ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

ぼくらが旅に出る理由は、だいたい百個くらいあって【甲府編】

今期の青春18きっぷの残り1回分を消化すべく、甲府へ行ってきました。大吉のおみくじに記された“旅すればする程良い”的なメッセージを完全に信じての行動もあり、昨年札幌、仙台と行って非常に楽しかった流れで、今年は色んなところへ行きたい。と思ったが為の行動でもあり。そもそも起きるのが遅かったせいで色々後悔もありつつ、でもやはり楽しかったので。最後にほうとうを食べながら「今年は一月一旅を目標にしよう。」なんて思いました。勿論、サッカー観戦の為の遠征やフェスでの遠征を含め。ということでTravelカテゴリを新たに作ってみる。(そして過去の遠征っぽいものにも付けてみました。)

さて、今回は目的があったわけじゃないのでどこでも良かったんですが、何故甲府へ行きたいかと思ったかと言うと、“中央線で立川以西に行ったことがないから、それより西へ行こう”と思ったのが一番大きなところ。別に武田信玄ファンとかそういうのは無いので。そもそも徳川家康のお膝元で生まれ育ってますし。八王子から八高線で高崎…というコースと迷ったんだけれど、路線図を眺めていて…甲府まで行けば選択肢が広がると思ったんだよね。何となく中央本線で名古屋まで行く道筋も見えてくるし、何気にちょっと憧れの飯田線への道筋も見える(いつか飯田線を下って帰省してみたいのですよ)、あとやっぱ行ってみたい松本への道筋も見える。

高崎は、土曜日に高崎FLEEZでonsaのライヴがあったので、それ見るって目的で行くのもいいかなーって思ったんだけど、まあ土曜に他の予定を入れてしまったのもあるし、逆にまたなんか違うライヴの時にそれ目的で行けばいいんじゃないかと。高崎も21時40分ぐらいに出れば吉祥寺まで帰ってこれるし。その時に行きは八高線で行ってみればいいんじゃないかなぁ、と。そう決めたのが昨日。因みに先日、スターズのライヴの前日だったかな…スターズ好きな子に「ライヴ行くの?」なんてメールしたらば「今日からヨーロッパへ旅行してくるので、スターズは行けないんです」なんて返ってきて…スケールが違うなあと思った(笑)でもいいのです。

そして今日。午前中には吉祥寺を出るつもりで居たのですが…僕に休日に早く起きろなんて半ば無理な話で。普通に13時まで眠った。吉祥寺を出たのが14時45分。うーん、本気で観光をしようと思うなら前日入りしなきゃダメだわ(笑)、仙台でそうだったように(まぁ仙台でもお昼まで眠ってたんですが…)。札幌では徹夜だったわけだしね…。さて、三鷹で中央特快へ乗換えて高尾まで。その間、立川を出た時にはちょっと未知の域に踏み込めた気分になったり、その後の…豊田とか八王子になると、なんていうか、普通で。それこそ東海道線の…磐田、豊田町、浜松…そんな景色を見ているかのよう。西八王子なんて舞阪みたいな感じ(笑)

f:id:airgyan:20090118172414j:image高尾で大月行きに乗換。高尾以西になるとこんな車両なんだ!これも古い東海道線みたいな感じ。相模湖も…古い観光地みたいな駅前のように見えた。結局今回は八王子や高尾で降りることはなかったけど(起きるのが遅かったせいで)、でもこの辺はまた東京近郊フリーきっぷでも買って来よう。本当にまだまだ知らない東京ってまだまだあるよなあって実感。別に今日山梨県まで行ったところで、青梅線五日市線にはまだ乗ったことがないわけだし。私鉄でも、西武国分寺線とか、池袋線も多分乗ったことないな。都電も乗ったことない。乗ったことがない路線も、行ったことがない街も幾らでもあるわけです。色んな街へ行ってみたいなぁ、と改めて思った。

なんかね、前も似たようなこと書いたことあるかもしれないけど…僕は大学で東京へ来てその延長で暮らしているのとは違うので(←やはり地方から出て一人暮らししている人はこういう人の方が大多数だと思うので)、“お金を払って東京で暮らす時間を買っている”みたいな感覚はあったりするし、昨日も「多分いつかは浜松帰ると思う、30歳の時か35歳の時か40歳の時かわからないですけど。東京での経験を地元に還元出来るのならしたい」みたいなことを話していたんですが(そう決めているわけではないけど)、だから…せっかく東京に居るのなら、その間に色んなところへ行っておきたいなと思うし、色々なことを体験したいな、とは思っています。

ってところで話が飛ぶんですが、地元が同じ友人とごはんを食べた時、彼女のことで愚痴っていて。その友人は前から地元帰りたがってるんだけれど、彼女はずっと東京で、一人暮らしをしたことがないから家事が出来ないし金銭感覚も違うと。そのくせ、(年上というのもあり)結婚願望だけは強い。「でも、家族と暮らしてたら、ふたり暮しになることすら、生活のグレードダウンじゃん?」なんて言ってて、その通りだなーと思った。一人暮らし同士なら、ふたりになるのは“自由度が減る”以外はメリットが多いと思うのです。金銭面でも家事の負担面でも空間の雰囲気面でも。でも一人暮らししたことない人は、一人暮らしの苦労は知らないわけだから。

特に僕なんてものすごく節約したがる方だから、考えが甘い人とは絶対合わないと思う。エアコンを一切使わない意味も、毎朝、省エネタップをOFFにしている意味も理解し難いだろうし(笑)、掃除も、一人暮らしの部屋なんて広くなくても、風呂トイレキッチンベランダ…全部一人でやるとやっぱ広いし。そういうの分からない人にいちいち言うのとか面倒臭いしね。というのを色々考えると、「東京で、静岡、浜松出身の人と出会えたら…利害が一致し易いと思うので…運命って言うと思います!」と前に話してた(笑)完全に損得勘定でしかないじゃん!っていう(笑)もうほんと面倒臭いので同窓会とかでいいと思ってるんですが。呼ばれないんだなあ(笑)

さて。高尾を出てからは渓谷ばかりで、なんか本当に電車の外を眺めていて面白かった。大月に近付くにつれ、所々雪も積もっていて、なんかちょっと嬉しかったり(甲府は全然積もっていなかったけど)。結構ずーっと窓の外を眺めていて…そういえば考えてみると、“目的のない旅”というか、ライヴだとかサッカーだとか買い物だとか誰かとどこかへ行くだとか誰かに会いに行くだとか…そういうのが全く無しにどこか遠くへ行くことって、初めてな気がする。今までは基本的に少なからず何かしらの理由があったと思うんだけれど…今回はほんと全くゼロだったので。別に“甲府の近郊のどこどこへ行きたい”とかじゃないから。甲府まで行こう、ってだけ。

その程度の予定でしかないから、甲府着いたのが17時頃で空も暗くなり始めていて(天気も曇りだったし。)、街も人がまばらだし(浜松と同じで駅前に人が集まってないだけかもしれませんが…)、甲府城を写メを撮ってみても真っ暗だし…ってな感じで…まあ今回は行くことが目的だったわけだから、到着した時点で満たされたといえば満たされたんだけど(笑)、ちゃんと予定をしっかり立てておけば絶対もっと楽しめたよなあ、と思いました。何より、先日人に「甲府へ行ってみようかと思っている」って話をしたら、「私も秋に甲府行ったんですけど、昇仙峡がすごく良かったです」みたいなことを言われたことを…甲府着いて観光マップをもらったところで、思い出して。さすがにもう昇仙峡行きのバスは無くって…(もうどうせ真っ暗だ)。観光情報の写真見て、あーーー行きたかった…って思わされました…。

あとは、甲府まで来ちゃえば電車も松本行きがあるんだよね。2時間掛かるけど…甲府まで来てしまえば、なんてことはない気がする(と思うのは、つい先日各駅電車で浜松を往復したばかりだろうなあ。4時間半の道のりにも慣れているから)。だから本当に朝早く起きれば、松本まで行って日帰りだって出来たはずだし、甲府まで来て帰りは身延線で富士まで出て…みたいな無駄な遠回りだって出来る時間があったはず。その何もかも、17時に甲府着では実現が難しかった…。20時58分の高尾行きで甲府を出るまでの約4時間の滞在時間、甲府の駅前商店街探索と、甲府城へ一応行き、名物のほうとうを食した、それだけと言えばそれだけの4時間。帰りに甲府で手に取ったフリーペーパー読んでたら、駅前の商店街が空洞化しているのは確かみたい。大都市で無い限り、地方都市はどこもそうかなぁ。

とりあえず駅から歩いていたところにあった風林火山ガーデンという観光プラザみたいなところの“甲府バンザイ、信玄バンザイ”感は、仙台の伊達政宗のそれをゆうに越えるものだった(笑)下の「武田の時代のトークショー」って画像、ボタンを押すと歴史の人物の台詞が流れるんだけれども、徳川家康も「武田信玄は一番怖い武将じゃった」みたいなことを話しているわけ。他者を使ってまで信玄を持ち上げるか!(笑)なかなかそこまでのことって出来ない気がする、逆に。なんか、是非ヴァンフォーレにはやっぱ頑張ってもらわなきゃいけないんじゃないかと思った。色々後悔もあるからまた甲府来たいけど、来年甲府との試合見る為に来られたらいいな。と思っています(その舞台がJ1かJ2かわかんないけど(笑))。んー、まあ浜松は結局家康に見捨てられた土地といえばそうだからなあ…なんて思いつつ(笑)

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最後、駅近くの大きいお店でほうとうを食べる。松茸ごはん、かぼちゃほうとう、漬物で1,500円。甲府でお金使ったのって結局ほぼここだけなので(あとは帰りに一つペットボトルを買っただけ)、ほうとうを食べに行っただけのようにも思える…。仙台でも牛タン食べて、なんか別に僕はそんなグルメな旅をしたい人間ではないのだけれど(笑)、でもせっかく行ったのならね。美味しかったけど、少食の僕にはこの鍋いっぱいに入ったものを食べ切るのはかなり大変だった。せっかくだからと思って全部食べ切ったけど、軽く吐きそうだった(笑)でも美味しかったです。むしろ他のメニューを頼まなくてよかった。吉祥寺までの最終は22時07分甲府発高尾行きなのだけれど、その二つ前の20時58分高尾行きで甲府を発。高尾で東京行きに乗換えて23時過ぎに吉祥寺。あーなんか本当にあっと言う間の小旅行でした。

ちなみに吉祥寺から甲府までのJRの乗車料金は1,890円(今日は18きっぷだから関係無いけど)。この料金は浜松から富士、浜松から名古屋と同じなので、そう考えると「旅行?」って感じでもあるんだけど(笑)、まあでもこのレベルの遠出を今年は色々してみたいなぁと。先の方で書いている東京近郊フリーきっぷもそうだけど。相模線とかも乗ってみたいし、「鎌倉とかいいよ」みたいな話もしたし。2月はこの試合のついでに、鹿島神宮とか…あと千葉とかその辺の街にでも行ってみたらどうだろう、なんて考え中(でも、試合は鹿島が勝つに決まっているよなあ。でも、磐田オールスターズに負けてほしくない気持ちで見るわけだよなあ(笑)複雑です)。


月曜。いつも通り遅くまで働き、仕事を終えてジャスコに寄ったのが22時半過ぎ。いつも通りサラダや麦芽コーヒーや納豆なんかをカゴにぶっこんで店内を歩く。すれ違った子が「今の子オシャレさんだったなあ、というか同じヘッドフォンだったような。」と思ってつい振り返ると、向こうも振り返ってて…一度じゃなくもう二度ぐらいそういうことがあって、軽く恋に落ちました(僕が)。カメラの中3秒間だけ僕らは突然恋をする的な気持ちに(笑)レジ行くタイミングも偶然か一緒で。一日一回こんな気持ちになるのも悪くない?そんな気持ちにタイトルを付けるのなら、そうだなあ、“SUPERMARKET FANTASY”なんて…え?もう使われている?そっか…。

まあ、ジャスコ出た時点で既にどんな服だったかも忘れたのだけれど、でもきっとまたこのジャスコでこれぐらいの時間にクリーム色のパナソニックのあのヘッドフォンをした子が居たらきっと思い出すんだろうな。よく書いてますが、(僕は目が悪いから)人の顔はなっかなか憶えられない。そもそも見えてないので。だから人の姿形を判断するのは背丈と格好なのですが、以前も“ヘッドフォンで人を憶えていた”ってことを書いたことがあったなぁと(笑)ZUMREEDの(初代の)ヘッドフォンをしていた子。ZUMREEDは音が良いとは全く言えないですが、だからこそ着けている人はコダワリを感じる。音が悪くてもこれが良いという…意地というか根性というか。

んでもって、そんなオシャレな子なのにジャスコで買い物、ってのも良いわけですよ。その庶民性が見えて透けてしまうところが(笑)これも僕の価値観なんだけど。価格は高いのかもしれないけど何も面白みのない格好しているんじゃなくて…実は価格は安いんだけど、でもすっごい「オシャレだなあ」って思う人の方がどう考えてもいいっていうかさ。なんだろう。「似たものなら、価格が高い方が価値が高い。」のではなく、「似たものなら、価格が安い方が(コスト・パフォーマンスが高いのだから)価値が高い。」ということだと思う。わかんないけど。ジャスコで買い物して節約してる分、服にバカスカお金使っているかもわからないですけど(笑)

そういえば一人暮らし話をちょいと上の方で書いたけど、苦労云々言いつつも、僕は“給料日前にお金で困った”、というようなことは一度も無い。3年前に東京引っ越した直後は、(自分で何から何まで払った直後だから)働き始めて以降初めて預金残高が5桁になって焦ったけど、そのレベル。一人暮らししていて、“給料日前に○○円しかない…”みたいな人は、それはそれで修羅場に強い人になりそうだけど、僕はもう絶対そうなる前にリスクを回避するというか。サッカーで言うなれば…そういう人はギリギリでゴールを割らせないGKタイプというか。僕は未然にピンチにならないように前線からプレスを掛けるMF、みたいな感じじゃないでしょうか。

前も書いたことあるかもしれないなあ、「“お金が無い”っていう人の気持ちが分からない。」みたいなこと。別に僕がお金持ちなわけでもないし、給料が良いわけでもない(と思う)。ただ、“お金が無い”って思うところまで、お金を使わないってだけ。だってまずその月の給料が入った段階で、その額から頭の中で家賃、携帯代、光熱費(プロバイダ料金、サーバー代含む)、定期代、貯蓄分が引かれて、大体今月使える金額って分かるわけじゃん。だから、そのペースに合わせてお金を使う。カードでの買い物なんて基本的にしない(全くしないわけではないけど)。お金が無いからカード使っちゃう。みたいな感覚が全く分からんのだよね。まあなんだかんだで…金銭感覚を磨く意味でも、生活自体としても、以前一人暮らしをしておいた経験は大きかったなあと。そのおかげで何も迷い無くまた東京へ来られたわけだから。

火曜。目を覚ますと頭痛と吐き気。そののち腹痛。風邪をひいた。前日の夜、「風邪ひいた。だるい」と言いつつも仕事していた後輩に割とつきっきりで色々仕事の話をしていたことが頭を過ぎり、「移ったか…」と思う。マスクもしてなかったし…。吐き気と腹痛で何も食べようと思えなかったのが辛かった。日曜にお腹いっぱいほうとうを食べて「これで0.5kgは太ったんじゃないか」と内心思ってたけど、これで絶対マイナスだ(笑)嬉しくないけど。あー、前日ジャスコでおかゆ(99円)買っておけばよかった…と後悔。水曜日の昼過ぎまで寝込みっぱなしだったので30時間以上眠ったと思う。熱さまシートってこんなカラッカラになるもんなんだな、と思った。

基本ずっと眠っていたので、イエメン戦も(テレビはつけていたけど)殆ど見ていない。岡崎のゴールは見た。それでも今季はヨンセン、永井と移籍してくるからスタメン確約とはいかないんだろうな。いいなあ清水は。あと注文していたZUMREEDヘッドフォン2代目(いや、トータルで何代目だろう…)も配達に来たので受取れた。でも夕方に部屋も真っ暗で、配達のおっちゃんも(違う意味で)心配になったんじゃないかと思いつつ(笑)、すぐ寝込む。熱と吐き気などは引いたので水曜夕方から(どうしてもしなければいけないことがあったから)出社も、お腹の調子だけは悪いまま。空腹時を避けバファリンを飲んでも、すぐお腹痛くなり。効果あんのか。

ともあれ、しなければいけなかったこと、片付けておきたかったことは片付け終われたのでよかったけれど。誰が来たのか誰が居なくなったかも見えない、見えるのは灰色の壁だけというこんな席でどう日々に楽しさを求めるのかって感じですが、それでもまだ中途半端に頼りにされざるを得ない部分がある中で…これをゼロにしなければいかんのだから大変だ。ゼロになったらそれはそれで寂しいのかもしれないけれど、絶対必要なこと。西日本へ旅行へ出掛けるまでには(歪んだモチベーション)。また旅行中に電話掛かってきても困るのはお互い様だし…。でもその時そうだったように、ケアレスミスや単純な準備不足は単純な意識の問題だからなあ…。

月曜に当日で借りたCD9枚が全て2日の遅延。しかも遅延料金って100円ぐらいかと思ってたら、250円なのね。全く馬鹿にならない…。借りてたのはMr.Childrenの新作(何人かの友人から「今作はミスチルの中で久々にきた」と言われていた中で。とりあえず"エソラ"は素晴らしく良いです)、Spiritualizedの過去作4枚、あと先日書いてた僕の中のDCPRGの穴を埋めるべくというか、菊地成孔さん2作(DUB SEXTETと、"記憶喪失学")、あとquasimode、あとレンタルにあってビックリしたsleepy.ab。借りたいCDが有り過ぎるのでTSUTAYAには行かないようにしていたんですが、やっぱり有り過ぎた(笑)こんなのは今回最低限聴きたいと思ったものを借りただけ。吉祥寺店は土地柄か滅茶苦茶充実しているのですが、そうではない会社近くのTSUTAYAもなかなか。そりゃーCD売れなくなるよ。

お腹が痛くてもお腹は減る。さすがに何か食べたいなと思って帰ってきてごはんを作ってみたものの、目の前にして吐き気が。うーむ。食べ終わったけど。しっかし、7位がtacica、8位がストレイテナー、9位がmonobright、10位がスチャダラなんて…オリコンも変わったなあ(笑)てゆーかテナーtacicaに負けてしまう程度なのね…。tacicaがこんなにあっさり売れて、シェフの立場が…。monobright、地上波のテレビに色々出ているそうだけど今のところ何も見れていないなあ…。

木曜。風邪をぶりかえした。休もうと思っていたけど、サーバーがダウンしたとかでデータセンターへ直行直帰。もしかしたら正直一番落ちてほしくなかったサーバーかもしれない。けど逆にもうジタバタしても仕方が無いと腹を括れたというか…。“自然の摂理にはかなわない”ように、ハードウェアやネットワーク障害はいつか起こり得るもので、それにはかなわないよなぁと思った。10年前からあったサーバーらしく、僕が15歳の時から今の今まで動き続けていたことを考えれば、すごいなぁの一言で。その10年でネットビジネスの規模が何百倍何千倍になっていて、うわべだけのネットしか知らない人がどんなえらそうなこと言えるようになったところで、結局はこういうところにはかなわないんだよなぁと。結局、得体の知れない機械群に大事な玉を握られているっていうかさ(笑)いや、でもなんかすごくそう思った。

この間も人と話していたんだった。「ネット上に幾ら文章や画像、データを残したところで、サーバーがクラッシュすれば全て無きものになってしまいますもんね」なんて。紙(本)は何千、何万部と印刷して発行されるものだから一部が消失したところで同じものが沢山残る(勿論マスターが消失するとかそういうのは別だけど)。データはコピーこそ無限に出来るけど、ユーザーは気に入ったページをわざわざローカルにファイルとして保存したりはしないでしょう(ブックマークこそすれ)。勿論そのマスタのデータはバックアップなりなんなりされているべきものなのだけれど。(あとは結局ユーザーのローカル自体もクラッシュする可能性があって…)

別にサーバーがクラッシュしなくとも、ドメインの期限が切れたり、ApacheHTTPDIISを停止すれば、せっかく残したものでも全て“無いのと同じこと”になってしまう。ブログやSNSのようなCMSが一般的になって以降、(ブログやmixiが流行り始めたのが大体2003〜4年頃だと思うので)5年前以前のネットのコアユーザーと比べて、ドメインの取得方法や仕組が分からない人の割合は多くなっていると思うし、無論ApacheHTTPDIISなんて言われてピンと来ない人が大多数でしょう。僕自身ネットにハマって10年ちょっと経つわけで、高校生の頃思い描いたように今こうしてネットを仕事に出来ていて、向こう数年はまだネットに関わる仕事をし続けるだろうけど…でも別にネット史上主義というわけではなくって…それはなんかそういうネットの儚さを考えてしまうからこそ、物って大事だなぁっていう。本もCDも。

データは今後より更に物に取って替わる存在には確実になるにせよ、でも絶対共存してゆくはずだしさせていかなければいけないと思う。まあ正直邪魔だけどね、物は(笑)まあ、人自体がより“忘れてゆく生き物”に変化していっているのなら、物の価値、過去の価値、思い出の価値も、小さくなっていくのかもしれないけど。なんだろう、やっぱり物ってそれ自体が“なんかかっこいい”必要があるよなあというか。それは多分カメラとかと似て…今みんなカメラ持ってるけどさ。それはなんかやっぱなんかかっこいいからだと思うんだよ。利便性、機能性、色々あるけど、でも結局“なんかかっこいいから”なんじゃないかって(笑)そう友達と話してた。

カメラが本当にそうであるかは置いておくとして(僕持ってないので。でも色々出掛けたい今年、「買った方が良いんじゃない?」と人から言われた。どうしようかな。)どこかそう突き動かされるファッション的な要素は重要だと思う。例えば音楽雑誌だとして、僕はbounceやJUICEを好きとか言ってしまうので「あーケチで貧乏人なのね」ってのが滲み出てしまうのだけれど(笑)、MUSIC MAGAZINEが好きだとかロッキンオンが好きとかSNOOZERが好きとかMUSICAが好きとかremixが好きとかLOUDが好きとかYOUNG GUITARが好きだとかSOUND & RECORDING MAGAZINEが好きだとか。そういうのってその人のファッションの一部なんだろうと思う。なんだかんだで心の奥底で、「この本読んでる自分はかっこいい」的な想いがゼロでは無いと思うのです。ステイタスになるもの。悦になれるもの。

ただまあ、ネットが物を食っていると言いながら(CDの売上枚数減や雑誌の相次ぐ休刊など)、CDなんて元々売れ過ぎていたんじゃない?とは思うし、雑誌も…僕は出版社で働いたことがあるわけではないけど、ネットの広告事業みたいなものを知る機会があった中で、広告モデルって存在を知ったのね、遅いかもしれないけど(笑)紙もそうやって食べてるんだ、って。僕も高校生の頃は素直に、雑誌って本が売れた分だけのお金で食っていると思っていたから(笑)、そういう超純粋な観点からすると、広告収入自体が“余分”だとは思うんだよなあ。あくまでプラスアルファであって、それメインで成り立たせようとすることは不健全なことのように思える。

そんなこと言っちゃったら「じゃあ僕はどうやって今後Webを仕事にして生活したいの」なんてなっちゃうので、本気でそう思っているかと言うとそうじゃないというか、“そうやって成り立っている”と言うのは理解出来てきているんだけど(そして今後更にWeb上のデータ、イコールとして音楽データの無料化は突き進んでいくのだろうから)。高校生の頃にサイトとか作り始めて“物を作って食べよう”と思った僕の中には、ネットの法整備が進んでいけば、きっともっと色んなものが課金されるようになっていくんだろうな、なんて思っていたのかも。そうしたら意外とそうじゃなかった。Napsterから10年経った今でもWinnyYouTubeや違法着うたサイトはまかり通っていて、そしてYouTubeに関しては僕も見たりしてしまうわけだからさ(笑)曲もMySpaceであんなに沢山タダで聴けてしまうし。

そんな中どうやって今後Webでお金を食べていくんだろうなあ、別に僕みたいな技術者は物を売る立場じゃなくシステムベンダーとかでも働き続けられるだろうけど、でも前に立つ人たちが稼ぐモデルが見つからなければベンダーなんて成り行かない。一蓮托生なところがあって、どちらが安心とは言えない…んだけれど、でもシステムベンダー出身の僕としては「コンテンツさえ持っていればどうにでもなる」と思って、“向こう側”に憧れているわけですね。憧れだけではなく、上手く連鎖反応を起こせるような何かを僕も生み出せるようにあれこれ考えていかなければいけないのだなあと。かつて力のあった立場側というのは、得てして保守的だったりするし。

ともあれ、雑誌にとっての広告収入は神話ではなかったということだろうし、きっと今後も本を買うような人の方がリッチ・ユーザーであるのは間違いないにせよ、単純な閲覧数だけで言えばネットにかなわないに決まっているので。まだまだ力関係は変わり続けるのと、共存はしても今とは全く違う関係性になってゆくとして、「じゃあどういう関係性なのか」を考え続けていく必要があるんだなぁ、と。僕が高校生の頃にネットに感じた可能性は、(世の仕組、大人に操作をされず)“純粋に伝えたいことを伝えられる可能性”みたいなところも一つだったと思う中、僕自身も大人になって、ちゃんと毎月お金もらって生活しなきゃいけないようになった中で、そういうことを共存させていく…というのは、一体どういったこととどういったことが必要なのか。とか。憧れを憧れで終わらせられない年齢になってきた、のかなあ。

そういえば前に人とやっぱり雑誌の話をしていて「エル・マガジンって休刊なんだって。」と言われて。僕も「ええ、そうなんですか」なんて言ってたんだけど、…内心ピンと来なくて(笑)でも趣味の合うその人が当たり前のように言うのだから、僕も知っているはずだろうと思い込んでその日は終わったんだけど、後日全然違うタイミングでHMV渋谷店に行って雑誌コーナーを眺めていたら、その休刊前最後のエルマガジンがあったのですよ。どんな本かと思いめくってみると、京阪神の情報マガジンでした。浜松で言うとTanHAMA、と言うと分かり易いか(もっとローカルだ)。そりゃ、関西出身のその人は当たり前に言うわけだし、僕は知らないわけだ…。

とか、頭痛と腹痛に挟まれつつなんかそんなことを考えていた今週でした。ハードウェアにはかなわないし、そして情けないながら腹痛にもかなわないなぁと。その故障したハードウェアは、正直まだまだ厳しい状態ながらサポートのかたにより復旧。諦めかけていたのでよかったです。影響があった部分は色々あるのだけれど、今考えると、僕が知っている十数人や、僕の知らない数十人のかたがたが重ね上げてきたデータが飛んだかもしれなかった、というのが一番ゾッと来る部分であったりする。「こんなのがあったんだ!」ってワクワクしながら、僕の知らなかった数年分のコンテンツを掘り起こしていて、その為のシステム構築を独断で始めたのがもう2年前。当時基準で計算すると月のPV数は今は5倍近くなっている。もっと言うと数日で2倍にはなっていて、それを今はもう居ないすごく仕事の出来た人に言われて。

あの時は、システムは魔法だと思えたけど(大袈裟に言うとね)。でもあの時はあの時で、何もせず後悔をすることだけはしたくなくて、夢中になっていただけで。何かの為になるとか、誰かの為になるだとか。そんなことは思っていなかった。その後、喜んでくれた人も居たし、今も活用してくれている人も居るけど(検索のヤホーさんの中の人すら)、でも…自分のしたことに意味があったのか、正しかったのか?僕自身その答えや確信があるかと言うと全然そんなことは無くて、掘り起こされたくないものを掘り起こしてしまったケースだってあったわけで。そういう時含め、あらゆる部分で“一体何かの為になったのかなぁ”ってことは疑問に思うことも多々ある。一体何の為の“システム”なのか?誰の為の“システム”なのか?というのは、常々問い続けるテーマだと思います。でも今回の例だけで言えば、システムが死ねばコンテンツも死ぬ。それも一蓮托生なんだろう。せっかくシステムに期待してくれるのなら、応えられるよう頑張らなければいけないんだな、と思うな。