ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

Simian Mobile Disco @ LIQUIDROOM Ebisu

相変わらず秋葉原の事件の記事を読んでは色々考えさせられている。その都度思っていること。今回の事件に至る前までの人間性の分析に関して、例えばネットによる人格形成や自己愛、孤独、疎外感、プライドの高さやそういったこと全て、それらは今回の彼だけが特別に持ちえたものとはやっぱり到底思えない。自分の世代がそういう脆さを抱えていることなんて、“そんなのずっと前からわかろうと思えばわかれたことなのに、手を差し伸べないで何を今更言っているの?”と思う部分もある――し、でも手を差し伸べられないこと含めて、今のこの時代/世代なのだろうし。僕だって人に手を差し伸べられるような出来た人間ではない。(実際にそういう記憶もある。僕も自分のことでいっぱいいっぱいで)

でもその中で僕が言いたいのは、同じような思い悩みを抱えている男子はまだゴマンと居るだろうと。だから、今回の彼を特別だという物言いを繰り返してしまうと、残されている人たちは余計に肩身が狭く、孤立してしまう気がする。そう思うから、最も的確な物言いをする記事を待っているから…日々の記事が気になって仕方無いのでしょう。“共感できない”って、そうじゃないんだよ本質は。そりゃ、実際に起こす程の感情なんてわかれない。でも必要なのは、“わからない”と突き放すことではないはず…でもさ、“わかろうとしてない”んだもの、わかるはずがない。突き放されたところで「そりゃ、お前らなんかにわかってたまるかよ。」ってなもんでしょう?

でもね、“格差社会がこういった不安を増長させる”だなんて言うけど、今の時代だから学歴が無くたって逆転が可能になっているところって多々あるじゃん?今の時代じゃなかったら僕はきっと今の会社入れていないし、東京に来てすらいないかも。それ以前に前の会社すら入れていないかも。予告.inを作った人だって確か僕と同世代じゃなかったかな…?(で、きっと似たような思い悩みを通ってきていると思うの)。勿論この人と違って、同世代で高学歴でガツガツ系でもう社長やっている人だって居るけれど、決して同世代の学歴のある人(…や有名人)と比べて、惨めだとか、駄目だとか、つまらない人生歩んでいるとは全く思っていないよ。

僕にも少なからず学歴コンプレックスはあるけれど、今の時代だからそれを逆にモチベーションに出来ていたり(ジャイアントキリング的なね)、可能性が希望になってコンプレックスを薄めさせていることが出来ているのと思う。…とは言え、僕だって、高校卒業の時の進路は学年で唯一決まっていなかった人間なはずだけれど、当時は自信満々に「あえて決めないことにした」なんつってたはずで(笑)…その判断が良い風に作用したとは到底思えないけど(笑)、それがあって今の自分があるのなら、失敗とは言い切れないのかなあ…正当化するつもりはないけど…。

表題のSimian Mobile Discoのライヴを見に行ったこの日は色々な人の縁を感じた。別にそんなつもりの1日だったはずではないのに。自分では、確実に僕は“社会の底辺”と呼ばれる場所に居た存在だったと思っている。でも、何年か経ってみてこんなことになっている。少なからず今の時代だから、ネットの時代だから、成し得られたことだと思う。お昼にミッドタウンの方のヤフーに行ったのです。…別に初めてじゃないし、ネット業界人にとってはそんなに特別なことではないかもしれない。でも、そんなことすら僕にとってはある種、夢のような話かもしれない。

そこに行ったら、今僕の担当さん以外で僕を知ってくれている人が居るというのも…不思議だなぁと思う部分でもあるし、初対面の人が僕の会社の別の人と以前会社が同じだったって言う縁を知ることになったり。繋がっているなぁ。ちなみに何も伝えてないから会わなかったけど、前の会社で同じ月に入社した人が正に今ミッドタウンの方のヤフーに勤めている(たぶん向こうは僕が東京で働いていることを知らないかも)。会おうと思えば会えるそう遠くはないところに居るんだよなあ。

そのミッドタウンの帰り、(隣にある)檜町公園を歩きたくて…ついでにミッドタウンに戻らず赤坂方面に歩いていたの。そしたら、途中で向こうから手を振って歩いてくる男性が。なんと、(僕の大好きな)某レーベルの前の担当様!!丁度前日ぐらいに僕が謝る系のやりとりをしていたばっかりだったのに、こうも偶然バッタリ会うと笑っちゃうよなあ。笑顔で談笑。へー、この辺なんだあ。と思ったし、向こうにとっちゃ「なんであっちから傘も差さず歩いて来るんだ?」と思ったことでしょう…。なんだかこれだけ人と会えることすら、本当に笑っちゃう出来事で。

で、夜にはSimian Mobile Discoのライヴへ行ったのですが、ライヴの後にまた(会社の人でもレーベルの人でもなく)知っている方に会えたのが、なんかすげぇなぁと。ライヴをちゃんと見て頂くのは以前OBLIVION BALLでも彼らを見ている方に任せ、僕は現在のメインの仕事が落ち着くまで居たので見れたの最後の30分ぐらいかなぁ。当然まぁかっこよかったんですが。なんて言うのかな…シミアンは正直、1stを聴いていた限りではそんなに個人的にはガツンと来なくて。ライヴは結局曲あってのものだから…かっこよかったけれど、うん、なんか気の無い返事(笑)なんだろうなー、その辺もわかろうとするか、わかろうとしないか。なのだろな。

…事件の後、孤独だとかそういうものを考えていたばかりだから、何か「何が楽しいんだろう?なんで人はライヴを好きなんだろう?一体どこが楽しいんだろう?」なんてことをね、考えたりしていて(余計だなー)。なんつうかさ、僕は別にクラブが好きなわけでも、踊りたいわけでも、仲間と集いたいわけでも、アーティストと近い距離に居たいわけじゃないわけじゃん?むしろ僕、集団とか仲間とかアーティストが近いとかそういう感覚苦手な方だからさ、そうなると尚更一体なんでライヴだとかフェスだとかそんなもん楽しいのよ、なんて考えて。本質的にこういう空間が得意かと言うと僕は絶対苦手な空間なわけじゃん、ライヴハウスってのは。

まあただ単純に音楽が好きで、ライヴの音を聴きたいから、ライヴ、ライヴハウスへ足を運ぶわけだけど――かと言って客が居なくてライヴの音だけを聴いていて楽しいかと言うと、そうじゃない。沸き立つフロアが無ければきっとつまらない。他にお客さんが居なければ逆に気まずい(笑)ライヴっていうものに、出来るだけ仲間意識、集団意識ってものは持ち込みたくない――というか、持ち込むような仲間も基本的には居ないけど(笑)、まあやっぱ僕はそういう人間だと思うのです。そういうのが面倒臭いっていうか苦手だから。…でも一人で居れば居る程、心は荒む気がしないでも無いので…一体どこが違ったのか?なんてまた考えるのだけど。

でも帰りに駅まで一緒に歩いて帰った方が「シミアンには思い入れを持って見ようとはするんだけれど、正直まだ――」と率直な感想を述べていたのが、良いなぁと思って。的確なことを言っていると思ったし、なんか僕も…抑え込んでいるところがあるのかな…と。ていうか、15の頃に“言いたいことも言えないこんな世の中は ポイズン”なんて歌が一世を風靡したのに(?)、10年経って世の中はどうだ?もっと病んでいるじゃないか。ネットの世界という捌け口は10年前と比べて格段に手段としての普遍性を増したことは確かだけど――、それを扱う人、それは利用者も管理者も、リテラシーや意識はどこまで高まっているのだろう?上の認識や対応と言うのは、10年という期間を考えると、驚くべき遅さな気がするが、どうか。

…うーん、上手く言えないっていうか何言いたいかよくわかんなくなっちゃったけど(笑)やっぱ僕はそんなに音楽を要素とした、仲間遊びって言うのは、得意ではないというか。むしろバカしんじゃえよみたいなことをいじけて言うタイプというか(笑)そういったところのコンプレックスや闇って言うのは、すごくある人間で。でもそういったところもありつつ、やっぱ音楽は良いなぁって思うし、音楽で笑顔になる人たちって良いなぁって思うし。音楽のポジティヴな情報や要素を…発信するであったり、そういう環境を作ることに貢献出来たらな、なんて考える…。

木曜はそんな感じで…そういえばミッドタウン行ったついでにデザインハブへ寄ったら、昨日までグッドデザイン賞の企画展をやっていたんだって!入場無料。一日早ければなぁ…。ステッカーだけ持って帰った。その後に人にバッタリ会ったんだけど。ほんとね、でもなんだかんだでそれもこれも僕にとっては全て音楽とネットが繋げてくれたもので…本当に一人で殻で閉じこもっていたところからね。金曜はこれまた今や世界の音楽にはなくてはならないWebの会社さんへ行ったり(僕は音楽とは全然関係無い立場だけど)。一人で記念にと思って写メ撮らさせてもらったり(笑)なんか、取引って感覚じゃなく味方みたく振舞えたらいいなぁって…そういう意識もあったりしたんだけど。そしてこの日は送別会も。僕が今回東京来てから、初めてライヴハウスで見つけてくれた方。あれからもう2年かぁ。それも音楽で繋げられているのなら、またどこかでご一緒するのだろうなんて思ったりする。