ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

The Shins @ 渋谷クラブクアトロ とか

シンズのライヴに行って来ました。いつもながら取材と称して。ライヴの話はシンプルめに。19時開演ながら始まったのは20分過ぎぐらいだったでしょうか。ライヴが終わったのが20時50分頃だったと思うので、1時間半と考えると短い(でもこういう音の外タレのライヴは、MCも少ないし決して曲も長くないから、大体短い)のだけれど、でもめっちゃくっちゃ良かったな。幻想的な"Sleeping Lessons"から始まって、あとは「シンズってこんな甘甘だったっけ?」と思う、胸キュンサウンドを連発。その中では割とオルタナっぽいと思う大好きな"Kissing The Lipless"でやられた。うーむ、なんでフジロックで見なかったんだっけ?インタビューとかぶってたんだったか…。事前の見る予定リストには入れていたんだものな。あ、なので見るの初めてで。

さてはて、遡ってみるとThe Shinsを知ったのは2003年。初めて聴いた場所がイケヤ文楽館高林店だったことはよく覚えている(ローカル)。当時はまだ日本でのレーベルはメジャーじゃなくてインディーだったんじゃないかなぁ。The Sea And CakeTortoiseとかと同じレーベルだったような…勘違いかな?違うとしたらP-VINEかも。隣にユージン・ケリー(ex. The Vaselines)があった気がする。←浜松ごときにこんなセレクションの試聴機があったところで…と、当時は思わなくもなかったけど、でも現実に僕がこうしてThe Shinsのワンマンに行くことになっているのだから、意味はあったということ!(チケット代は払ってないけど…)

入場時に渡された風船は何もしなかったけれど、ライヴ中にはフロアを飛び交っていた。っていっても、なんか後ろから関係者っぽい人が飛ばしていたんだけれど。あとはいつもの外タレのライヴと比べても、外国人が多かったような気がする。さすがSUB POPで全米2位でNirvana以来と来たら、日本での人気、知名度と比べれば海外での注目度や知名度はまた違って高いのかな?と思った。外国の人はほんとこういうライヴでもがんがんビール消費するなあ、と見てて思った(笑)

以降は、とかの話。CHERRY LYDERという最近デビューしたばかりの女性ボーカリスト。音は聴いたことないと思ったので一応YouTubeで聴いてみたのだけれど、音の話はどうでもよくって(←いいのか)。アー写だと正に広末涼子大塚愛を足して二で割ったようなルックスだなーと思って。僕ぐらいの世代でこういうルックス嫌いな男って居るかな?なんてことを思った。中学生の頃は周り皆広末大好きだったような気がする。ってなことを思って、「幕張」って漫画のことを思い出した(笑)なんか途中までしか読んでなかった気がするから思い出すと読みたくなる。

ようやく動き出した。2ヶ月か…僕のところでも2週間程止まっていたんだけれども、うーん、トータルで1週間で済ませられることだったよな(笑)結局どこで止まっていたのかはわからないけれど、少なくとも望まれていないが為の力は働いていたんじゃないかなあと。望まれていないのならとっととそう伝えられた方が良かった。←不信感が生まれてしまっているな…。まあ…僕自身、コントロールされようとする人間ではないし、技術って立場的な観点含めても扱いづらいと思うし。ここには色んな不整合が生まれていて、そのうち僕は大きな一つだと思う。

でもねえ。僕は疫病神なんじゃないかって気がするから、いざ僕が居なくなるとなったら、急に半年間決まらなかった技術の人間が2人ぐらいパッパとすぐ決まるんじゃないかって気もするのだ(笑)そんで、それがまた技術申し分なくて性格良くて顔良くて学歴良くて音楽も詳しくて…みたいな人間だったりして、逆に僕が居なくなってくれてよかった、みたいな(笑)なんか僕はそういう星の下に生まれた気がしているので…でも、それが他の人の幸せならそれがいいだろうと(笑)

まあそれは自虐的な冗談だとして(本当にそうだったら僕が今後困るので)、要するに「自分の力を過信するな、力なんて無いも同然。」と自分を戒める意味で。自分の力がどれだけあるとかじゃなくて、どこへ向かおうとも…周辺をよく見渡して、状況把握をしようとすること、その中で自分の必要とされるポジショニングをすること、そして努力すること。だろうなあ、と。今更ながら。今から改めて初心に返るなんて不可能だし、今の文化がいいとは思ってないしさ。

最近の僕は最初と比べると自分主導になっている気はする。最初は、まず「必要とされたかった」から…相手ありきだった。今はもう立場も違ってきているから、そう思えることも少なくて…(必要とされていると思い込んでいる状況)でも本当は今もそれに関しては必要とされようとする為なポーズを取らなきゃいかんのだろうなあ、という気はする。自分のモチベーション次第でもあるんだろうけど。結局のところ、動かないと後悔すると思っただけだから結果がどっちに転ぼうがどっちにも覚悟はしているからどっちでもいい。なるようにしかならんですよ。

しかしこういうこと考えると考えざるを得ないのが、「来年のフジは行けるのか?」だ。理由として「フジロックがあるので休み取ります」と言える環境はそうそう無いかと(忘れがちだけど…)。タイミング的に有給取得出来ているか、とかもあるし。普通に土日休みかもわかんないし。まあなるようにしかならんか(笑)でもほんとね、フェスのこと考え出すとね…止まらない、今の段階から「来年の夏フェスは何行こうかな?」って考えられるもん。今年も衝動的に「エゾ行きたい」って思ってたけど行かなくて、それなら来年行きたい気がするし。その為には他に行かない判断をしなきゃいけないフェスも出てくる。予定も、木曜休んで北海道入りの準備しなきゃいけなかったりするんじゃないか?とか。その点今は楽で…。

でもあれだな。仕事で何をしたいかとかより――自分の課題ってのは何よりも人間性で(笑)何になりたいかって、「まともになりたい」のだと思った。だかそれは職業人である以前に、人として。上に書いているようなことを書いている時点で、人間性に欠陥があるのは明白で…一番どうにかしたいのって、それなはず。でも一人じゃ何も変われない気がするなぁ。と考えると、そういうところで、どういう環境へ身を置くと自分にとって成長に繋がるのかなーと考えるのもよいかな。それが一番近道だと思うし。前の会社よりも今の会社の方が若いけれど、でも共に若いと言われる会社だったから、普通がどうかというのが結局わかっていないのだ。

特に今は全体の年齢が近過ぎるし、当然それによるメリットは大きいってことはわかっているけれど、そうでない環境をよく知らないから実感としてはわからないのだ。この性格のまま年は取りたくないなーと思うし…今の年齢でこれだけ好き勝手やっているのは良くないのではないか。先々柔軟性を狭めることになる気がする。もっと幅広い年齢層、特に上の層が居る環境で過ごしてみたい。僕はそういう環境と言うのを知らないから。知れば、それによるデメリットを実感出来て、自由のありがたみがわかるのだと思う。そんな新しいことを体験したい。

ちょい前に会社の人がmixiの話をしてて「以前書いた日記の文章が恥ずかしくなって全部消したんだよね」みたいな話をしていた。ここは以前の文章、例えば2年前の文章なんてすぐ見れるからなー(そういう話はしなくて自分の頭の中で思ったこと)。恥ずかしくないかと言えば恥ずかしいのだけれど、今リアルタイムで書いている文章が一番恥ずかしいものだし(笑)、でも昔と比べれば…2年前ぐらいの文章はなんてことないな(笑)2年前も11月13日は書いているね。3年前、4年前の11月13日の前後も書いていたけれど、大したこと書いていない。

5、6、7年前は日記が無いっぽい。8年前(16歳)の11月13日は…残っていて…「なんかすごい追い詰められてる気がしていた」らしく、「何が大切なのかよくわかんなくなってきた」らしい。「何を選べばいいのかもわかんなかった」らしい。さすがにこういうのを読むと顔から火が出そうになるぐらい恥ずかしいのだけど(その前後の日の方がやばいなー(笑))、そういうのって残しておくべきだね、残っててよかったって思う(笑)だから別に誰が見ているとかは気にせず書いていられるし、そうしているわけで…プロフィールんとこに書いてあるけど、将来の自分に書き残しているってのは、テーマとかポーズではなく、実際にそうなのだ。

構ってほしくてとか、構ってくれそうなこと書いてたのは17の頃までだよね(笑)大人でそんなことしてたら、恥ずかしいと思っちゃうもの。だからコメントを期待して日記を書くって感覚が僕には全く無いし、ましてや友人受けする日記なんて意識して書きたいと思わないしさ。なんか、あれ(構ってちゃん)が出来ていたのは、高校生っていう若さを武器に出来たからしていたわけで…20も過ぎて、ましてや社会人になってそんなの嫌じゃん(笑)今は今で色んなことここでは垂れ流してるけど、触れられたいとは一切思っていない。自分がその時々で何を考えていたのかを残しておきたいので、ネガティヴなことも書きたいなとは思っているけど。

ここからまた別の気分の日に書いたもの。ピロウズがもうすぐシングルコレクションを出すってチラシを見た。基本全部聴いているはず(昔のシングルは今も持っている)なので別に欲しいとも思わないし買いもしないんだけれど、そう言えばB面集出たのは5年前の丁度今頃か。今回の並び順では"Beautiful Picture"が最後なんだな。なんてことを思って、今朝(って何曜日のことだっけ)見た夢。帰省した時に、猫がここ数日帰って来ていないと話される夢。何か、一人にしないでくれ!みたいなことを夢の中で言ってたんだけれど(笑)朝から気分最悪。なんかこれ以降猫のことを考えると泣きそうだ(笑)でもほんと兄弟みたいなもんだから。

以前猫図鑑にまつわる話を書いた時にもちょっと似ているんだけれど、一人で居ることというのは別にそれは自分にとって心地良い過ごし方をするわけなので何でもないことなのだけれど。“一人になる”って感覚は未だにすごい重く感じてしまう。慣れとかそういうものなのかわからないけど、慣れないな。それでピロウズの"Beautiful Picture"を久しぶりに何度も聴いていた。“本当は 本当はね 本当はこの頃ずっと 本当は 淋しくてどうかなりそうさ そこに居てよ”。…って、多分5年前からずっと思っていることでもあるのだろうが(笑)なんだろ、絶対次の猫を飼おうとか思えないと思う。だから結局それが僕の性格なのかなって思う。

うちの猫はうちに飼われて幸せだったのかなぁ。というのは高校の頃も思っていたけれど、今も思う。それだけの愛情は皆で注いでいたと思うし、幸せであってくれたら良いけれども、猫とは言え幸せは押し付けるものじゃないからね…。去勢もしてしまったし、猫にも猫でガールフレンドと子供っていう人生(猫生)もあったのだと思うんだよ。そもそも去勢のきっかけもガールフレンドが出来たっぽい、ってところで「子供作られたらまずい」ってことで踏み切ったことだったと思うし。人間からしてみれば、仕方が無かったとは言え。この愛すべきうちの猫の子孫は残らないのか、と思うとそれはそれでものすごく淋しい気がする。(エゴだ)

今年久々に再会を果たした知人がこの一ヶ月で大変なアップダウンがあったらしい。望まれた存在っていうのが、何よりも幸せなことだとは思う。思えば僕も兄貴が居るはずで。産まれてからか産まれる前かは忘れたけど。でも兄貴が居たら、僕は居なかったのかもしれない。兄貴は僕ではない。そう考えると、僕が僕としてここに居るってことは不思議なことなんだろうなと。偶然。でも僕も望まれていたんだよな、という。僕も猫の存在はものすごく望んでいる。あとは…どうせ居るんでしょ?ではなく、望んでくれる環境に行くべきだよなあ、という(笑)

思えばその知人、まだ若い頃(僕はもっと若い頃)に「結婚はしたくないけど子供は早く欲しい」みたいなことを言っていたっけ。そういや、いつも髪を切ってくれている方も同じことを言っていた。男性の僕には多分理解出来ないことだと思うのだけれど、それってのはどういう感覚なんだろう。でもたまたま今日このレポートこの画像見てねえ、子供にジュビロのユニとかマジで着せたいよなぁと(笑)宇宙人のグレイを人間が両側に居る画像じゃないけど、ああいう形で真ん中に子供で。いつかああやって歩きたいよなー。まずは手を繋がないと…(んなことばっか)。

炬燵を出して思い出したのは、あれはもう4年前になるのかな、前の会社の頃に会社の人の部屋で鍋やった時のことだ。あの後、人が増えていった会社だったけれど、当時は若い男は少なくてそんな面子だった。そこで先輩が「辞めようと思っていて」って話をしたんだけれど、「なるほど」みたく冷静に振舞ったつもりだったけれど、当時はまだその会社も僕が入ってからは人が辞めていなくて。初めて人の「辞める」って意思を見せた時だったから、それなりのインパクトだったような。

で、あれから4年。僕も一度会社というものを辞めたし、ほんと今となっては人が辞めるのなんて当たり前で…。冬も近付いたからか、あのクソ寒かった前の会社のオフィスをちょっと思い出してみたりした。思えば夏以降はもう明日辞めてもいい覚悟で居る気はするし、5月にはあんなに辞めたがっていたのだからよくも半年生き延びたものだと思うし(同じこと別の日に書いているな)。それなら一体どこへ向かうのかとか、未練は残らないのか、ということを行きの電車の中ですごく考えている。でも25歳になるってのはやっぱ大きなターニングポイントだなって思うし(2年前の時点でそう言っているのだし。)、それってのも二度目があるわけじゃないから。なあなあにされたくないし、納得いくように動きたい。