ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

たとえばの話 真実に変わるかもしれない

このブログを閉じたのは、それなりの割合を占めていた音楽ネタを封印したかったから。そして日常も一旦閉じたものとしたかったから。今回こんなエントリを書いているのは、日常を綴りたいわけでも、趣味の話を書きたいからでもなく、「これはちょっとこのタイミングに書き残せないかな」と思ったことがあったから。…というより、政治の話とか選挙の話とかって人とし難いからさ。どこの誰が宗教家かわかんないから(笑)僕はそういうのバカじゃないのと思ってる方だけど、現実的にはやっぱデリケートな部分なので、こういう不特定な場所で書きたいなと思うのです。

先日、“知ってビックリ民主党 これが実態だ!”というチラシがポストに入っていた。「こういうネガティブキャンペーンって、自民の工作員みたいな人が勝手にやってんのかなー」と思って裏を見たら、裏に自民党の公式なロゴとURL。ええ?自民党がこんなこと公式にやって得することなんてあるのか?民主と自民、両方を貶めたい人がやってんのかな?実際のところどうなんだろ?と思って調べてみると、これが本当に本当の自民党による公式な文章だったということがわかった。しかも公式サイトのトップに大きく大きく載せられている。もうがっくり来ましたよ。

別に民主が頼りになるとも思っていない。けどさーーー、こんな陰謀論にコストを掛ける政党が日本の実権を握っている、というのを悲しいと思わずに何と思おう?わざわざこれぐらいの質の紙を印刷するコスト、そして人に配らせるコスト。動画なんかも制作(外注)するコスト。そんな活動の資金の一部は国民の金。一体何故こんな人たちに大人たちは日本の実権を握らせてきたのか?首相がスケープゴートにされるんだろうが、トップがこんな細かい戦略の詰めなんてするだろうか。もっと根本で腐っていて、吹き込んでそれをまかり通らせる環境がそこにあるのでしょ。

…でも、“悲しくならない”人が世の中に多いから(そもそも興味が無い人が多いから)、“加藤の乱”から10年、政権が変わらずに来たのかな。どうせ今度の選挙も、言うほど選挙率も上がらない気がするんですよ。なんだろうなこの気持ち。「みんな行くんだろうから、行かないでいいや」という人が結構居たりとか、何かの自分への言い訳を作って行かない人。そういう人が今までにも居たから変わらずに来たんだと思う。そう疑うようになったきっかけは、下北沢問題を踏まえて行われた2007年の世田谷区の区長選。全然選挙率が伸びなくて、問題の矛先とされた現職が再選になったんですが、あれだけ一部の若者が色々巻き込んでいる感があったのに、「たったそれだけ!?」とものすごくガッカリしたのが結構強く残っている。

今回の選挙も、思った以上に圧勝ムードになっていることによって、本来“変わってほしい”と思っていた人の戦意が削がれていやしないだろうか。政権を握っている党がこんな行動をとることによって、そもそも政治家ってほんとバカだなあっていうシラケムードになりやしないだろうか。なんかそんなことをふと思った。この1週間、WEBでは自民党の広告バナーが目立つ。自民党の広告バナーしか出ないメディアサイトなんてのもある。しかもそれが音楽ポータルだったりする。メディアとして果たしてそれでいいのか?って思うけど、「それに見合う額」が動いているんだろう。割切って掲載させようと思えるような。こんなマーケティングがされていない広告費こそ“バラまき”だ。本来怒るべきことだけど、それを感じられるだろうか?


僕は、変わってほしいと切に願っている。遡ることもう9年前になっちゃうけど、僕は17歳の時にはもうWeb日記書いておりましたが、テレビでの茶番劇、ニュースステーションとか見つつずっとネットやってたような人間なので、あんな首相、それを支える政党に投票するなんて本当にどうかと思っていた。んで、ロック好きだったし、ロックで僕の人生も色々変わった実感もあったし、世の中への不条理さってのは感じていたつもりだったし、たぶんどっかのロックミュージシャンが「ロックやってるからって世の中に興味が無いと逆に思われたくない、だから選挙とかは必ず行く」と言っていたのか忘れたけど(多分ハイスタとかKemuriとかブラフとかそういう界隈だとは思う)、早く選挙権が欲しいなと思っていた。そして得たら必ず行こうとその頃に誓って、実際一回も欠席したことはない。それは市議会選挙とかでも。

大好きだったバンドの解散ライブの時も、フジロックがあった時も、ちゃんと不在者投票したりしていた。いくら文句・不満があっても、結局これしか正式なアクションってないわけじゃん。第一党がもし変わって、逆にダメになるかもしれないけど、でもその“変わって、ダメだった”を体験しなきゃ実感は得られないものだと思うし、でもそもそも最初から「すごく出来る」わけがないとは思う。それは何でもそうだと思うし。とりあえず、甘い蜜を舐め続けたところへの“NO!”のアクションが継続して必要なのではないでしょうか。どうせね、一回転落したところで腐ったところが変わるはずはないんだよ(笑)無関心によっていつまでもまともに物事考えられんの?みたいな年配者が重要なところへ居座っていることは、絶対に純粋だとは思えない。

近頃の仕事の忙しさ(充実さ)、物事の重さなど色々考えると、このブログ閉じたことは正しかったと思うのです。なんか趣味や日常の話でほんわかする感じ、平和ボケ感ってすっごく嫌なものだし。でもなんだろう、このブログ当初はじめた時の「いつかの自分に書き残す」ってコンセプトを思い出したわけではないんだけど、もし今回変わるとしたら、10年前の自分にようやく「変わったよ」ってレス出来るなって気がした。先日国立競技場でJリーグを見た。バックスタンドは久々で、そこから眺める新宿の夜景は、7年前の夏にも見た記憶がある。少し変わっている。あの時は田中ハユマが一発レッドになったんだったかな。エジムンドとかアウグストとか居た頃。

僕も7年前からは確かに色々なことが変わっている。それは何も無いどん底から、今は仕事人になったということ、それも今は10年前の自分が夢として思い描いたものに足を突っ込んでいるということ。ただ内面としては、変わっていないことも結構ある気がする。今もまだ同じよく似た不安がつきまとう。未だに引きずっていることもある。というか、これを途中まで書いて昨日寝たら、そんな夢を見てビックリしたんだけど。また会える日は来るんだろうか?今、自分が突き動かされているのは、自分が積上げたもののプライドなのか、若かった自分のコンプレックスなのか。変わっていることもあれば変われていない部分もあって、そこが突き動かされる日を、待ち望んでいる。別にそれと選挙は関係無いけど、“変わるかもしれない”、なんかそういう雰囲気に明日はちょっと包まれてほしいなあと思う。その結果を見届けたらまたここはクローズします。時間は経つ、と言っても、菊地の日本復帰は早過ぎだろう。とか、サッカーで書きたいことはあるんだけど。また何か書きたくなった時に。



30日追記。大勢としては杞憂だったな。でも選挙率は伸びなかったんだな。そんなもんかなあ。等々力競技場から吉祥寺へ帰ってきたら、同じ足で帰ってきたのだろう、グリコの8番のレプリカを着た人が肩を落としてとぼとぼ歩いていた。そんなもんかなあ。来週も味スタに居るんだろう。ところでエスパにアジカンの“ループ&ループ”みたいな応援歌が新しく出来ていたような気がするけど気のせいだろうか?