the pillows(ザ・ピロウズ)と僕の人生について①(1995〜1998)
the pillowsが解散した。
僕の人生において最も重要…というか人生と言えるバンド。
2024年は35周年に関連したARABAKI ROCK FEST.、そして豊洲PITでの周年ライブ。昨年11月からの直近のツアー『LOSTMAN GO TO CITY 2024-25』は4公演に参加した。初日の長野、自分の地元の浜松、沖縄、そしてファイナルの横浜。
これは別に「何かを感じ取っていた」訳ではなく。どちらかと言えば、2024年は自分が体調やメンタル的に調子が良くなく、だから大好きな「ピロウズを観たい」という気持ちからだった。居住地の関西でのセミファイナルではなく、ファイナルの横浜を選んだのも偶然で「スケジュール的にそうなった」だけ。
まさか、それが最後のステージだなんて。
「解散」に対する気持ち…まだ「受け入れられていない、嘘みたい」という感情は、X(Twitter)の方で散々書いたのでそれはそれとして。
僕にとってのピロウズの思い出を、長くなりそうだからブログに書いてみようと思います。

the pillowsとの出会いと中村貴子さんの「ミュージックスクエア」
1995年。阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。そして自分は中学校入学。自室とCDラジカセを手に入れ、NHK-FM「ミュージックスクエア」を聴き始めた。DJは中村貴子さん。貴ちゃん。まだこの頃は自分はインターネットには出会っていない(Windows 95というものが発売したというニュースは見てたけど)。田舎の中学生だった僕にとって、ミュージックスクエアが音楽ライフの8〜9割の影響を占めていた。
『ピロウズ』というバンドを知ったのは「Tiny Boat」。後に大好きになるこの曲も最初はそんなハマったわけではない。特徴的な8cmシングルのジャケット、これをレンタルしたのは覚えている。
気になり始めたのは「Swanky Street」。その前の「ストレンジカメレオン」にこの時惹かれなかったのは、多分まだ《キミといるのが好きで あとはほとんど嫌いで》みたいな…キミが居る世界の歌にピンと来てなかったからだと思う。
Swanky Streetはーー《誰の記憶にも残らないほど 鮮やかに消えてしまうのも悪くない》って、そんな暗い言葉を爽やかに歌うピロウズが刺さった。「キミ」も友達だし。あとこの頃、クラスで少し孤立してた時期とかもあったんだよな。だから「自分は自分だ」って思える歌に出会えて嬉しかった。同時期にはSMILEの「風と雨の強い日」とかを聴いていた。
ピロウズは「彼女は今日、」がミュージックスクエアのエンディングテーマになった。この曲を聴きながら宿題をやっていた情景をとても思い出せる。けどこれは恋の歌なのでSwanky Street程はハマらなかった。笑。今はカラオケ行くとよく歌うけど(歌っていて気持ち良い)。
決定打だった『ONE LIFE』
そんな風に好きな曲はあったけど、まだこの段階では「色々好きなバンドがいる中の一つ」だった。
ちなみに当時一番好きだったのはMr.Children。特に『深海』が好きでーー自分が中3の時には活動休止して、確か「林英男」というバンドをピロウズのボーカルと一緒にやってるんだ、という放送がミュージックスクエアであったのも聴いていたはず。当時気になるゲストの時はテープに録音してたからその時も録ったと思うんだよな(もう捨ててしまったと思うけど…)。ミスチルとピロウズって仲良いんだ〜って知ったのもこの頃。
色々好きなバンドが居る中から、「ミスチルの次に好き」そして「一番好き」になっていったのは、シングル「ONE LIFE」と「ハイブリッドレインボウ」、そしてアルバム『LITTLE BUSTERS』。
この曲は全部好きだった。この頃はまだ「ギターロック」とかそういう事も良く分かってなかったんだけど、ギターがじゃーんって鳴ってるサウンドも、歌も歌詞も全部好き。「特に好きなフレーズ」とか選べない。《どんな靴を履いてても 歩けば僕の足跡》が印象的な一節ではあるけど、でも全部好きなんだよな。旅に出たカタツムリのその身がすり減ってるけど戻らない!?そんなの悲し過ぎる、、、でもわかるなんかそういうの!…みたいな。
ラジオきっかけなのでMVを見たのはもっともっと先のことだけど、MVも…ピロウズの中での1、2を争う好きさかも。スタイリングで言えばこの時の山中さわおが一番好きだ。ハイブリッドレインボウでシャツをインしたのが解せない(そういう時代だったと言えばそうだけどw)。中3の夏はずうっとこの曲を聴いていたんじゃないかな…
「ハイブリッドレインボウ」も不思議な曲だった。静かで、優しくて、サビは激しくて。その後この曲はピロウズの代表曲となっていくのは皆様の知る通り。
で、それまであんまりクラスの友達と音楽の話をしても…ミスチルや当時全盛期だったビジュアル系の話はしても、「ピロウズ」の名前を挙げたことはなかった。でも友達の誰かが、「イトウってミュージックスクエア聴いてるよね?ハイブリッドレインボウって曲よくない?」って言って、「わかる!すげえいいら!」みたいな会話をーー会話の内容はうろ覚えだけど、そんな会話をしたことは覚えている。ONE LIFEとハイブリッドレインボウは月刊歌謡曲(ゲッカヨ)のコード進行見てめちゃくちゃ練習した。
誕生日に発売された『LITTLE BUSTERS』
1998年2月21日。私の15歳の誕生日。そんな日に発売されたのが『LITTLE BUSTERS』。まあ発売日に買ったわけじゃないんですけどね。
高1の春休み〜夏休み頃にかけて、90分だったか100分だったかのカセットテープのA面にPlease Mr.Lostman、B面にLITTLE BUSTERSを入れて、文字通り擦り切れる程聴いた。この頃、一番で言えばミスチルが好きだったけれど。既に、最も聴いているバンドはピロウズになっていた。
と、この辺まではただ「音源を聴いている」だけだったのだけど…
J-ROCK ARTIST BEST 50で流れたリキッドルームの映像→ピロウズのライブに行きたい…
田舎なのでTVでピロウズを見るという機会はなかなか無かったのだけど、動いているピロウズを見たのは多分この番組が最初。静岡ではテレ朝系列の深夜に放送されていた。
1998年の春、この頃はまだランキングもビジュアル系全盛。でも僕が見始めていたということはおそらくミッシェル(thee michelle gun elephant)やブランキー(Blankey Jet City)がランクインしてMVが流れる、みたいな感じだったからだと思う。
ある時…季節はまだ春だったと思うけど、ピロウズのLITTLE BUSTERSツアーの新宿リキッドルームの映像が流れた。Hello, Welcome to Bubbletown's Happy Zoo(の一番)→ハイブリッド レインボウ(の一番)→LITTLE BUSTERS(のラストサビ)。時間で言えば4分とか5分とかそれぐらいだったのかもしれないけど。
その映像にめちゃくちゃ撃ち抜かれた。すっっげえええええいい!!!ピロウズってライブだとこんな激しい(?)のか。山中さわお風ジャンプの練習をし始めたのはこの頃から。
1sライブビデオもすぐに買いに走った。(ちょっと載せるのも引けるけど載せちゃう)
最初はこれを流したのかなと思ったけど演目も違うんだよね。J-ROCK 50でのあの映像はあそこでしか流れなかったんだなと思うともう出会うことはないだろうけど(録画したビデオテープももうとっくにどこかへ行ってしまった)、でもあの数分間の映像で、よりピロウズ…そして山中さわおへの憧れが増した。
インターネットとの出会い、インターネットでのピロウズファンとの出会い
高1の時、我が家にパソコンが来た。そしてインターネットに出会った。
インターネットが何をやる所か、よくわからなかったし、教えてくれる人が居るわけでもなかった。
好きなバンドのホームページを色々見るようになったのはその年の夏頃かな、ゆずの路上ライブの情報とかミスチルの「終わりなき旅」の情報をおのおのの非公式ファンサイト(ゆずはすごく早く公式サイトもあった)で見ていた。
ピロウズもLITTLE BUSTERSの宣伝ページはなんかインターネット上で見た記憶があるなあ…ポニキャンの公式だったのかな…でもコミュニケーションを取れる場所、当時で言うと「掲示板(BBS)」「チャット」「ゲストブック」というコンテンツ。
それを備えていたピロウズのファンサイトで、「Tacky's Room」というウェブサイトがあった。そこに書き込んだことで、数人のピロウズファンと繋がることができた。繋がると言ってもスマホがない時代の田舎の高校生、あくまでメッセージのやりとりだけだけれども。
※そんなTacky's Room、形を変えて現在も存在していたことを今知り、すごく感動している…
Tackyさんとはお会いしたことはないけれど、1999年の10周年ライブのレポートはTackyさんのものを読んだことを覚えている。
そのサイトで薄く知り合ったSさん。pre-schoolとかAIR JAM系とか色々ご存知で、「東京の人はおしゃれで物知りだ…」と、自分に影響を与えてくださった方の一人(お姉さん)。10数年後にJリーグがきっかけで初めてお会いすることになるのは不思議なご縁。
あとはこのサイトじゃないところで、一番最初にメール友達になったピロウズファンは兵庫県の方だった。神戸か芦屋かその辺だったはず…「ごま」さん。フルネームも今も覚えている、確かイエモンもお好きだった。まだライブとかには行ったことがなかった僕の分のグッズ(Tシャツ)を代わりに買ってくださって、現金書留でお金を送ったりしたなぁ。We Have a theme song Tシャツ。最近はサイズが合わないから着ないけどw、大切に残してあるし2019年の30周年までは着ていた。
みんなお元気だろうか。
最初の3〜4年の思い出だけで5,000文字近くになってしまった。何度かに分けて書くことにする…。