ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

音楽と人

(この項、書き始めが6月9日の月曜日ぐらい。)日曜日に発生した、秋葉原の事件の加害者に関するニュース記事を読んでいると、思うことが有り過ぎます。それがとても長い文章になったし、僕なりの思うことはやっぱり表に出したいなぁ、と思った。前回の発生日の日記にも「紙一重だ」と書いているのですが、今僕にとっての僕の生活で良いことがあったって、それは決してポジティヴだけから生まれているわけでは全く無いし、それもこれも全部僕にとっては、紙一重な物事だと思う。

先日、僕が大好きなアーティストの新譜の試聴会なるものへ行って来ました。それがとっても素晴らしく、たぶん僕の今年の5枚には入る。なんて思っていた日の夜、とあるウェブ・サイトがリニューアルしていた。その中の人にメールをしたら逆に僕が嬉しくなるようなお言葉を頂いて。それがたとえ話が勝手に大きくなっていようがなんだろうが嬉しいことで…そう思われるだけのことはしていたのかなあ、と…その時になってようやく分かれるというか。…で、その中で新しいコンテンツを見ていたら、とある偶然と縁に気付いて「すげえなあ」なんて思ったり。…そんな風に、嬉しくなるようなこと、良いと思うことが、たしかに今の僕の生活の中にはある。でもそれもこれも全部、やっぱ僕にとっては、紙一重の物事だと思う。

今は人生の中できっと一番、光(スポットライトってよりは光合成の為の日光かな)を浴びられている期間だと思う。でも、僕は闇の期間だって長く体験してきていると思う。光を浴びている期間よりもよっぽど長い。抜け出せずにもがいたし、思い悩んだ。そして決してそのことは忘れているわけじゃない。その頃の自分があるから、今の自分があると言えばそうだから。前回も書いているけど、秋葉原の事件の犯人は酒鬼薔薇世代、ネオむぎ茶世代。僕もそう。そして16、7の頃にはもう2ちゃんねるにハマっていたし、友達も居ない期間あったし。通ってきている環境に大差があるかと言えば決してそんなことはないし、むしろかぶっていることは多いのではないか?見てきているテレビ番組やカルチャーは、決して違わないだろう。

だから犯人の思考に関して読んでいると特にそう違ったわけじゃないと思ったし…笑えないしバカになんて出来ない。思うことは沢山ある。今回書きたかったメインな部分を先に書くと、“事件こそ特別でも、彼と近い思い悩みを持った25以下の青年は少なくないのではないか?彼だけが特別な思考とは思えない。”“僕はやっぱり音楽に救われた人間なんだろう。音楽が無ければ、もっと光の見出せない人間になっていたかもしれない。”ということです。ちなみに、“音楽に救われた”ってのは、音楽が隙間を埋めてくれたとか勇気をくれたとかそんなものだけじゃなく…音楽を通じて人と出会えて、音楽を通じて人と関われて、音楽を通じて仕事を出来ていて、音楽を通じて必要とされたりしてくれるから。そういった全部含めて。


今回の事件が起こった後、“薬物反応は見られなかった”“精神疾患は見られなかった”と言った記事も見掛けた。共にないと言うこと。そして“キレやすい”ということ。そう、元々僕の25歳の世代は、“キレやすい”の代名詞の世代だ。それは決して今回の犯人が特別持っているものではない。刃物で刺殺した事件。それも別に今回に限ったことではない、ネオむぎ茶だってそうだったし、酒鬼薔薇だって切断しているでしょう。この世代は、13-4歳の頃にたぶんバイオ・ハザードに出会っている。メタルギア・ソリッドもそうだし、ドラクエだってFFだってやって来ているでしょう。“切る”シミュレーションは、その頃から蓄積されているものだ。

事件の起こった日の夜のニュースで、犯人が書いたイラストというのが出ていて、そのキャラが長い刃物(刀)を持っていることを取り上げていた――けど、前述のドラクエにはロトの剣や天空の剣があるし、FFにもミスリル・ソードも、ラグナロクエクスカリバーだってある。ダイの大冒険やワンピースとかだってきっと見てきているでしょう。だから、それが特別な要素だとは全く思わないのだ。極端な話…人を殺すドラマ、人を殺すアニメ、人を殺す漫画、人を殺すゲーム、そんなものは全て嫌ってほど、少年時代以降世の中が発信して植えつけられてきたものだ。(だからって人を殺したいだなんて“普通は”思わないかもしれないけれど、でもそういう下地っていうのが、彼らが特別植えつけられているものではないと思う)

話は変わり。心理学の教授が携帯掲示板でのログを読んで「自分の描いたシナリオへの執着が強い」と解析していましたが、確かに“主役願望”、“主人公願望”が強かったのかなぁと思った(ある種、それも上記のものたちによって生まれる感情な気もします)。そこまでしてでも、ワイドショーで話題になりたい、という欲求。主人公願望が強いが故の、“こんなはずじゃない”という感情。…紙一重だとしても、僕が違うのはもしかしたらそこかもしれない、と思った。

それは、青春時代に一杯聴いたthe pillows "Swankey Street"の「誰の記憶にも残らない程 鮮やかに消えてしまうのも悪くない」であったり、「今はもうどこにも居ない」なんて締め括る"Nowhere"だったり。一番沈んでた頃も、“誰にも迷惑掛けずに死ぬにはどうしたらいいか?”とかは考えたけど(笑。ちなみに、「無い」と結論付けました。親に迷惑掛からない手が無くてね。)、そういう…自分の内に向けても、外に向けることはなかったかなぁ。周りが分かってくれないんじゃなくて、…分かってもらえない自分が悪い、僕が悪い。みたいな考え方。(今回の犯人も、自分を責めてはいるんだけど。でもどこか、周りに転嫁してるんだよね。)

自分が今意外と上手く生活を立ち回っていられるのは、なんだかんだでその辺の願望が薄くて、無欲さや慎重さが上手く作用しているのだと思う。上手くいかなくて当然。諦めが肝心。上手くいかなくて当然。だけど、なるべく傷付きたくはないから慎重になる。友達は別に相も変わらず少ないし恋愛も出来ちゃいないけど、人に必要以上に寄り付かないとするのは、その辺のバランスを崩したくない、失うことの方がもっと怖いと思っているからだ、たぶん。居なくならなければ、暖かい。

彼の言う、彼女云々の話に関しては――多分僕が7年半一人身だろうが、彼にとっては「別に、7年じゃん」って話かなあ、って思うので、「わからないでしょう」って反応になるかもしれないけど。でもブサイク云々はさー、僕も中学の頃は(背は低いままで)野球部だから坊主で、今と違って眼鏡で。今みたくシャレた眼鏡なんかじゃないからさあ、正直中学の卒業アルバムとか今後人に見せたくないと思うぐらいだよ(笑)少しでも、今の僕が「悪くない」と思っている人が居てくれるとしたら、マジでガッカリさせられると思うよ、これは。…まあ別に今の僕が変わるわけじゃないから、「それだけ良くなった」と言えるとは思うんだけれどさ…。

中3の時には僕もだんだん性格も暗くなってきていたから、うーん…中3、高1の最初の頃の自分ってやっぱ、今回の彼と決して遠いところに居たわけではないと思うんだよな。…で、そこで何故僕が少しでも変わっていけたかというと…やっぱ音楽なんじゃないか、と。そりゃね、バイン田中のようなすらっとした男前にはなれんし、ミッシェルチバのようなロッカーにもなれんわけです。ゆずや19みたいな明るいのにもなれない。で、そこで誰が居たかっていうと、…やっぱ山中さわおであったり中村一義だった。僕でも、ああいうルックスや格好にはなれるかな?って思っていたのを覚えている。山中さわおには「目が悪いから客席が見えないんだ」って言葉すら励まされたというか(笑)(眼鏡を掛けないのはやっぱこの頃の名残)

着る服の色は、当時と比べると今はだいぶカラフルになりましたが(当時は着る服は黒が多かった)、山中さわお中村一義なら――ってところは、今も変わっていない原点かもしれない。…たぶん僕が彼女が出来ないのは外見ではなく人間性の問題やそういう駆け引きが出来ないからなのだろうなーと思うので、なるようになる時を待つしかないなーともうどっしり構えているんだけど…でも来る時が来るように、“自分が女性だとして、一緒に手を繋いでも歩いていいと思う人間”を作っておくことは、重要だなあって思うのだよね…勿論、順番が逆の場合もあると思うけど…でもやっぱ自分が女性なら――って考えた時に、なりたいと思える人と思えない人ってやっぱり居ると思うもの。だから少しでも良くなっておかないと…さ。

今の僕ってのも、なんていうか…一般的なモテ男子では全然無いわけだけど、うつむき気味で、細身で、カーディガンを好んで、音楽好きで、しかも文学ロックみたいなのを聴いていて、コンバースが好きで、髪の毛は長くもなく短くもなく、黒髪で、煙草も吸わないしエコとか言っちゃう、吉祥寺とか好きそう。猫とか好き。そういうのを好きな女性ってたぶん居ると思うし(笑)、で、僕はそういうのを好んでくれる女性が好きだと思うんだよ(笑)そこは一応繋がっているんだよね…。

“音楽なんて無くたって別に生きていられる”とは時々言ってはきたけど、でもやっぱ、僕は間違いなく音楽に救われてきているなあ。それは、そういった彼女云々の話をしたってそう。音楽があったからデザインや服にも興味を示せたし、音楽があったから人と会えている、同じ趣向を持つ人と会えるから少しでも良くなりたいと思う。音楽があるから(損得勘定抜きで純粋に)女性とも話せる。…これ結構重要だよ(笑)…でも損得勘定抜きとしてもいざ恋愛となったら“音楽の趣味が合う”って以外には僕にメリットがあるとは自分では思えないから(笑)もし音楽の話が出来なかったら他に女性と共有出来る趣味の話なんて無いと思うからなぁ…。

そんな、暗い中学3年以降、高校の頃だって…別にお昼に誰か仲良い人と一緒に食べることなんて、殆ど無かった(あんまりそういう記憶が無い)。多分、今この年になって人を食事に誘ったり出来ないのはなんだかんだでこの頃の影響なのだと思う(ちなみに前の職場でも一人でスーパーに行くのを1日の楽しみにしていた)。当時、最初は孤独だなあ…って思ってたけど、なんでそこを乗り越えられたかというと、やっぱ音楽だ。ウォークマン聞いたり、音楽雑誌読んだり、バンドスコア読んだり。校内に僕の持ってきたCD流したり。そしてバンドの仲間が出来たり。その“音楽”というキーワードで確立されていって、周りにCD貸すようになれたり。

10代からの知人で、音楽以外のキーワードで今も繋がれている人は多分一人も居ない。全員、音楽だ。音楽が無かったら、僕も向こう側だったかもしれない。音楽が無かったらきっと生活に光を見出せなかったし、アウトプットの手段が無かった。僕の好きだったものが、音楽だったから、少なからずファッショナブルな要素を持てたわけだし、その先へ繋がっていけたけど、そうでないものだったら一体どうだっただろう?(まあでも、少なからずファッショナブルな要素であったから、好きになって趣味になったんだと思うけど。服と同じ。黒や灰色みたいな暗い色では、いかにもって感じになってしまうから、明るい色を好むようになったように。)

歪んだ自己愛ってものは、このブログを始めとしたWeb日記全盛の時代に特別なことだろうか?強かれ弱かれ、それをやっている人は誰しもが抱えているものである気がするし、僕だってそうだよ間違いなく。思い当たる人って居ないわけじゃないしさ、決して他人事ではない。すねる感覚だとか、絶望感自体はわからないわけでもないから。“どうせわかってもらえない”って感覚は、僕も通ってきているものだから。今回の事件は特別かもしれないけど、事件をおこした人が特別な思考の持ち主かと言うと、決してそうは思えない。同じような思い、悩みを抱えた男子は五万と居るんじゃないか。孤立の理由だって様々。“なんでそんなに自分のことしか考えられないの?”っていうような変な正義感で孤立することもあるのだから。


…そう考えた時、僕に何が出来るかって言うと、…その手段を見つけることは容易ではない。なんだかんだで、心を開かない人、“わかってもらえない”と思い込んでいる人には、ポジもネガも効かない。前向きな話なんてきっと逆効果だ。強く出ることもそう。結局何らかの機会で、自分で気付くしかない。そういう意味では、今回何が不幸だったかと思うと、そんな精神状態で一人暮らしをしていたことかなって僕は思っていて。実家住まいで、近くに親が居ればまた全然違ったと思う。

もちろん実家ならニートになるんじゃないかって思うし、親を殺していたかもしれないけれどさ。でも、気付かせてくれるものって、やっぱりきっと“人”なんだよなぁ。僕が今こうして前向きな気持ちで居られるのも…会社でそれなりに頼りにされて(多分)、そういう暖かさを感じているから、生きていられるんだと思うし…。生きている以上いつ刺されて死ぬかわからないし、いつバラバラになって井の頭公園に捨てられるかもわかんないけれど(先日の大雨の日に公園に雷でも落ちたのか、公園を照らす街灯がぶっ壊れてて、夜の公園は超暗くてマジで不気味でした。)。…今は死にたくないけど。前向きになれているから、今は何だか楽しいよ。

でもさ、逆に僕からすればさ…たとえ派遣だってたとえ工場だって、人と会って話していられるのならいいじゃん、雇ってもらえて働いていられるならいいじゃん、それでお金もらえてるならいいじゃん。友達からメールが届くのならいいじゃん、友達にメールが出来るのならいいじゃん、ネットで自分の名前を持てるのならいいじゃん、それで自分の生活のこと曝け出せるのならいいじゃん、メル友とかが出来るのならいいじゃん。って思うんだよ。それだけのチャンスや機会があるはずだってことなのだから。モテないとかいうけど、モテたいから良くなるんでしょう。

…だから、なんでこの時に“良くなろうと出来なかった”、ってところなんだろうけど。ある意味、この子が救ってあげられたのかもしれない。変われって言えばきっと変わっただろうになぁ。この時にキレていなかっただけ、まだ優しさはあったってことで。「そんな何回も部屋来てるなら既に合意の上のようなもんだよな。男の気持ちと腕力をバカにしてる」とか会社の男同士で話していた(笑)まあ逆に、強の姦になっていたとしても、こんな事件は起こらなかったってことにはなるのかもしれんけど…(よくそこまで信頼出来るな…とも思うけど。何が起こっても事故みたいなものか勢いとしか言えないだろうに。既成事実とか大嫌いだからなあ)

…まあなんか、そんな僕は何故抜け出せたのだろう?友人の同居人が自殺した話だって聞いた。中学時代のクラスメイトが焼身自殺した話だって聞いた。何故僕は生き残っているだけじゃなく、こんなステージに立てているのだろう?運が良かったのか、はたまたやはり音楽やサッカーのおかげなのかなあ?音楽があったから出会えた人も居て、出会えたから再会出来た人が居て、音楽があったから繋がっている人も居る。どの音楽が良いかなんて、大したことじゃない。でも、ロックミュージックがあったから、僕はここに居るし、皆もそこに居るんだなあ、って思った。

音楽に携わる仕事を経験した中で、今回の事件があって思ったこととしたら、“音楽に優劣をつけることなんて、きっとそんなに大したことじゃない”ってこと。じゃぁ僕は何で音楽に携わるメディアに今後も憧れるかと言うと…音楽っていうメディア、音楽っていうコンテンツ、音楽っていう情報が、人と人を繋いで、人を前向きにさせるツールに成り得ないか?人を救うツールに成り得ないか?僕はそれを少しでも手助けする仕組に加担出来ないだろうか?そう、僕が音楽に救われたように。救われる手段を届ける為に、僕に何が出来るだろう?…っていうことかな…?

“良い音楽を届ける”とか、“アーティストとファンを繋ぐ”とか、そんなことよりも、もっと大きなところ…いや、もっと身近なところだと思います。そうだな、別に音楽で人と繋がらなくても、僕はthe pillows単体に救われていた気もするから(笑)なんかね、そういう部分だと思う。“だから、音楽を批評することなんて、それが救いになると思えないからくだらない!”ってことも思わないわけじゃないけど、どっちでも良くって。まあね、“良い音楽を届ける”ってことは、僕じゃない誰かがきっと届けてくれる(笑)信頼出来るリスナーも幾らでもいるから。

アーティストとファンが繋がるっていうところも…僕はそんなに興味が無いのであれだけど…以前、「男性のミュージシャンは(女性のファンは)、ファンと付き合えるし(アーティストと付き合えるし)、ファンとやれるけど(アーティストと出来るけど)、女性のミュージシャンは(男性のファンは)、ファンと付き合わないしやらない(アーティストと付き合えないしやれない)」みたいなことを書いたこともある気がするような、いじけた人間なので(笑)男性の音楽ファンとしてはマジでそういうのクソ食らえなので、そこに加担したいと思わないんだよ(笑)

まあでも音楽に限らず優劣をつけることは人の性かもしれないから、そこを排除するのは無理なんだろうけどなあ。僕が音楽の話――どのアルバムが良いとか、そういう話をしないのは、そういうのって優劣の話になりがちで、僕はそういうのが好きじゃないから。音楽の情報は僕にとって自分で収集するのが楽しいだけで――でもそんなことでも音楽業界の人にそれを話すと喜んでくれるから、それが僕は嬉しいし、好きなんだと思う。具体的なイメージが描けているわけでは全く無いんだけど、音楽が好きである根本と言うのは…そういうところなんだろうなと思った。

そういうことを考えていたら、何故僕が音楽に関わる仕事をしたかったか、その為なら頑張れるかってことが分かる気がする――いつかは死ぬんだから、それまでに世の中や人に対して貢献したいと思えることって、そういう部分なんだろうなって。それってほんと、音楽の売上げが落ちているとかそれをカヴァーする為の仕組とか本質はそこではなくって――だからそれはまだどんどん潰れていっても構わないし…。音楽業界都合の為じゃなく、メディア都合の為でもなく、“あの頃の僕みたいな”部屋で好きな音楽を聴いているリスナーの為のことがしたいんだと思う。

さて。今回の事件で、改めて僕はピロウズに救われたのだと、思わせられた。今思えば、"アナザーモーニング"で山中さわおが“どんなに淋しくても誰も迎えに来ないよ 迷子の知らせ アナウンスは掛からない 扉の向こうには約束なんてない でも行こう 生まれ変わる朝が来た”なんて、ポップでロックに歌っていたことに、どれだけ勇気付けられただろう?世界でどれだけ孤独でも、“昨日まで選ばれなかった僕らでも”明日を待ってる。ピロウズが今月表紙の“音楽と人”で山中さわおがインタビューで語っていた良い言葉があったので、最後に記してしまう。これだけでもう買おうと思った(音楽と人買ったの初めてかも)。「そう、僕もきっとそうだ!」僕にとっての“絶望に効くクスリ”は、ピロウズだったのかもしれない。


“僕はそこで、世の中を変えるんじゃなく、まず、自分を変えたんだ。ピロウズを知ってもらうきっかけを作るために、頑張るだけ頑張ろうと思ったら、変われたんだ。”/“うん、変われるんだよ、みんな。俺みたいなのが変われたんだから、変われないヤツなんていない。それは自分を曲げるとかじゃない。俺も真ん中にあるものは何にも変わってない。それを伝えたいから変えるんだ。誰もわかってくれないんじゃない。自分が変わろうとしてないだけなんだ。だから誰も受け入れてくれないんだよ”