ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

ここは戦場なんだ! ここは戦場なんだ!

これもクローズなところよりオープンなとこに書きたいなあと思ったので開けて書いてしまいます。先週の日曜、3つ下の、現在花小金井の友人宅に居候をしていた妹からメールが来た。冒頭は引越しの案内。でもその次に書いてあった言葉は「来年後半には籍を入れたいと思ってます」。籍?住民票を移す、という意味には捉えにくい。んじゃ結婚するってこと?ほー。驚いた。ちなみにこのブログ閉じてる間に起こった出来事として、バツイチの姉ができちゃった婚をしました。7月帰省する前に知らされ驚いたんだけど。なんか本当に普通の人なので、「あんな普通の人でもそんな風な人生になるんだなあ…」と思ったんですが、ともあれめでたい話。

姉もちょうど今週から実家を出て二人暮しをはじめたんだとか。来年頭には僕もおじさん。正月帰る時に旦那さんとも会うんだろう。もしかしたら妹の旦那候補も見んのかな。となると、これで残るのは僕だけである。ちょっと肩身狭くなる…はずなんだけど、自分自身のことに対しては正直言って全く焦りがない。別に兄弟で比べてだけでなく、周りも変わる中でも、焦っていない。…そこで“焦りがないことに焦る自分”が居ることに気付きました。さかのぼることその一つ前の週末。年上の女子のかたがたと飲んで、「今良いと思う子は居ないの?」「居ないですねえ」「良いと思う子が居たらどうアプローチするの?」「うーん…どうにもしないですねえ」「それっておかしいよー!」みたいな会話をしていた。忘れたけどざっくり言うとそんな感じ。

うーん、どうするんだろ。他人事のように、そんなことを思ってしまう。あまりに今恋愛とかそういうことに対する欲やイメージが無さ過ぎるし、どうしたらそうなれるかもわからない。6月に「先月彼氏と別れた」という愚痴を吐いていたタメの女友達が、7月には新しい彼氏が出来たのだけれど(笑)、どうしたらそうなれるのかも僕には全く理解出来ないのだ。どうしたらそんなに人に恋愛感情を抱けんだろう、なんで僕は人に対してそういう感情を抱かないのだろう。年が結構上の方に離れている人と飲むと「(年齢的に)今が一番いい時なのに!」と人にも人にも言われる。同年代の既婚者の遊び仲間にも、共通の名前を出されては「うーん、なんか全然そんな気は無いからなあ」なんて言う。うーん、でも全くそんな話も気持ちもない。「まあ結局本人の気持ちだから仕方ないけど…」と言われる。なんかほんとわからんのです。

それなりに「どうしたらいいんだろうなあ」ということを、思う。けど、考えれば考えるほど、恋愛出来る気がしないんだよなー。今の仕事が仕事で、精神状態や生活的に、あまり新しい要素を求めていないところはあると思うけど、でも「それだから」ではないだろうしなあ。仕事が忙しい、なんてのは言い訳だ。なんてこと言う人も居るけど、そういう意味ではそれを言い訳にしてるけど結局のところ欲が全く無いということだし。人を好きにならないわけではないと思うんだけど、恋愛感情とは違うし、たぶん“付き合いたい欲”ってものが全く無いのだと思う。一人で居る時間が本当に好きで、一人で色んな場所へ行きたい欲が沸くし、実際行動しちゃうからなあ。

今のここに辿り着くまで、人と会わない期間があって、人を信じられない期間があって、一人で楽しいことを探すしかなくて、寂しいとか切ないとかそういうのこそが正常な状態になって。そうなってしまって、どっかの神経がイカレてしまっているとしか言えない。し、そういうのを経ていて、仕事がしたくてそのために東京へ出てきて、人と仲良くなれたらもうそれが最大の満足になっている。距離感を壊したくないみたいな気持ちもあるし、考え方がすごく「触らぬ神に祟りなし」なところがあるなあという気はする。妹から続きのメールが来て、「相手は今の会社の役員」だって。すげえなあ、と思ったもの(笑)…そういえば実家にそんな漫画があった気がするぞ(笑)

たぶん妹は地元には帰らない運命だと思ったのだろうし(なんとなくうちの兄弟は、親の家庭円満ぶりをずっと見ていたので、結婚願望が強い気がする。だから別に早いとも思わない)、「じゃあ僕はどうするんだろうなあ」という、自分自身がすごく不確定的だったりするから、またそこがブレーキになる。どうするんだろうなー。あんな結婚願望強かったのに、全然結婚願望無かった同世代が先にどんどん結婚するような年齢になってるんだから(笑)でもほんと今は仕事のことばっか考えちゃって、東京に居る間はほんと恋愛とか出来ないんじゃないかなーって気がする。気がするけど、それじゃ困るなあ、と思ったら今回こういうことを考えているわけだけれど。

1年前ぐらいのブログを読むと、「でもこの頃は恋愛感情ってものがあったんだなあ」と思う。今あまりにも忘れ過ぎているね、そういうことを。その更に前にさかのぼるともう10年前だからな(笑)それこそ、なんであの頃はあんなに一人に特別な感情抱いていたんだろう?別に恋愛欲があったわけでなく“ただ好きなだけだった”んだと思うけど、それがわからない。なんか、「良い人が居ない」とか言う人も居るけどさ、そういう風には思わないしさ。だから“誰か”っていう外的要因じゃなくてほんと自分自身なんだよなあ。東京でこれだけ多くの人が居るのに自分のこの予感も気配も何も無さが、果たしてどうなんだろう?と本気で悩ましいことの気がしてきたので、自分にちょっと「ちょっとぐらい焦れ」と思わせる意味でこんなエントリを記してみた。

でも今回の東京も12月になれば5年目になるけど、まさか5年も居るとは思っていなかったなあ。じゃあ3年くらいで帰るつもりだったのかって言うとそんなことはないけど、でも5年も居るとも思っていなかった。勿論、10年とかずっととかも思ったことはない。なんか今でも他の人たちと“同じステージに上がれている”という気がしないなあ。東京で日常を過ごしているんじゃなく…仕事場が東京なだけというか…日常、って感じが足りない。やっぱ東京というのはすごく特殊な場所だと今でも思いながら過ごしているし。そんな風な距離感が自分の中にあるから、距離感が近付くわけでもないし、ショックを受けるようなこともないし、それなりーなのだ。そういうことに対するやるせなさはあるけど、それでも井の頭公園のピースフルっぷりに時々虫酸が走るのは(笑)、やっぱり僕は向こう側にはなれんなって感じるからだ。

タイトルはStereo Fabrication of Youthの“戦場の遠距離恋愛”のフレーズ。今年一番聴いているのはこのバンド。"首都高ドライブ"を30円で買ったのが2005年9月頃。それをちゃんと聴いたのが2007年秋。そして今年2003年作の"Audity"を買って、ハマった。何年遅れてるんだ(笑)この曲も、2001年の秋頃に友人に薦められて吉祥寺のタワレコで試聴したのをよく覚えているけど、当時はギターロック敬遠期だったから全然良いと思えなかったのはよく覚えている。まさか今頃になってこんな良い曲だと思うようになると思わなかったね(笑)“君しか居ない”ってフレーズが好きだ。10年前もそうだったな、キミしかいない、って思っていたし、恋愛し出したら今の冷めっぷりが不思議なほどどっぷりハマるんだと思う。ただこの曲聴いていると“ほんとここまで来れて満足だなあ、充実感がある。今の忙しさが落ち着いた後ならもういつ死んでも後悔は無いよなあ、やりきったなあ”みたいな風に思える。だからこれ以上の幸せを欲しないでいるんだけれど、それでいいのか。


追記。休日出勤したのち、大分-磐田をサッカーカフェで見たレポーターから菊地が準備しているアナウンスがあった時に、「キター」という声が他の人から上がってちょっと笑った。しかし菊地の復帰を美談みたく言うのが理解出来ないよ。そりゃ放送的には批判的に言えるわけでもないけど、菊地はあの事件でただ解雇という制裁を受けただけじゃない。クラブにスポンサー契約含めどんだけの被害を与えたと思ってんの?しかしそんなクラブに凡ミスで負けてしまったのがより悔しい。なんだかんだ言って、菊地が良い選手だってのはすごくよく知ってるよ…菊地が新人の年から3年間は僕もジュビロの試合をヤマハで見続けていたんだから。あんなことで将来のキャプテン候補を失い、もう二度と戻って来れないことが怒れたのだから。改めて複雑な悔しさをこの試合を見て感じました。さて、ジュビロをいつからスタジアムで見ていないんだっけ。この1ヶ月では2試合見れそうだからすごく楽しみにしています。理由をつけて九州旅行をしたいから、大分にも頑張ってほしいんだけどね。

追記その2。週末出てたし月曜早めに退社。吉祥寺でカツ丼食べてたらすぐ向かいの男女の会話が恋愛トーク。立場はどうやら同僚っぽいんだけど、いやー平日の21時台に仕事終わってご飯食べに行って恋愛トークなんて、そんなコースは社会人6年とか7年とかそれぐらいになるけどしたこと無いぞ多分(笑)なんか軽く衝撃的だった。仕事終わる時間自体が、たぶん1位23時台、2位24時台、3位22時台、とかそういう風にハタチの時から積み重ねてきたからなあ。今は今で特殊な会社な気がするし、うわー普通に社会人なるとこうなのかな!?って。ちなみに「その人が頑張ってると思うと自分も頑張れる」と言っていたのを聞いて、はーなるほどなー、と。

なんというか、そういう対象が必要なんだね。僕にはそういうのが無かったから…というよりは、今に関しては(恋愛にこじつけるならば)“見返したい”みたいなさ、そういう捻じ曲がったモチベーションなんだよな、結局のところ。いつまで10年前引きずってんだっていう。でもだからここまで無理してこれた、というような気もするし、でもそれは不健康なことだとも近頃感じていて、こりゃいつまでも続くもんじゃないって。そろそろ誰か「もう十分だ」って言ってくんないかなー、とは思うんだけど(笑)どうしても頑張ろうとしてしまうところが、僕の課題だとも言われて、そうだなあって思って。適当になれる、ガス抜きになるのなら、やっぱ恋愛したいよなって気がする。“見返す”為の自分って上限が無いと思う。その果てしなさにいつか疲れ切ってしまうんじゃないかなあ。充実のすぐ背中合わせにそういうことを感じている。