ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

君が思い出になった後で

チーが死んだ。自分の家の猫の名前というのは、なんだか恥ずかしくて日記に書くこともなかったし、誰かに教えることもなかった。自分が付けたわけでもないので、いつどうやってその名前になったかはよく覚えていないけど。だけど、今日が最初で最後だから。記そうと思う。昨夜、眠っている間に息を引き取ったらしい。母親曰く午前3時15分だとのこと。せっかくの実家だったとは言え、眠ったのは別の部屋。布団に包まって気が緩めば、泣きそうな気がしていたから、一人で眠りたかったのもあるけど。一人になったら一人になったで、結局のところ色々思い出しちゃって涙止まらなくて。寝付けたのは、少し泣き疲れた頃だと思う。でもきっとその頃にはもう息を引き取っていたんだろう。猫の鳴き声で一度パチっと目が覚めたけど、きっと別の猫の鳴き声だろう。

明日の朝もまだ息をしているかな、と思ってもいたけど、起きた時の家の普段通りの物音で、ああ、もう最後の眠りについてしまったんだな。って気がした。だからいつ起きるかも少し迷った。起きて、今は父親の部屋になっているけど昔の僕の部屋へ行くと、ベッドの上でもう息をしていないチーが居た。結局、“明日の朝”はもう無かった。もう仕方無いと思っていたから、その姿を見て涙が出ることはなかった。まだ少し暖かいような気もしたけど、もう息は無かった。もう耳を触っても、眠っている時のようにピクピクっとなることもない。最後の姿を暫く見届けて家を出る。明日火葬されます。これが本当に本当の最後の姿。でも、きれいな寝顔だったと思う。

11時09分の新幹線で浜松を出て、12時半に品川に到着。昨日置いておいた自転車でそのまま出社。思えば、昨日会社を出たのが20時半。そこから家へ着くまで3時間。その後、息を引き取るまで3時間とちょっと。同じ3時間でしかなかった。そう思えば、帰ったところで間に合わなかったのかもしれない。でも、間に合った。その“3時間”は、いつもと同じ、いつもあるような“たったの3時間”だったけれど、今回ばかりは永遠と等しかったのだと思う。“君が今日も 消えてなけりゃいいな”なんてフレーズが、イヤフォンの中で流れた。僕の目にチーが映ることも、チーの目に僕が映ることも、もう二度と無いんだな。と思った瞬間、涙が溢れてくる。

家を出るまでは涙は流れなかったけれど、浜松を離れる時、新幹線の中、会社へ向かうための自転車、仕事中のちょっと気が緩んで頭に別のことが移りこんだ瞬間、そして帰りの電車。少し気が緩むと涙が浮かんで浮かんで仕方が無かった。この時、“ダム決壊は来るべきその時まで取っておきたいな、という気はしている”なんて書いていたけれど、まさか3ヶ月後に訪れるとは思っていなかった。でも、その通りだったな。もうずーっと涙なんて流していなかったのに、昨日会社を出た瞬間から、今までずっと溜まっていた分の涙が流れた気がするし、今なら泣こうと思ったらすぐ泣ける。「25歳の男が泣きの話を書くのも、ねえ?」とか思ってたけど、いやあもうどうしようもないよ。ボロボロ流れるもの。それぐらい僕の人生において大切な存在であり、人生で一番影響力の大きな時期を15年一緒に過ごしたのだから。

オスなので、女性がなんとなく権力の強い我が家の中で(笑)、僕にとっては兄弟のような存在だった。どれだけ一緒に眠ったかもわからないけど、一番よく一緒に居た頃は、高校時代の3年間だと思う。中学までは野球やってたから家に居ない時間の方が多かったけど、高校になってからは部活も無く、ネットにハマったので椅子に座っている時間が長かった。その間、必ず猫は膝の上に座りに来た。何度キーボードで違う文字を書かれたことだろう。女性と男性と体温が違うのは本当なのか、乗りに来られるのやベッドや布団の中に入って来られるのは、僕が家に居る間は、たぶん僕が一番多かった、と思う。今回東京へ来てからも、帰るたびに毎回そうだったし、僕自身…いつ書いたか忘れたけど、2ヶ月に1回以上のペースで帰省し続けた理由は、それだけの回数、猫に会いたい理由がある、と書いていたはず。

週末にした最後の散歩の話は昨日聞いていたけれど、その中で…家からはちょっと距離のある川まで散歩に出掛けたらしい(母親が心配で尾けたところ)。そこまで出掛けていたんだ!と初めて知ったのだけれど、その川で僕が小5の春、同じ野球のチームの仲間やその親でお花見をした。途中から大雨になって、水位が上がった川に猫の死体が浮いていた。まだ猫は飼っていない頃で…田舎の子供なので…その死体目掛けて皆で石を当てる遊びをし出した。で、我が家にチーが(妹に拾われて)来たのは、たぶんそれから1ヶ月もしないうちだった。まさかあの川に縁がある子とは思っていなかったけど、最後…帰ろうとしたのだろうか?と少し思った。

チーが膝の上に居る間、Webサイト作って動かし続けて。奇しくも?命日となった1月27日は、バインのサイトのオープン日でしたね。丁度10年前になります。たぶん、その時もきっと膝の上にチーが居たんだと思うよ。面影のライヴへ一緒に行ったかたと、「そっか、もう10年なんだね!あの○○くんのサイトが私がネット初めて最初に行ったサイトだからねー」なんて話をしていて、10年経ってその人が話す「ナ○リーの中の人たち殆ど友達だけどさ」みたいな話も今となるとなんかすごいことのように思えるし(笑)、でもとなるとその人の今の人生って僕無しでは為し得なかったのかもしれないし、僕の夢の続きとなるお話も(そんなことに嫉妬するような要素が全く無いぐらい(笑)、僕にとっては)すごい話なのだけれど、でもそんな夢の続きの話もチーが膝の上に居た時からずっと続いていて繋がっていたものなのです。

そもそも、このブログの前身の前身の前身の前身の?Web日記の、初めて2日目のタイトルが“猫の寝顔はなんか微笑ましい”。当時は高2で、高校生の頃もよく猫のこと書いていた気がすると思って遡ってみたら、やっぱりそうだった(笑)その頃の日記も、“猫”で検索掛けると毎月必ず猫の話か“猫”が出てくる歌詞を書いている。サニタリーデイケアサービスの(笑)、"恋人の部屋"とかも。どんだけ猫がいつも傍に居たのか、って話ですよ。そんな中…「当時、あんなこと書いたっけな」と一番印象に残っている日記があって…見つけた。これだ。原文まま(改行も)、コピペします。高3の時か…こう見ると今とあんまり文体変わっていないかな?(笑)

2001年02月20日 いくつまで生きるのだろう?

昨日僕が寝る前ネットやってる時に、猫が膝の上で寝てたのだが
そりゃまた気持ちよさそうに寝てて。すーす聞こえたからね。

たまーに猫の視線を想像してみるんだけど、なんていうか悲しくなる。
とりあえず、小さな頃にうちに来ちゃったから親のこととか
覚えてるのかなぁって。うちの父さんが帰って来ると寝てても
起きて玄関に行ったりするんだけど、まぁうちの家族を本当の
家族だと思ってるのかなーとかさ。本当の親とかさ。さすがに
そんなことはないかもしれないけど(笑)まぁなんていうか
僕の膝の上で寝てる時に、本当の親の側で寝てる夢を見たりする
のかなぁとか思って、まぁなんか可哀想なのかな、と思ったり。

あと、うちの猫には家があるわけで、必ず家に戻ってくるし。
活動範囲もうちの周辺なだけで、うちの猫の友達とかは
見たことないしなぁって。喧嘩はたまにしてくるけどさ。
そういうのも、寂しくないのかなぁって。あと、去勢もしてある
から、子供も作れないから、恋人も子供も居ないんだろうし。
人間で言えば僕よりももう年上というか、長く生きてる
んだろうけど、毎日がどんな感じなんだろうなぁ、って思ったりする。

何にしてもなんか悲しくなる。かわいいけどね。
うちに拾われて来て、幸せだったのかなぁ〜?
猫にだってたった1度の人生(猫生)だしねぇ。

まぁなんかくだらない話だけどね(笑)

“幸せだったのかなぁ〜?”なんて書いているけど、今日こうして最後を迎えて。幸せだったと思うよ。きっと。そう思いたいな。猫の平均寿命が11〜12歳とされる中、しかも外で飼って、車にひかれるようなことや、他の猫や動物の標的にされることなく、最後を我が家で、家族と一緒に迎えられて。もう少しで15歳…というところまで生きたのだから、大往生だったのではないでしょうか。僕もチーに出会えて幸せだったよ。人として、飼っていたことで育ったことがきっとものすごくあると思う。今はちょっと他の猫をかわいいと思える気持ちの余裕は無いし、これだけ悲しさを知って、より(ペットが)かわいいからって“飼いたい”と流されることはなくなったと思う。でも、将来結婚もして子供も出来て、歳を重ねた頃。10年後か、15年後か、20年後かわからないけれど。その頃に、また猫を飼うことになるだろうな、って思う。

まあ、それこそ上のようなことを書いていた高校生の頃から結婚願望は強かったわけなので、むしろ猫が生きているうちに子供を見せられたらよかったのにな、ぐらいではあったりするんだけど(笑)まあ、本当にこんなにショックな出来事はもうずっと無かったから…軽い気持ちで済ますことは出来ないし、これが今年最大のショックな出来事になることは間違いないと思う。今年は、もうこれより悲しいことは起こらないと思えば、もうどうにでもなる気がします。まあわかんないよ、これで逆にまた何か手に入るのかもしれないしさ(笑)画像は生前の、週末最後に自分で外へ出た時、姉が撮った写真。1枚もらってきた。3月、暖かくなってきた時期にお墓参りするね。今後も僕の心の中に生き続けるし、もし死んでも待っていてくれるんだろうね。星になって見守っていてください。長い間ありがとう。おつかれさま。おやすみ。