ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

いたい、いたい、いたい、いたい?

そりゃそうだよ、当然痛い。というわけで、“痛い”話に思うことが止まない。前回、ちょっと客観的っぽいニュアンスで書いている部分があったかもしれないけど、でも何でも基点となっているのは主観で――高卒で割と透明だったり割とグレーな時期があったくせに、音楽の仕事がしたいだなんて夢を追いかけて東京へ出てきちゃって、25にもなったくせに昔の夢を見てしまったり、ずーっと一人で居て、渋谷系なんかが大好きで、女性ものの服を見に行ったり、一人カラオケで歌った曲数がカラオケ館吉祥寺南口店で月間4位になってしまったり、ピロウズのライヴで涙が流れたり、そんな“痛い、痛い、痛い、痛い”僕を守りたいが為なんだよね、結局。

音楽だけで人を見下せる程偉いのなら、結局僕にとって今の居場所は相応しくなく、住む世界が違う人たちが集まっている場所なんだな――ってすっごい落ち込んだから…強がってみせてああいうニュアンスにはなっているのだと思う。でもやっぱ僕は、人を見下ろせる程高尚で選ばれた人間にはなれないと思うから…ね。ELLEGARDENの"Missing"でグッと来るし、ap bank fesのTシャツだって着るし、hide memorial summitのTシャツ着てる人と一緒にグループ魂の"Over 30 Do The 魂"を熱唱するしさ。(この曲を知っている人は駄目さが分かるかと…)

例えば年を取っていくミュージシャンを、自分も歳を重ねても好きであることが痛いのなら…ピロウズだってあれで平均年齢43歳ぐらいのバンドだ(笑)今後もし落ち着いていって"LIVING FIELD"の頃のような路線になってもきっと好きだけど。前回のその世界的なバンドだって、多分彼らが居なかったらフジロックの今年のGREEN STAGEのアーティストの1/3、ホワイトとレッド含めても1/4ぐらいは居なかったと思うけれど…、もう結構な年齢かと思うけれど、全然痛いと思えないしさあ。

…まあでも、それも結局は僕の主観なんだけれど――僕の主観で言うとさ、年を取ってその年相応のバンドを聴いていることより、僕が年を取っていっても、若い女の子バンドばっかりが大好きだったら――嫌だなあ、って思うんだよ(当然、そういう人も居るんだけれど。)。僕が今、チャットモンチーと、pop chocolatと、オレスカバンドと、PINK☆PANDAと、スキャンダルが好きで――みたいな感じだったら、きっとそれを見る僕じゃない人は、「どうなのこの人」って思うと思うんだよ。で、2年後にはまた新たな18歳や20歳や22歳の女の子バンド追い掛けてるとしたら、どうだろうって思うんだよ。…これはあくまで他の人を指しているわけではなく、「もし僕がそうだったら周りの人の目は――」という仮定のものだけれど。

だからなんだろな――自分がそう思われるとしたら嫌だなあって思うから、人に対してそう思いたくはないなぁって思うんだよ。(…その中でグルーピー云々は、男の音楽ファンはなかなかどうしようも無いので分かれないし、絶対男の音楽ファンはそれに対して良く思わないものと思うので、ああいうニュアンスになるけれどもね。なんか別にモテたくてバンドやるわけでもないと思うだけにああいう世界は解せないというか。)←とは言いつつ、嫌悪感は嫌悪感しか生まないから。いがみあっていても、何も生まれないから…その要素となるようなことは嫌なもので…。

まして自分の場合――今日「無敵の人」って言葉がYahoo!のトップに躍っていたけど、そうもなれない、そんな勇気も言葉も無い、行動も起こせない、ただ時間だけが過ぎてゆく、もっと生活に絶望感を抱いている人を…リアルなものとして知っていたし、感じてきているわけだから――でもそうであっても、音楽は希望であったわけで。そうであっても、平等に良い音楽の情報は届いてほしいし(届けたいって思うし)、、平等に音が響いて欲しいと思っている――自分がそうであって、それがあって、先に挙げた人と話せたということへ繋がっていったわけだから――。

“忘れてるフリはしない。心は本当でいたい…、約束だもんな。”って正にその通りな気がして。僕はあの頃の自分を決して忘れることは無いだろうし、背けたくないって思う。目に見えるものより――それより弱い存在だって、目に見えていなくとも幾らでも知っているから。そんな存在でも僕はバカにしない。だから軽々しく見下す言葉を吐かれると、少なからず許し難い、受け付け難い気持ちになるのだ。やっぱり僕は、ブランド好きな高尚な人に媚びられる人にはなれないよ。でも少なくとも、その為に別のものを貶める必要は無いはずだ。(手段としてあっても)

…僕は一度「何の為に仕事ってするんだ?」みたいなこともすっごい考えて会社を辞めたという経験を既にしているわけで…、だから今でも「何の為に、誰の為に、仕事をするのか」みたいなことは、常々考えているわけです。その先には、やはりそういう…16の頃、18の頃、20の頃、あの頃の僕のような存在であっても受け入れられるような、届くような――みたいな気持ちがきっとあって。立場的に、僕は色んな人の為に働ける立場だ(だから、“ニュートラルでありたい”ってずーっと必要以上に言い聞かせてきているんだけれど)。でも、それが人を見下す為の、人を同じ人と思わない為の、人を貶める為の、嫌悪感を生む為の仕事なのか――って思ったら、すっごく虚しくなったし、そういうものを生み出したくて、こういった仕事をしているはずじゃない――って思うんだよ。元々それが嫌だったんだから。

…まあなんていうか…見下す発言を誰かがしていると、別にそれは僕じゃないんだろうけど、多分僕はその見下されている対象よりも底辺に居た存在なわけだからさ、尚存在否定されているように重ねることが出来る。ま、毎回毎回そんな重ねる程被害妄想の持ち主ではないけれど――それを自分を棚に上げた自我を保つ為のものと感じたら、反発心が生まれるんです。たぶん。色んなことに対して“仕方ない”って頭では分かっていても、心はついてきていないのかな、ということを考えていて。ちょっと弱気になりつつあった時だから、自分なんかここに存在するべきじゃないな、と間接的に示される/考えさせられることには、…落ち込んだ、やっぱ。

“誰もわかってくれないんじゃない。”とは言え、こんな感覚はなかなかわかってもらえる感覚でもないのだと思う、僕が通ってきたものが多分今の環境では特殊だから。なのに、夢を見てここまで来て、痛い。…ちなみにブログ復活したんで改めて書くんだけれど――今回これ絡みのエントリは勿論日常にあったことが元となっているので、特定のモデルが居る。それに対してすごい反発したことを書いているわけだけど、決して見られていないところで書いているつもりわけじゃなく、“見られても構わない”ことを書いている。その姿勢は変わっていないですよ、と。

“見られているかはわかんないけど、直接伝えずにも伝わるんだったら楽。”なもんで(笑)これに限らず…心は本当でいたい。ので、万が一僕が誰かを傷付けようとも誰か傷付こうとも、別にいつかそうなるということ。それが今だろうが後だろうが、同じだ。なら早い方が良い。それで分かれないんだったらそれまででしょ。本当はさ、すっごい伝わって欲しいけどさ。(何にしても)自分の伝え方が下手だってのもすっごい分かるんだけど。でも、すぐ変われるもんじゃないし。変わられるまで、不条理なものに媚びていられるかって言ったら、それは出来ないもの。

…まあそれも自分の弱気の裏返しだよなーってのは先週半ばからの落ち込み気味な気持ちを考えれば思うし、週末本当は誰かに会って弱音吐き出したいって思っていたんだけれど誰にも会えなくて。結局は、こんな…普通やそれより良い道を歩んできた人には届きもしない僕なんかでも、歩める道があるはず――っていう足元を確認したくて。誰かに大丈夫だって、必要とされたいだけなんだと。「ほんと、なんでこんな僕がここに居るんだろうな――」って考えつつも、…逆に、人に軽くでも弱音を吐いてもらえるうちは(今日そんなことが)、自分の弱気は見せずに、同じ笑顔や、同じ悲しい顔を、していたいって思うけど。“こんな僕でも、それでもいつかまた届くはず”…って信じてるから、やっぱ日々生活してるんだろうなあ。

7月になり、さすがに暑くなってきて、夏だなあ〜…ということを思い始め。昨年、7月の第2週からひどい風邪をひいてしまったので、今年は気をつけなきゃな…と思った矢先、第一週から身体がひどくだるく、一気に気温の上がった金曜から完全にやられてしまい夏バテモード。徐々に喉にもきている感じで、たぶんこの感覚だと週末に熱を出しそうな感じ…。おとなしくするしかないや…というか、週末に山が去ってくれればまだいいのだけれど。来週平日に持ち越すと厳しい。「ここから末に向けて忙しくなるんだから…」なんて話していただけに。人に“頑張ろう!”って言われた矢先にこれなのでね…仮に熱出てなくても極力歩き回ったり疲れるようなことはせず、空気がきれいで過ごし易いところに身を置こう…と思う次第。

…病は気からなのだとすると、ちょっと弱気になっていたからかな〜なんてことも思い(昨年も同じこと言っていた気が)、症状は今のところ昨年程ではないにせよ、デフォルトの状態で身体は昨年よりも弱くなっている気はする(笑)昨年体調崩していた時は、来年頃には部屋に来て心配してくれる人が居てくれたらなあ、と思っていたけれど、結局居なかったな(笑)それは残念としか言いようがないけど。あとはフジのグリーンの木陰でシート敷いて手を繋いで一緒に眠りに入ってくれる誰かが居るんじゃないかと思っていたけど、結局居ないしな(現時点ではそもそも行けるかわからんけど。というか前日夜までわかんない)。そんなもんかなあ。

ただ、ちょっと落ち込んでいたところに、ある外の人に「iPhone用のコンテンツって何か考えている?」という話を振られ。まーーーったく何も考えていなかったのだけれど、なんかそれについて話していたらそれが面白くって。なんだかすごく元気をもらいました。単純。…で、ふとiPod Touch用のコンテンツのある某サイト見てみたら、丁度“開発スタッフ”の募集が出ていたので見てみた。(曲解されるとあれなのでそんな気は全く無いですよという前段の元、単純に世の中的にどういう環境/どういうスキルを必要としてるんだろな、それがどの程度の額なのかな、みたいなのは常に興味あるので)、条件が自分にピッタリ過ぎて笑ってしまった。

そんな気は全く無いですよという前段は念押しするけれど、でもやっぱ僕はすごく単純にウェブが好きなところがあるから…何作るのに幾ら掛かるのか、みたいなビジネスライクな話をしているよりは、時間もらって自分で作る方が好きは好きだと思う(だから、たぶんまたいつかそういうことをすることになる気はする)。軽いフットワークでもっと色々面白いことが出来たらなあ、ということはやっぱり思うし――まあそう言っていられる程の余裕が無い現状でもあるし、プログラミングの腕が鈍っているなーってのは久々に触ると思うんだけれどね。現状はAction Scriptを書けるわけでもないからなあ…多分今後はFLASH触れないと厳しくなるかな。

そこ的には良いプロモーションをした後だからいっぱい募集あるんだろうなーとかそんな風に考えたり、これだけPR出来れば人云々じゃなく会社を買いたいって人も現れるんだろうなあ。リアルな話、別の某サイトさんはいつのまにか親会社が変わっていたので…知らない間に世の中って動いているなあと。うちも親会社の動きの中の扱いからすると――1年後にはそういうことがリアルに起こり得ていたりしてな、なんてふと思った。客観的に考えると、1年前と比べてもうちがここにある理由がより無くなってしまっている気はするし。1年前の状況では吸収されるんじゃないかって怯えていたけど、なんかもうそうですら無くなってしまったかなあ。

まあでも、何がどうなるかが幸せかはわかんないからね。状況としてはより良くなるかもしれないし、やりたいことが出来るようになるかもしれないし。今より会社が家から近くなるかもしれないし。好きな街に戻れるのかもしれないし。でも複雑なもんで、親会社の人たちから離れたくないなあとは思うんだよね。せっかくフットサル仲間やカラオケ仲間やフェス仲間が出来たのになあ…。まー僕はいいとしても(と、さらっと思えてしまうのは、でもやっぱどこか「そん時自分がどうなってるかもわからんもんなー」みたいな不安定なところが消え去らないからだろうけど)、完全に親会社の子たちと馴染んでいる新卒の子とかは、辛いだろうねえ…。

今回東京へ来た時、引越し資金で一度は底を突いた貯金も4年ぶりに大台に乗ったのでちょっとした満足感がありつつ…それが絶望して地元へ帰るための引越し資金となるか、希望へと向かえた都内での広い部屋への引っ越し資金となるかは、ほんとこれからまた三ヶ月や半年や一年の…自分の積み重ね次第なのだろうな、と思う。しかし実家に居た頃はこの額を1年強で溜めたのだからすごいなーと、今になって我ながら思う。21の頃にそんだけ溜めてたんだから偉いなあ(…逆にそれだからその後また何ヶ月も何もせずに暮らしちゃったんだけど(笑)今となってはあの期間もありだったんだろうし…)。今なんてボーナス無かったら絶対無理だもの。

表題のフレーズの元である中村一義の"セブンスター"、この曲も僕が一番駄目な頃に聴いていた一曲。同じアルバムに入っている"Yes"という曲の…“前の老夫婦が手と手繋ぐように”というフレーズが大好きで。10代の頃、“20代になっても、30代になっても、40代、50代になっても、おじいちゃんおばあちゃんになっても、手を繋いで歩きたい”みたいなことを言っていたなあ、なんてことをふと思い出して。さすがに今は年を取っちゃったので同じこと言うのは恥ずかしいけど、考えていることは別に変わってもいないな(手を繋ぐのがたぶん一番好きなんだと思う)。こんな考えも、ちょっとスカした人から見れば見下されるような感覚だろう(笑)今でも人と歩く時はつい左側に立ってしまうのは“右手に君の左手”なのだね。

…でも10年経っても世の中はポイズンなので言いたいことって言えないもので。これは重みが全然違う話になるんだけど、たとえばの話とするけれど――日々の中で割と頻繁にパンツから下着がはみ出ている女性が居たとします。それに対して割とずっと“これはわざと見せるようなファッションなんだろう”と思っていたのだけれど、ある日、はみ出ていたものが「いや、これは見せる用じゃないだろう」と思った日があって――じゃぁ、まさかそうなっているってことに気付いていないってこと…?だとしたらそれって見せてる側も目に入ってしまう側も恥ずかしい…。

でもさ、そんなこと絶対男性からは言えない話で(笑)「いや、さすがにこれは、(この人的に)良いのかな…」と思うにしても、言えるわけがない。男性的にはね、…何と言われようが“目に入ってしまう”ものだと思うんだよ、こういうの。目のやり場に困るというか…ムッツリかシャイなのかどっちなのかってとこなんだけれど(笑)見せているものなのか、そうじゃないのか、分かれるものじゃないし言えるものでもないので、これは何気に困るな…てことを思いました。たぶん皆その空気読んでる。グループ魂の"パンチラ・オブ・ジョイトイ"を人と一緒に歌ってゲラゲラ笑っていようとも、いざ現実でそれがあってもすごく醒めるというか…。

僕個人の趣味として、セクシーやグラマラス系の女性のファッションには全然グッと来ない人間なので、丈の短いシャツで腰周りがさらされている人を見ても、なんかこう…“目のやり場に困る”のもそうなんだけど、ぶしょったい(“だらしない”の方言)と思ってしまう。だから丈の長いスカートとかふわふわした感じのとか、そういう女性のファッションが好きなのだろうし(ずっと“FUDGEが好き”って言ってきているけれど)、またはそれが好きだからああいうものをだらしなく感じるのかもしれないし。会社のデスクにMEGのCDを飾っているけど、別にセクシーさやエロさが好きなのではなくって、“装苑”的な方面の方が好きなのであって。

…とは言え、セクシーとかグラマラスを出すのは女性の武器なのだろうから、それにグッと来る男性が非常に多いのも分かるのだけれど…僕は女の子っぽい方面のファッションがやっぱ好きなのだと思う。僕として、相手にそういうところが無い方が、気を遣わなくて楽って意識があると思うんだよね。それはたぶんシャイな自分から来ているところで、でも目に入っちゃうところは、ムッツリから来ているところで(笑)なんか…見えていても構わない程のファッションならば、こっちも最初からそう思えるけど…そうじゃなかったら変に気まずいじゃん。仮にそれ言ったら絶対良く思われないわけだから(笑)こっちが悪いのかよ。みたくなるでしょ。

先日、親会社の中で圧倒的に一番かわいいと思っている(けど人の評価はそうでもない。なんか、やっぱ浮いている女性に惹かれるところが僕はあるのかもしれないけど。)女性が、(僕の記憶では)黒くて長くてふわふわした感じのスカートを初めて着てきていて…合いまくっててもっのすごくグッと来た。…でもそれ以降着てきてないから、合わないと思ってやめたのかもしれないけど(想像)、ああ、絶対合っているしかわいいから良いって伝えたいけど伝えられないこのもどかしさ。

…でも人の顔が見える程僕は目が良くないので(←コンタクトすればいいのに)、それでも勝手に“圧倒的にかわいい”と思っているんだから、よっぽどその人の雰囲気と髪型とファッションが好きなのだろうなあ。カーディガンを好んでいるところや、シャツの一つ一つすらそうだし、毎日お昼は一人で出て行く姿も(ピロウズで言うところの"GIRL DON'T CRY"的な!)、黒のショルダーバッグも、ほんと好き。(あとは定かではないけれどタメであるらしいというところもすごくプラス)

まあ(一年間ずっとそう思っているけれど)接点も無いしたぶんこのまま話す機会は無く離れ離れになるものだと思っているから、そういう期待も一切無いしそれへ向けて動くことも無いだろうし。それに対して恋してんじゃないのって言われるとよくわかんないけど。見ていると癒される、僕のアイドル的な存在であるのは確かです。(“見ているだけでいい”とかお前はどこの中学生だ、と前に言われたけど(笑)立場的に…面倒臭いことにはしたくないものなあ。何でもそうだけど。)