ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

ソーシャルメディアウィーク「アートとジャーナリズムの未来形」を聴講してきた / 最近見たアート展(蓮沼執太展/shiseido art egg など)とか今週の雪とか

冒頭の写真ではTwitterで結構RTされたはぐれメタル写真。今週はSOCIAL MEDIA WEEKで色々な話を聞いてきた。仕事に直接繋がるかはともかくこういう話を聞くことで自分の中に思うことがあればと。木曜は表題の話が目的でした。(本当はその前のGunosyの話とかもエントリしてたのですが間に合わず、その前の津田大介さん達のセッションの途中から。そちらも興味深い話があり面白かった)

「アートとジャーナリズムの未来形~社会問題をどう提示し共有するか?」

チームラボ代表の猪子寿之さん、東京都現代美術館のキュレーターの長谷川祐子さん、朝日新聞メディアラボの竹下さん(asahi.comでアート関係の記事でよく目にしている気がする)。

▼長谷川さん

  • そもそも伝えることってなんだろう?(←伝えたいことはあるか?)
  • インフォメーションとナレッジの違い。
  • うさぎスマッシュ展(←見たかった)
    • おなかがいたくなった原発くん
    • 自分たち、誰でも出来る。やってみる。
    • スプツニ子!作品⇒「NASAって結局何なの?」という要求が高くなってきたことに対して、アートで表現し自分たちがやっていることの意味を伝えるための手段
  • 視覚デザインは非常に重要。
  • 情報は冷たい。人は冷たい森には入ってこない(専門家は入ることができるが)。だから「かわいい」とか「美しい」はとても重要
  • アートによって視覚だけではなく五感、エモーショナルに訴えかける
  • 「どういう部分にフォーカスして、どういう風に表現するか」という解釈の問題、その裏側にあるコンセプトが大事。

 
▼猪子さん

  • シンガポールビエンナーレ「ピースは成り立つ」
    • 技術的な話、センターサーバーのようなものはなく、全部独立していて勝手に自由に演奏していて、自分の近隣のものの影響だけ受けるようになっている。何もしなければ合っているのに、人が介入していくと乱れるようになっている。
    • 阿波踊りも、町全体の指揮者が居るわけでもなく、ルールもない。勝手に始まって勝手に終わっている。本来そんなにランダムになると理論的にはノイズになるはずなのに、なのに町全体が阿波踊りのリズムになっている。秩序が一切無くても、ピースは成り立つ。
    • そもそも人はなぜダンスするか?
    • プリミティヴな世界は、元々そうだったのではないか?
    • 大昔はメディアなんてなくて、自分に入ってくる情報は近隣の情報が全てで、双方向・インタラクティブでしかなくて。それがいつのまにか遠いところから入ってくるようになって、秩序が必要になったんじゃないか。
    • でも今はマスメディアに使っている情報より、ソーシャルメディアに使っている時間の方が多くなってきている。なぜそうなったのか?元々人間はそうだったから。そう直感的に、阿波踊りを通じて感じた。
  • 「世界は、均質化されつつ、変容し続ける」
    • ネットによって情報の均質化。東京もNYもロンドンもカンボジアのクラブも変わらない。良いか悪いかではなく事実として。一方で、誰にでも変えられる、んだよということを表現した作品。
  • キャナルシティのクリスマスツリーのインスタレーション。誰もでも飾り付けられる。
  • 「まなぶみらいのゆうえんち」プロジェクト

 
▼両者のセッション

  • 「社会問題をどう提示し共有するか?」について(質疑応答)
  • 物語性を求めている、それがゲームに現れている。自分の解釈で選択をきちんとして、最小限のエレメントで伝える。リソースや信憑性の問題がある。最近はレクチャーパフォーマンスが多い。(長谷川)
    • 僕らは向こう1,000年、2,000年のうちに滅ぶことは決定している。そんなことを解決しても仕方無い。日本社会に住んでいる人は自ら選択して滅ぶことを選択している。内的にそうしようとしているわけではないのだから、人と言う種にバグが起こっている。何がバグなのか。外的要因以外に考えられない。(猪子)
    • ジャーナリズムに対して一個だけ思うのは、報道するっていうことにそんなに力を入れなくていいんじゃないかと思っている。今日の趣旨と反するかもしれないけど、本質的な役割は、発言する人をどう守るか。何を言っちゃいけないか。言わないことをどう作っていくか。20世紀のジャーナリズムは一般の人たちが出来る。それをどう守るかが重要。何を言わないべきか、ということの方が重要。無駄なことを言い過ぎている。(猪子)
    • 羽生弓弦さんの時のアナウンサーの絶叫は何度も要らない。なぜ2回こけたのに金をとれたのか?という分析をしたNYタイムズのビジュアルが美しい。その人のことをどう理解するか?そういうことを報道を考えるべき。絶叫と言うのは非常にエモーショナル。でもそれは一回でよい。見る人間の真相にあるエモーションを引き出す。猪子さんの話のようにどうせ滅ぶことへ向かっていく中で、「終わる時間を長くソフトランディングさせる」為にカルチャーとジャーナリズムが共存できるところ。(長谷川)

その次のDeNAの「マンガボックス」に関する話も少しだけメモ。

  • LINEでの拡散が41%。Facebookは2%
  • まだデータを持て余している
  • シェアして先読み

■思ったこと
猪子さんの話が大変面白かった(天才肌の人だなと思ったけど)。話はそれるけど、井の頭公園のかいぼりで「犬を丸呑みする魚」が保護されたというのがツイッターで出回って、あれはガセなのに未だにリツイートされてくる。一方で、今回の雪の被害について「なぜメディアは伝えないのか、Twitter上ではこんなにリアルな声が沢山あるのに」とメディアを仮想敵のように見立ててどんどんリツイートされていた。

マスメディアとユーザーがこのような関係性になってきている――その中で今回の「20世紀のジャーナリズムは一般の人たちが出来る。それをどう守るかが重要。何を言わないべきか、ということの方が重要。」という考えはなるほどなと思って。「じゃあ、だからメディアの形は変えていけばいいじゃない」って話なんだよね。(これは翌日の「2020 東京オリンピックとテクノロジー革命」で鈴木寛さんが「オリンピックの度にイノベーションが起こっている。これは起こさなければいけないと思っている。テレビを否定するわけではないけど、今までのテレビ時代は終わるのはここかもしれない。」と話されたことも繋がってくるかもしれない)

その上で、「マスメディアに使っている情報より、ソーシャルメディアに使っている時間の方が多くなってきている。なぜそうなったのか?元々人間はそうだったから。」というところが、なるほどなあというか、「根源的なものに、なるようになっていく」と思えば、もっと自由に「正しいことをやっていけばいい」と思えるというか――ユーザーにとって正しいことをやれば良いというに、悩む必要はない。

金曜日も幾つかのセッションを聴講したので、また次のエントリで。以下は最近見たアート展などです。

蓮沼執太“音的→中目黒|soundlike 2.5”展

ナディッフの方の展示は後日行きたい。

名和晃平×小山泰介“Eclipse

銀座三越のショーウインドウ。

shiseido art egg 今井俊介展 @ 資生堂ギャラリー


10グルッペンにこういうテキスタイルあった気がする。(こういうの好きです)

渡辺おさむ「Sweets Sentiment」展 @ POLA MUSEUM ANNEX


森はともだち(1)木のこども遊具展 @ ATELIER MUJI

中銀カプセルタワービル

昨年ぐらいに見たメタボリズム展で知った中銀カプセルタワービル。東銀座にある、と見たことがあった気がして、どこにあるのかなーと思ったことがあって、この日はたまたま浜離宮方面へ歩いていたら…急に目に入ってきて!こんな位置にあったんだ!と思った(汐留時代に勤めていた場所からすぐだった)。今の賃貸だとこれぐらいの値段みたい

以下は雪エントリ。先週の雪エントリはこちら。

井の頭公園の雪

はぐれメタル があらわれた。(よくできてる!)



東京競馬場と雪

雪の影響で平日開催があったので久々に足を運んでみた。レースの写真は東京新聞杯ホエールキャプチャは買えんかった)。広い空間は気持ち良い。

新宿御苑

千駄ヶ谷でフットサルをしたついでに久しぶりに入園。倒木がすごいということで(大雪の影響?)、日本庭園エリアには立ち入れず残念…。




甘泉園公園

早稲田大学近くにあった、こじんまりとした庭園。また違う季節にも足を運んでみたい。


oniwa.garden
ソーシャルメディアウィーク、金曜日に聴いたセッションのエントリはまた次回。