半だけ。

“ラストナイト”“1/21”の流れが圧巻。そして“New Sentimentally”。その後のMCで「クラムボン企画に呼んでもらい、ありがとう」的なことを言ってたので「そうだったんだ」と思ったのだけど。Twitterでも「不自然にマイクが1本立っている」と言われていたけど、最後“グッドバイ”で原田郁子ちゃん登場。

agraph

名前は知ってたけど(LAMA以前から)音は初めて聴いた。よかった。(この表現が良いか悪いか、わからないけど、)ハラカミさんっぽい。

クラムボン

数日前に長かった“ドコガイイデスカ ツアー”のファイナル(?)、両国国技館ワンマンを終えたばかりのクラムボン。見るのフジロック以来ですが、ちゃんと見たのは5月の東北旅行中に見た青森でのライヴ以来。あ、郁子ちゃんはこの間の井の頭公園のイベントでも見たけど。国技館これのおかげで行っていないからわからないけど――国技館のようなスペシャルなイベントを終えた今日のライヴは、本人たちにとってのライヴ納めだったこと――色んなことがあったこの一年のライヴ納めだってことで。良い意味で、テクニカルな部分や緊張感を飛び越えた――純粋に力のこもった、圧巻のライヴだった…ように感じた。

“KANADE Dance”から始まって、“GOOD TIME MUSIC”。冒頭のようなことを思ったのは、青森のライヴですごく刺さったこの曲を改めて聴いて――あれから半年、たとえばどんな非情なことが起こって、苦しくて悲しい想いをしている人が居て、あたかも初めから何もなかったかのような景色を目の当たりにして。その中でも無常にも日常はやってきて、笑顔で前を向いて、新しい何か使命感のようなものを背負って生きている人たちが居て――。でも…やっぱなんだかんだ言って、自分が今ここで過ごしている日常って辛かったり苦しかったり悲しかったりするじゃん(笑)なんかいいことねえかなあ、自分ってダメな奴だなあ、早く週末になんねえかなあ、なんて思って毎日暮らして。何かから逃れたかったあの旅行の頃から、なんら変わっちゃいない。どっか遠くへ行きたいなあなんて言って――そんな時、音楽は「どこかへ連れていって」くれるし、時には僕を叩き起こしてくれるし、街に繰り出させてくれると思ったからだ。

「月曜だからって出し惜しみしない」と言って鳴らした“波よせて”。“コントラスト”と続いて、「今日が今年のクラムボンのライヴ納めです」「この曲聴くと“ゆく年くる年”みたいな気持ちになる。曲名の響き的に」「まだ約二ヶ月ぐらいあるんだけどね(笑)」なんて言って鳴らされた“ララバイ サラバイ”が圧巻、その流れで“ハレルヤ”と続く中盤。そしてミトがギターからベースに持ち替えて、「ぼくにも ゆずれないものが あるんだ」――“バイタルサイン”へ。色々なことがあったこの一年。悲しさ・苦しさ・やるせなさ、でもその裏側にある愛情、弱い心、心配な気持ち、この曲には全て詰まっていた。ベースをアンプに叩きつけるミトの叫び、メロディを上ずらせる郁子ちゃん。今クラムボンを上回るスリーピースバンドは日本に居るだろうか。(……あ、ハイスタ除外していいっすか?(笑))

そこからの“シカゴ”でほっこりさせられて、“NOW!!!”で本編はシメ。アンコール、暗闇の中をぞろぞろと機材が運ばれてくる。まずtoeの美濃さんを迎え入れて“id”。そして最後はtoeの面々とagraphを迎え入れて。「勘付いている人も居ると思うけど。今年2度目だっけ?前回って…」「(客)去年!」「ああ、そっか、じゃあ今年初か」なんて言って、昨年のneutral nation以来の?“reflection eternal”。「色んなものが失くなったけど、続いていくものもあるんだ」とミトが語った通り――色んなことがあって、色んな人がお星様になった。2011年のクラムボンの締めくくりにふさわしいフィナーレ…だったのではないでしょうか。

改めて震災以後とライヴについて

今年も色々ライヴを見て――でもやっぱり震災前と後では全く見え方が違って、正直震災前のライヴは良し悪しを語れる次元のものではなくなってしまった。震災後のライヴは、富山で見たDCPRGの菊地さんの「こんな時だからこそ音楽を鳴らすべきだ」と言う発言から始まり、(全てでは無いけど)その殆どが震災以後のミュージシャンの思いが何らかの形で吐露され、表現に繋がった類のものであったと思う。し、やはり「そうじゃないライヴ」よりは「そうであるライヴ」の方が圧倒的に人間味・生々しさを感じられて、良いライヴになっているという個人的な感想があって、ビッグ・アーティストの方がそういった使命感を背負わざるを得ない中でそれを受け止めたパフォーマンスをしてくれるから、(復活のハイスタは別としても、)ミスチルだったりアジカンだったりCOLDPLAYだったりというモンスター・バンドのライヴにベタながら感動を覚えることが多かった今年だったりします。(当然それ以外にも最高だったライヴは色々あるんだけど)

ただなんかその中でも、昨年まで見ていた“ピースフルな”クラムボンとはまた違った――いやピースフルなんだけど、何か個人的に今年クラムボンを見る目が違ったのは、ミトさんが震災後すぐさま曲を発表した一人であり、そもそも“バイタルサイン”も中越地震の時に作られた曲であったり、僕個人の震災後最初の東北旅行で見たアーティストであり――まあ今思えばクラムボンの前にももクロちゃんを仙台で見ていたんだけど(笑)――rei harakamiさんのことがあった直後のフジ・ロックでの“あかり from HERE”であったり。何か今年の震災以後の音楽シーンを見つめる上で、クラムボンはすごくポイントポイントに居たアーティストで、その締め括りとしても――今日のライヴは今年ベスト5に入ってくるライヴだった、それぐらいすごく感動しっぱなしだった。国技館を見ていたら――どちらに転んだかわからないにせよ、きっとまた全く違ったのかもな。なんかクラムボンのライヴを見て、今までKAIKOOと迷っていたけど――「これ、BRAHMANのファイナルは見なきゃダメだな」って気がした。

…ブログ書く形式変えて、文章量減らしたいなと思っていたんだけど、まあ長くなった(笑)ブログなんてもう飽きられたメディアなのに…とても140文字じゃライヴの感想を言い表せないというか、色んなこと考えてライヴを見ているんだなあって思う(笑)明日は同じEASTで氣志團×ピロウズ…ですが、金曜の日本代表戦で早上がりしたいなーみたいなことを考えると2日連続ライヴは厳しいであろうと考えていたり。