ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

the pillows @ 赤坂BLITZ / otto&orabu×高木正勝 @ 日本科学未来館と、しょうぶ学園の音楽ユニット・otto&orabuの表現を見て感じたこと

12/12 the pillows“moondust tour”@ 赤坂BLITZ

the pillows“moondust tour”@赤坂BLITZを見ました。ピロウズを見るのは10月の25周年ライヴ以来。今回のツアー、事前に抑えていなかったけどやっぱ見たくなって、直前に手に入ってよかった。ツアーも始まったばかりなので、曲名は抑え気味で感想。さわおが最初の方に「俺たち無駄に元気」って言ってた通り、なんかアルバムツアーの序盤でこんな良いライヴ今まで無かったかも…というぐらい良かった。他の人も「機嫌が良すぎる」と言っていたし(笑)、本人たち的にもコンディション良いのかな。

(一応アルバムのタイトル曲なので当然やるってことで、)“ムーンダスト”はほんと名曲だなあと。オリコン週間5位の最高位だったセールスもだけど、この曲でピロウズはもう一段階上に行った感――を覚えたとは言い過ぎですかね。この曲で歌われているのはピロウズというバンドの関係性である、けど――「ふざけ合ったり 支えあったり その全てが真実で 初めて見た虹は 僕らだけのモノさ」という歌詞なんかはすごくクラブとサポーターの関係性にも思える。「自分らしく歩くのを選んだ」というところだけは「自分達のサッカー」を連想してしまって少しイラッとするけど(笑)

あの大名曲がライヴの中のあの位置というのも新しくてすごく面白かったし、あとやっぱLITTLE BUSTERS~PENALTY LIFEの頃の曲は特別に好き。反転して曲名出して感想→“モールタウンプリズナー”はレア曲ライヴではちょいちょいやってくれる大好きな曲だけど、まさかアルバムツアーでやるとは!あとは“ROBOTMAN”もそう――「このままずっと変われる気がしない」という歌を、本当にそうだって思って聴いていることも多いけど、それでもハタチの頃から考えれば随分変わった気がします。←ここまで。しかしなんだろうな。今年ピロウズ見たのは6回。今年は今年で色々あったし、見る毎に色々思うけど――新しい曲も古い曲も、もはや胎内で聴いていたんじゃないかという位、身体に溶け込む。毎回ライヴ後に飲む友人達含めて――良い時も悪い時も、なんかやっぱ行き着く場所だなあ、ピロウズって。そう思います。

12/5 otto&orabu×高木正勝日本科学未来館

高木正勝さんとotto&orabuの出演イベント、だれでもプロジェクト presents“subliminal wave of light”@日本科学未来館を見ました。高木正勝さんのライヴを久々に見たかったというのも大きいけど(ライヴでは多分2011年のアラバキ以来)、鹿児島のしょうぶ学園のユニットであるotto&orabuがその相手というブッキングも面白くて。むしろイベント的には今回が東京初公演だったotto―がメインで、実際にそれを目的に見に来ていた人も多く感じた。クアトロの規模ぐらいのお客さんは入っていたんじゃないかな?と思うし、あまり普段感じないような――アート層のお客さんが多く感じた。(し、当日券買う時に隣で招待客で名前を言っていたのが某超有名クリエイターさんだった!そういう人もこの組み合わせには興味あったのかー)

しょうぶ学園とは。→http://www.shobu.jp/news.html 知ったのは昨年渋谷PARCOでやってた展示。中でもnuiプロジェクトの衣服にすごく惹かれて、今年鹿児島キャンプ行った時、学園にも行って作品を見て色々考えたというのがあり。 otto&orabuは行った時にミュージアムショップでDVDが流れててそこで知ったのかな。その時デザインが好きでTシャツは買ったんだけど、音はちゃんと聴かずに今日まできた。でも今回が東京初公演だと。ほんと行ってよかったし逃さなくてよかった。

ライヴの構成は高木正勝さんが先でotto&orabuが後、最後は両者のセッション。トータル2時間半ぐらい。高木さんは山に引っ越したという環境の変化が割と雰囲気に出ていた気がして――新曲も幾つかあって、まあ相変わらずすごくよかった。というか行ったのは完全に高木さん目的だったんだけど、この後に出てきたotto―がとにかくエネルギーがすごくって、何度もビリビリ震える程良かった――。

しょうぶ学園の音楽ユニット・otto&orabuの表現を見て感じたこと

otto&orabuを見て感じたこと。「音楽」とも「アート」とも形容し難い。そこにあったのは――自分の思うがまま、鳴らしたい音を鳴らす、出したい声を出し叫ぶ、「ダンス」とかいう概念を超越して自分の思うがまま動き踊る。もっと「自分らしさ・人間らしさの根底」の表現とそこにある喜び。人に聴かれる為の「音楽」を鳴らそうとしているわけではない。結果的に音でアウトプットされているだけで、彼らの中のエネルギーを発散しているだけ――や、だから「自分らしさ」ということでもないか。自分の中にあるものを出せたら、ただただ嬉しい。極限に健全な表現をしているだけ。メンバー紹介で名前が呼ばれたら、喜ぶ。名前を呼ばれたら嬉しいという感覚、それを普段自分らは表現しないけど、彼らはそれを素直にする。

彼らには緊張がない(by園長)。本来、人の中には誰しもあれだけのエネルギーが溢れ出ているのだと思う。それを出せないのは、知識や理性によって抑えつけているだけ。自分で抑えつけているのに、「自分らしさ」とか「表現の仕方」で悩んで――時に苦しむ。だから僕も今年しょうぶ学園やねむの木学園の子たちの迷いのない絵を見ては、自分の「迷い」みたいなものに苦しんだ――んで、絵と違ってカンバス(による幅の上限)の無い音楽での表現は――より彼らの迷いのないエネルギーが、本当に何度もビリビリと震え圧倒される程、放たれていた。や、もうねほんと色々ちっぽけに思えた。自分を出すこと/表現すること/殻を破ることに、ためらうな。だってそれは本来身体の外に出すべきものだから。

彼らにとって僕らは「お客様」ではない。自分たちを見てくれた人たち――ライヴ後は今日の出演者(高木さん含む)によるお見送りというのがあって、その概念の逆転がこの日のライヴの特異性でもあった。面白かった。「天才」とはなんなのか。技術面(いわゆるスポーツ的な)には身体能力の天性の差は確かにあるけど、表現における「天才」って、その本来持っているものを「抑えてしまうだけの理性の差」なのではないか。かと言って自分が彼らのようになれるかっていうとなれないけれど、感受する必要の無いもの――余計な外的要因――を拾うアンテナは要らんのだ。…とかなんか色々考えさせられたライヴだった。

浜松に知的障害者の方が作っているパン屋さんがある(「ミントの家」というお店。今もあるみたい…というか、しょんないTVで取り上げられたらしい(笑))。小学生の頃の記憶だと、母親がよくそこでパンを買っていた。あれは親の慈善心からされていたことだと思うけど、自分が歳をとって今こういう風にそうした人たちの表現活動を刺激的に感受できるのは、そういう記憶も影響してんだろうなあと思う。んでもう少し書くと、自分が今身に付けたいスキルはデザインだとかアートだとかツールとかではなく「自分の思考の殻を破るスイッチの扱い方」なんだと思った。どうせ仕事戻ったら自分を抑えるもんね…その中で時々でもうまく自分を壊すスイッチを使いこなせたらなあ、と…。