ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

20年WEBサイトを作り続けたアラフォー男性が、WEB業界から庭師を目指す

こんなタイトルですが退職エントリです。
約1年間務めた広告代理店の子会社を退職しました。
この一年間このブログはほとんど更新できていないのでお仕事関係の方に届くかはわかりませんが、在職中お世話になった方ありがとうございました。
またとにかく結果が出ず――ご迷惑お掛けしました。「広げて、広げる」ということが自分にとっては新しかったけど、結果何も実現しなかったのは悔しさというより苦しさしかなかったな。

この浜離宮が少し見える都心一等地のオフィスともお別れ――
さて今後ですが。4月から造園を学ぶために学校へ通います。

初めて「庭師」の仕事を意識した時の話

romitou.hateblo.jpこの2016年の瀬戸内国際芸術祭。
初めて小豆島に足を運び、芸術祭も見ながら重森三玲作庭の「栄光寺庭園・龍門庵」を拝観した。
oniwa.gardenその際にこの庭園の手入れをされている庭師さんにご案内いただいて――この時のエントリに書いていなかったけど、その60歳はくだらないであろう庭師さんが
「後継が居なくてねえ、島に若者が少ないし居てもやりたがらない。本当はあのマツも手入れしたいけど…この庭園もいつまで見ていられるか」
という話をしていて。

もしかしたら地方で庭師さんと会話をしたのも初めてだったのかもな。
外の仕事をやりたがらない若者の気持ちもわかるけど、後継者が居ないことで名園が失われるのは勿体ない――そんなことを思って、造園の仕事について初めて調べたのはこの頃。考えが甘いけど、地方で庭師をやりながら、リモートワークがより広まった頃にWEBの仕事が並行してできれば東京を出ても好きなものに関わりながら生活していけるんじゃないかなあ――と思った。

ただ実際庭師って職人さんの世界だからこの年齢からいけるかというのも微妙だったし、その上年収が半分近くになるということに対してすぐに踏み出せるわけでもなかった。

「おにわさん」は制作には取り掛かっていたけどリリース前のこと。

WEBの仕事には疲れていた

WEBの仕事に携わるまでの流れは以前の
romitou.hateblo.jpでも書いたけれど。
上記の瀬戸芸の約1年前。初めて飛び込んだ広告業界のハードワークに疲れ果てた。毎月時間外100時間超、そして夏場の約200時間でついに心が折れてしまった。

この頃までは
『自分の武器はWEB。WEB業界で一流を目指したい』
という気持ちが1ミリぐらいはあったけど、そこで心が折れてもうそれは無理だと思った(←そういう意味でいうと問題は時間ではないのです。その時間内でも濃い仕事をしてクオリティ高いものへ向けて頭をフル回転させられる人が、やはり居る)。

またそこで心が折れたことによって、「苦しい思いをしてでも一流のものを」という発想がだいぶ弱くなった。全部無理とは言わないけど、自分のHP(ヒットポイント)を知ってしまったというか――ヒットポイントがある時は頑張れるけど、それを燃やし過ぎるとバーンアウトする。
ヒットポイントがある時はハードワーク出来なくもないけど、ヒットポイント減ってる時は簡単なことでも「やりたくないな」と思う…そんな状態で3年間、引き続きWEBの仕事をし続けた。結果を出せた案件もあれば「大期待はずれ」だった案件もあったと思う。

このメンタル面の話はWEBだろうが別の仕事だろうが、多分一生付きまとうかもしれない話なので――うまく付き合う術を模索していかなければいけないのだけど。

結果が出せない、期待に応えられない苦しさ

この一年間務めた今回の代理店系のプロダクションでも、評価いただいたタイミングでは評価してもらっていたなあと思うし、期待も掛けてもらったと思うけど――正直そこに応えられたとは思わない――散々だった。「一流の仕事をしてくれるようになってくれるだろう」と思っていたのに「三流、四流以下かもしれない」と最後は思われたのではないか。

…正直この半年間ぐらいは、そのレール上にも立てていなかった。
一応もともと自分が扱っていた「音楽」というコンテンツを最初評価してくれていたので、そこの仕事なら応えられるかなあと思っていたけど――それ以外のモノを扱うことになった時、自分が思った以上に、自分自身が興味が無いテーマの仕事に手がつかなかったなあ――いやいや仕事はしていたけどほんっとーに興味持てないのがしんどくって。「自分の武器はWEB」という意識と「WEBの仕事疲れた」そんな気持ちの間でずっと揺れていたし、結局気持ちに引っ張られて自分の納得するクオリティの仕事ができていなかった――そのギャップが苦しかった。

向き不向きの部分で言うと、プロデューサーという「司る」役割に自分が向いていたとも思わないし――いやーこんなキャラの人でも付いてきてくれる人が居たらいいなと思ったけど、そうは問屋が卸さなかった(笑)結局絶対的に自信が無いんだよな、自分が。だからずっと怯えながらプロデューサーという役割をやっていたような気がする。

そんな中、頭の中にあり続けたのは
『自分の好きなコンテンツ(庭園)をどう生活の中心に持ってくるか』
ということばかり。

生活の中心に『庭園』を置くために。

最初は「少しでも興味があるコンテンツを持っているWEBの会社に」という形で転職活動をはじめて内定ももらっていたのだけど、話す中で――

  • 自分の実績でWEBの仕事をし続ける限り、「一流を目指す」ことから逃れられない
  • 自分の「庭園」への興味を本当にそれで満たせるのか、またWEB中心の生活になるのではないか

ということを考えるに至り、この年末年始に悩み続けた末に出た結論が、

『造園を学ぼう』
ということだった。
自分が今一番時間を費やしたいこと。そして学ぶ以上は造園業を志します。

元々「緑」が好きなんですよね。井の頭公園の近隣に住み始めてかれこれ15年、このエリアから離れる気はないし、サッカーをスタジアムで観に行くようになったのも(好きなクラブこそあれ)あの芝生のある空間がとても好きだし、競馬場も好きで通ってる時期あった。サイトで取り上げているような文化財庭園も大好きだけど、それ以前に公園というものが好きだ。
公園や緑に関わる仕事をすれば、必然的に好きなものが生活の中心になる――

造園を学ぶという選択肢。
一緒に仕事することはなかったけど、1月に入社された人と初日にご飯へ行った時、学生時代に造園を学んでいた――(その後現在はWEBの仕事へ)という話を聞いた時に「それだ!!」と思う部分はあった。「また転職か」という点でWEBに対して行き詰まってたタイミングだったので実はそれはすごく大きなヒントで――直接そのことについて話はできていないけど、ちゃんとモノになったら話をしたい。

人生がゲームなら、やりたいことをやりきって死のう

前述の通り給料は半分以下から再スタートでしょう。
まーでも多分この辺も、自分の中で『「給料が半分になってでも造園やりたい」と言い出す選択肢』がこの3年間燻り続けていたわけだから「遅かれ早かれ」だったと思う。この2年ぐらい恋愛はもういいやと思っているのは単純に面倒くさいのもあるけど、自分が進みたいと思っているこの道に対する抵抗勢力を作りたくなかったからというのもある。

たまたま36歳になったこのタイミングでの決断だったけど、「東京オリンピックが終わったから――」「40歳になったから――」今後も色んなタイミングで迷い続けていたと思う。(なお年齢的な部分は、その小豆島の後も地方の色んな場所で70代以上の方で手入れをされている方とお話を何度かしてきたので、それと比べればまだまだ若者だろうと思っている(笑))
だから結果的には、「一番若いタイミングでの決断」になったってことですね。

この3年間。身近な存在――WEB/IT業界で一緒に働いていた先輩や元同僚が自死するということもあった。
彼らのほうがよっぽど頭もよくて、仕事ができたと思うし、性格も良くて人懐っこかった。その分闇があったとも言えるけど――本当に勿体ないし悲しい。
自分も2015年以降は行き詰まることも多い。自死という暗い話でなくてもどうせいつか遅かれ早かれ運が良くても悪くても死ぬのだから、「あいつほんと仕事できなかったよな、人としてまともじゃない」と言われても、僕は自分の好きなことをやり切ってからにしたい。

30歳で憧れの人とフットサルが出来た。これまではそれで人生やり残すことないと思っていたけど、今回の決断で新しい目標が出来た、ような気がする。

WEB業界は卒業!

趣味で作り始めた15歳から20年間続いたWEBのビジネスに関しては、これで卒業――と言いたいところというかその覚悟はあるんだけど。現実的に学校通っている間の収入面のことや、IT業界の人手不足もよーく分かってるので――全く関わらないとは言えないし――「全く保険にならない」かと言うとそうではない…という若干の甘えはあるけど。
でも基本的にはITを保険にする気も未練もない。もう「このビジネスで1億円売上目指します!!!」みたいなことはムリだなあって思うし。

「おにわさん」を制作した時に以下のようなことを書いた。
romitou.hateblo.jp

音楽やサッカーやアートと比べて「庭園巡りが趣味」「庭園が好き」というのはなんとも魅力が説明しづらい(昨今は海外の方には非常に受けが良さそうだけど…)。とりあえずサイトという形にしたい

2年間で掲載件数も増えて、サイトやSNSを見てくださっている人も増えて。
面白いもので、このサイトがあったから誰も「なんで!?」と言わずみんな納得してくれて(おもしろがってくれて)背中を押してくれる。それが何よりだな。これまではどうしても片手間のような存在だったけど、今回でいよいよ本格的に「好きなもの」に飛び込んでいけるのは、やはりワクワクする。(貯金に余裕がある訳でもないので正直綱渡り感はあるけどね…)

造園業と一言で言ってもたぶん色々あって、

  • 1. ガチのアーティスト気質の庭師
  • 2. 公園の管理・メンテナンス
  • 3. ガーデニング、エクステリア

とか。正直1を目指すのは厳しいと思っている。沢山音楽を聴いているから名曲が作れるわけではない――ってことも知っているので。なので細かい方向性はこれからですが、仮に20代後半〜30代前半の年収が生涯最高年収になったとしても、どうせもうまともな大人・社会人ではないので、好きなことにお金も時間も費やしますですよ。

デスクでPCに向き合う以外の仕事ってほんとやったことないので、リアルな場で見える世界は全部新鮮なんだろうなー。もしかしたらそこでITで貢献できることもあるかもだし(AIの発達によって無くなる仕事の一つに、造園業はある。あるけど、多分療法を理解して積極的に開発したがる人も居ない気もする(笑))。
…でも、もう都心一等地の高層オフィスに通うことはもう無いかもしれないなあ。
アラフォー男性の挑戦、応援していただけますと幸いです。

近影。あんま顔出して前へ出たいと思っていないけど、生きてるうちに笑顔の写真は沢山世の中に出しておきたいですね。

19シーズン開幕直前キックオフパーティを終えて

このブログも2019年初更新。旅行記も再開したいのですが先日開催した表題の件について「反省点」として思うことが色々あるのでエントリにします。(まずは、来ていただいた方・企画に関わっていただいた方・出演者の方々、皆様ありがとうございました!)
「苗場支部」について見慣れない方にはググッていただけたらと。

反省点の前に

反省点よりも先に考えたいのは、

  • 苗場支部ってなんなのか
    • なぜ、苗場支部にはあれだけ人が集まるようになったのか
    • なにが成功要因・魅力なのか
  • その苗場支部のイベントとはなんなのか
    • 誰にその存在を届けたいのか
    • 誰に来てほしいのか
    • 終わった時、どんなゴールがあるのか

ということ。反省点と一言で言っても「やる人目線」「出る人目線」「来る人目線」で価値が違うし、共通のゴールが無いと反省点言い合ったところで評価がブレる。

偉そうな顔するつもりもないし、本来的には「そのクオリティコントロール」は自分がすべきだったのかもしれないけど――それは今回さておき、自分なりの「想像」の反省点を記したいと思う。あくまで長く苗場支部を見てきている自分の、「苗場支部」と名乗ったイベントが求められると感じたものなので、実際「今回目指していたイベントの姿」とは違うかもしれない。

苗場支部ってなんなのか

苗場支部の魅力ってなんなのか。これはイベントの前にもつぶやいてたこともあるけど、単純な「サッカー×音楽」というコンセプトだけではない。

  • 成功要因
    • Jリーグの各クラブのユニフォームが集合すること自体が珍しく、その画に価値があった
    • もちろん、その場に居たら普段関わることができない他クラブサポとの交流に価値があった
    • それが主にネットにおける口コミ、バズで広がった
  • ではなぜユーザーが面白がってくれるのか
    • それはユーザーが主役だから
    • そして参加へのハードルがない(フジロックに居れば誰でもふらっと入れる)
    • ※なおフジロックへの参加自体がハードルが高いので、そこでの同志というか信頼感がまずある

バッヂ配ったりこそすれ、あの場のイベントを盛り上げているのは参加者の全員であって、チャントも撒き芸も胴上げもシャーレも参加者が作り上げてったもの。『主催者からのトップダウンではない、全員参加型』が「苗場支部らしさ」なのではないかと思っている。
だとすると「苗場支部らしいイベント」で得たいものって以下みたいな点かな。

  • 来た人自身が「参加」できて、主役になれること
  • 普段関わらない他サポーターと交流をしてもらうこと
  • イベント後にSNSに写真や、「他サポとこんな会話をした」という声が沢山上がること
  • SNSにアップしたくなる写真が撮れること

あくまで「らしい」イベントにするか、そうしないかは、やりたい人が決めたらいいなと思っていたのでそこのコンセプトの強制もしなかったけど、「苗場支部」という言葉で期待されるのってそういうところかな〜と思う。

そもそもイベントの集客って難しい

集客について。

  • フジロックという場で200人、SNSのフォロワーで1000人居る苗場支部ですが、1000人のフォロワーって「所詮」というレベルの数値。そのブランド力に頼るのは危険。
  • 「東京で集まったらもっと人集まる??」という期待はむしろ逆で、苗場にいると競合は「他の6つのステージ(とか宿とか)」だけど、東京に居たら無数に娯楽、競合が存在する。
  • 東京では「無料招待ライブ」にすら、広告費をかけて人を集めたりする。無料ですら人が集まらないこともあるのだから有料のイベントはもっと難しい。ましてや夏の苗場支部の集まりは無料だ。
  • 更に世の中的に、新規の催しに人を集めるのは難しい。夏10万人以上集めるフェスが新しいイベントやって集客が1/10以下だった、みたいなことも知ってるから、ブランド力に頼ることは絶対に危険。

たとえばそんな風に集客をネガティブに考えて、「集客は行って10人」というところからスタートすれば、イベントの組み立て方自体が変わっていったかもしれない。
言い換えると、10人ならば顔も思い浮かべられる。苗場やフットサルや飲み会にいつも来てくれてる人。その人達が望むイベントって何かな、なんて組み立て方も出来たかもしれない。

でもなんとなく、選択肢が無数にある東京だからこそ、「顔が見えている」距離のイベントが良いのだろうなあ〜なんて思う。前回のイベント↓はそういう距離感だったように思う。

http://j-naeba.tumblr.com/post/86349544282/jリーグ苗場支部14-決起集会
j-naeba.tumblr.com

だとすると、どんなイベントが成功に近いのか

以上を踏まえると、

  • スモールスタート
  • 開催はゴールではなくPRの場。次回へ繋げるために「写真を撮りたくなる、撮って載せたくなる仕掛け」を念頭に。

というのは今後イベントを新規で考えるにあたって大事なところなのかなと思ったりする。
とにかく『写真撮って、載せたくなる』こと。それ自体がイベント…というか、「その人がそこに時間を費やす価値」。

たとえば「泡パ」が人気出たのもそんなポイントだろうし、『チームラボ ボーダレス』なんかも、これまでチームラボの作品の多くが無料で見られる場に展示され続けた結果、3,600円を払ってでも「写真を撮るために行きたい」と思わせるまで広がったわけで。

現代は、参加者は「鑑賞すること」だけにお金を払う時代ではなくて、それプラス「そこに自分が居た・見た、と発信する価値」にお金を払う(うまく言えないけど)。

唐突にフジロックに話を戻すと、フジロックにここ2、3年若者が戻ってきたのは、ケンドリック・ラマーのような従来とは違うアーティストが出演したのもあるけど、タレントがSNSで発信してくれたことでフジロック=映える」という認識が広まったことも非常に大きいのではと思っていたりします。

反省点を踏まえた上でのアイデア

あまり起承転結になっていないテキストでしたが、最後に次回もしやる場合はこんなことあったらいいなあと思うこと。

  • ユニフォーム着用をドレスコード、または「ユニフォーム着てきたらディスカウント」
  • ユーザーが主役のコーナー。チャントじゃなくても目標順位とかプレゼン大会とか。

…って、夏にやってることと同じだけど、夏にやってることやらなかったら「らしく」ないだろうと思う。
そして個人的にやれたらいいなと思っているのは、サポノフさんやTIF支部さんのような、絡んでるようで絡んでない方と絡みたい。
今回最初に「ターゲットを苗場支部だけじゃなくそれ以外にも広げる」という話があって、それはめちゃくちゃ否定した(=そもそも苗場支部の人たちを呼べる確証もないのに広げて薄くなったら、「顔の見えている」苗場支部の人すら来なくなると思った)のだけど、僕個人は本当は異業種交流会こそ面白いと思っているので。

逆に、別に苗場支部的なものをやるんじゃなくフラットに『サッカー×音楽のイベントをやりたい』ならば、組み立て方もまた違ってくる。
フラットだからこそ、同じように各々のユニフォーム着用とか(この場合海外や代表も含まれる)、写真を撮りたくなるような…みたいなことだとなんだろ?ソックリさん居るとか?
でも何かしら交流出来る仕掛けがなきゃな。なんだろ。
Jリーグ、ってテーマで絞るのはやっぱ「交流時の会話が最初から限定できる」のが良いんだよな。
交流は大事。そういう意味でもスモールスタートは悪くない。

詰んでた

ちなみに自分の状況として…前々から、年に一度のフジロック(と朝霧JAM)での集合以外でも、何かイベントがあればいいかもとは思っていた。一方で、あの集まりは「年一回の同窓会的なもの」という想いもあるので、積極的に「もっと集まる機会を」と思っていたわけでもなく。
今回やりたいという声掛けをもらった晩秋。仕事的にも生活的にも詰んでたので「正直全く手伝えないけど、やるなら公式の告知はする」というかなり引いたスタンスだった。自分の手が詰まっているからと言って「やりたい」というのを止める権利は無いので。

果たしてそのスタンスが正解だったかと言うと…理想はいろいろあるけれど、じゃああの時「エネルギー割けたか」と言うと200%無理だったので、サポート出来なかった心苦しさもあるけど、お疲れ様でした…以外の言葉は無いなあと思います。

色々書きましたが、トークショー含め面白いイベントでした!またなんかできたらいいな。


庭園情報メディア〈おにわさん〉リニューアルによせて

『おにわさん』のデザインをフルリニューアルしました!
oniwa.garden

2年前、これまで巡った庭園をまとめたサイトとして制作・380箇所からスタートした『おにわさん』も今や約700箇所の庭園を掲載。インスタグラムも4,000人フォロワーまでいったし、「●●県 庭園」でググると大手企業の観光案内系サイトと並んで表示されるレベルに。

趣味のサイトとしてはなんとなくブルーオーシャンみたいな状況で運営してきたのかなあと思う中で、今回のリニューアルに関してはウェブ制作目線で色々考えさせられるところも多かったので、その備忘録としてこのエントリを書きます。
サイトとしての方向性、みたいなことはサイト内「”おにわさん”について」(https://oniwa.garden/about-oniwasan/)に書いたので、こちらでは「ウェブ制作・運営目線」でのエントリを書きます。

課題感

一番最初のきっかけは「SSL対応しなきゃなー」と夏前ぐらいから思っていたところからで、既存サイトの契約が10月末で更新を迎えるのでそのタイミングまでにはやりたいなと思っていたところから。
そういう意味では最初はこんなにガッツリリニューアルするつもりはなかった――もうね、進めれば進める程課題に気づく日々だったw

▼サーバ目線

  • 繰り返しになるけど、GoogleSSL非対応サイトを検索結果から除外する――ということは昨年から言われていたことなので、SSL対応は必須のタスクだった。
  • そしてその上で、この春夏ぐらいからか既存のサーバの調子が超悪かった。記事何本か更新するとサイト落ちるみたいな。

なのでミニマムでは「まるっとSSL対応+サーバー移転」だけで良かったは良かったんだけど。

▼コンテンツ目線

  • そんな中、後発サービスの「庭園ガイド」(https://garden-guide.jp/)さんの台頭。たとえば自分のサイトがなかなか検索評価が上がらない中で、どんどん検索で引っかかるようになっている。
  • 自分のサイトのことしか見てないと「そんなもんなんだろう」と思ってたけど、他サイトの評価が高くなっていくのを見ていると「これはサイトの構造が古いのだ、改善せねば」と思ったことが、結構ガッツリしたリニューアルになった最大の要因。
  • その最たるものがやはりSSL非対応なところとサーバの調子(サイトの速さ)。でもそれはもちろんだけど、自分の昔の記事を見返せば見返すほど、本文が無いw 見出しもない、わかりづらい。
  • そりゃあコンテンツの評価高まらないわ。
  • そしてなんとなくだけど、リリース時は「タイトルに日本語・英語を併記することで、海外の日本庭園好きの検索からも引っ掛かるように」という狙いがあったんだけど、(初期は実際そこからの流入もあったんだけど)ここ最近は無かった。多分言語が混在しているページが評価されなくなった?
  • その他にも、例えば鎌倉の庭園が15件ぐらい載っているのに、「市町村」のカテゴリやタグが県までなので「鎌倉の庭園」という個別ページがない状態。その情報を探している人を取り逃している(届けられていない)。
  • なので――テキストを書き直すのは大変だけど、700件にもなったのだからカテゴリ・タグは単純にわかりやすくすべき。

以上を踏まえて、
・検索評価を少しでも上げるためにはサイトも抜本的に見直す必要がある
という意識でリニューアルをスタート…というか、徐々にそうなっていった。

▼作業

というわけで具体的な作業の話。

  • 有料のサーバは夏にハンドクラップ侍(https://handclap-samurai.com)を作った時に借りてて、ここならSSL対応も問題ないのでここはすぐ終了。
  • その後は夏場〜晩夏はまだまだフェスやサッカー遠征シーズンだったので、作業に着手できたのは9月末から。
  • サイトの速度がかなり課題感としてあったので、テンプレートを「速さ」重視で調べて採用。
  • そのテンプレート「Godios.」は前からやりたかったPjaxも搭載してるので本当はやりたかったんだけど――もともと使ってるフォトギャラリーのjsがうまく動いてくれなかったので(そしてそれを変えると全記事のソースを修正しなければいけず、それはしんどい)、ページ遷移は普通のものにしている。
  • でも一部、久々に自分でjsやphpを書いているところもある。ああもう、コーディングはおろかプログラミングはこれで卒業したい…(けどページタイトルの出し分けで一部納得いっていないところもあるので、もう少し手を入れそう…)
  • デザインについては後述。これは最後の最後まで調整してたけど集中してやっていたのは2週末+平日1〜2時間。
  • そして記事周りの登録作業――もちろんテーブルはまるっとインサートしてるんだけど――画像がサイズ変わるしな、ってところで一度全クリアしたのが良くなかった。700件のメイン画像登録し直し(+今回見出し用にもう一点登録する)というのが想像以上に大変だった。
  • 画像登録だけじゃなくて、併せて前述の市町村とか追加した項目への対応もしてたんだけど――ここで「テキスト適当すぎる!!」と実感。テキスト書き直しはじめてると全然進まない。これじゃ月内に終わらない――ので見出しなどの一部項目は諦め。
  • これに2週末+平日の2時間ぐらいを積み重ねて、よーーやく終了。
  • で、昨晩ネームサーバーを新しいサイトへ向けて終了〜〜月内にリリースできてほんとよかった〜〜。

▼サイトのデザインについて

そしてサイトのデザイン。こだわりポイントが色々あるので書きたい。

■デザインの方向性的なところ

  • 最初にリリースした時のようなファーストビューがフルスクリーンって感じのサイトがやっぱり好きなので、最初はそういう形で考えていたけど、
  • 仕事まわりで色んなサイト・雑誌の表紙を見ているのもあり、今年流行っているデザインは「余白」と「ブロークングリッドだぞ」と。自分が好きなカルチャーっぽいものは大体そういう方向性。
  • 和のものをカルチャー・マガジンっぽく見せたい。
  • そこと前回も使っていた「Sawarabi Mincho」を組み合わせたデザイン。
  • ちなみに今回使っているWebフォントはこれだけ。前回はもう一つ使ってたけど、「サイトを軽く」という思いがあったので明朝以外はデバイスフォント。
  • もともとこのサイトのコンセプトは「ゆるく」だし、ポップに見せたいというのもあるので、楕円を沢山使っているデザインになっています。

  • トップページで余白を気にした分、記事ページではファーストビューを写真が覆うような形になっていて――
  • その流れで、見出しを縦書きで見せているのも今回のこだわりの一つ。
  • あとPCで見るとフォントサイズが全体的にかなりデカいはずです。本文22px。普通のメディアサイトは14〜16pxが主流だと思うので、かなりデカい。仕事含めてこれまで自分がやったサイトで一番大きいです。これは――文言の少なさをごまかす目的とw、余白感と「読みやすさ」を追求していったら大きくなりました。多分PCで見ている方は年齢層高めの人だと思うので、文字が大きい=良いこと なのではないか、とは思っています。

■情報的なこと

  • そういうデザイン性も大事だけど、「文字を増やすこと」が今回のリニューアルでやらなければいけないことだった。
  • たとえば前回はトップページの一覧はグリッド的に最新記事を並べていて――前回は「どこの庭園」ということは重要じゃなくて、イメージでクリックしてもらえるような、そんなサイトがいいなと思っていた。

  • けど今回は「文言が少なくて検索評価が上がらない、一覧で見ていても情報が少なくてわかりづらい」ということが大きな改善事項だったので、カテゴリも文章の冒頭も色々と表に出る形になってます。

終えてみて:反省点

▼サイトを作りはじめに関する反省点

  • とにかく「どんな言葉で検索して、サイトに来訪してもらいたいか。それを念頭に置いたテーブル設計」に尽きる。「鎌倉の庭園でまとめられていない」というのが一番わかりやすい構造の悪さ。

  • 最初は面倒くさくってあまりフィールド分けをしなかったんだよね。「見出し」もなかったし、英語名も同じタイトルフィールドに入れてた。
  • でも結局今回そのフィールド分けを700件に対して作業しなければいけなくなったし、テキストもまだまだクオリティが低い状態。これを後から取り戻すのは大変だ。最初から念頭に置いて造らなければいけないところ。
  • 「どんな言葉で検索されたいか」で言うと、「庭園」という言葉で上位に来るようになることは正直最初諦めてたんですよね。一単語で引っ掛かるのは厳しいだろうと。
  • でも700箇所にもなると、庭園マップや写真の量に関してはそれなりのコンテンツである自負はある。
  • ので、ちょっと工夫としてサイト名で「庭園情報メディア」という単語を前に持ってきてみたし、サイト内でも箇所や写真枚数を入れてみた。画像点数は、「更新前」のもの含めると1万枚近く掲載しているけど一応正確に近いものに――こういう狂っている感じはもっと出したい。

今後やりたいこと

前述の通り、文章のクオリティ改善は今後の最大の課題。これは正直時間がかかるものなので先々時間を掛けて…。

  • 1) とにかく冬場に記事のリライトしたいな〜。別にテキスト中心のサイトにする気はないのだけど、一行だけしか書いてないエントリとかも結構あるので(笑)最初はやっぱそれでも「行った場所」ということをまとめたいサイトだったんだよね。
  • 2) そして今回は「メディア」という言葉をつけた。いつか「庭園メディア」と名乗りたいと思っていた。500箇所超えれば、その資格あるかな?と思っていたので。で、メディアというからには、もっと色んなコンテンツをやりたい。2年前から言ってるけど。でもこれは冬から本当にちゃんとやろう。
  • 3) その具体的な方向性。「おにわさん」というタイトルは、最初は「庭園そのもの」を指す言葉として付けたものだけど、庭師さんのことを「お庭さん」と読んだりする人もいる。庭師含めて、庭園の維持に携わる人々、庭園を好きな人々。にフォーカスを当てたコンテンツをやりたい。やろう。
  • 4) コンテンツ量の話に戻る。最初のリリース時はなぜか「画像はMAX8枚、そして偶数」というルールにこだわってセレクトしていた。なので今となっては結構「掲載していない画像」が多い。この辺を過去フォルダから掘り出したい…。
  • 5) あとは「どこまでを庭園っていうの?」なんて友達から聞かれたことがあったんだけど。実際、初期は「●●庭園」と、「庭園」が付くもののみを極力ピックアップしていて、ただ最近は登録有形文化財暮らすのは「●●家住宅」みたいなところにも庭園があるなあと思ってそうしたものを結構載せている。もう少し武家屋敷の庭園や茶室は行っているはずなので、そのへんの記事も掘り起こしたい。

たとえば――結局は自分の趣味で、茅野の藤森照信さん建築群なんかは絶対このサイト好きな人が見たら「好き」と思える場所だと思う。そんなものも今後載せたっていいのではないか、とは思っている。なにせ「ゆるくお庭を愛でる」なので、極端な話「あ、あのお庭いいな」と思える場所ならなんだって掲載したい。歌舞伎座の屋上庭園とかまさにそんな感じ。

でもやっぱり「キャッチーでライトに」がこのサイトの目指すところ

テキスト量の少なさに大変危機感を覚えた今回のリニューアルではありますが、最後に思い返すと、このサイトの場合はやっぱ別にプロっぽいコンテンツが目的ではない――1ページ30秒しか滞在しない人に、30秒で画像を見て雰囲気を伝える。多分そういうサイトであるべきなんだよな。
昨年のTVBros.の時も言ってたような気がするけど、インスタで「和が映える」と気づいた人が、このサイトを利用して巡りやすいものであるといいな――なのでもしこのサイトが最も目指すべきものがあるとしたら、庭園マップの件数がどんどん増えて充実していくこと、かな?

という感じで。構造が駄目なサイトでどんなに記事増やしたって仕方がない、と思っていたので更新がちょっとおろそかになっていたけど、これで気持ちよく次へ進めるーーー!!70箇所ぐらい更新のストックがあるのでどんどん更新していきたい。そして紅葉の庭園を巡りたい!!
一方で秋には残留争い!ハーフマラソン!今週にはポール!やっぱ色んなイベントが待ち受けているので――ああ本当に今週で終わってよかった〜〜。先週の長崎アウェーで、また知らない新しい街に出会って、ほんとのほんとに1年分のブログを起こす気ではいるんだけど――これも冬場のタスクだな〜〜〜。

最後に作業途中のデザインと前回のデザインの記憶を。

今後とも「おにわさん」もよろしくおねがいします!

ジオシティーズからはじまった僕の20年。成功体験と人生と。【ジオシティーズ終了によせて】

長文ですが、この20年のタイムラインを振り返る個人的にはめちゃめちゃエモい文章です。
自分はバズる文章は書けないけど、今回のものは『20年間ウェブ・ログを書いている』人間にしか書けないエントリだと思います。(今年全然書いて無いけど)

最近知り合った人・昔からの知り合い。ネットでしか繋がっていない人・リアルで繋がっている人。
最近も会っている人・しばらく会っていない人。音楽つながりの人・そうじゃない人。仕事で関わっている人・そうじゃない人。
色んな人に読んでもらいたい――というか、「なぜこの人がウェブの仕事をしていて、音楽というコンテンツが好きなのか」の根源的なことがわかるエントリだと思うので、一つの体験談として読んでもらえたら嬉しいなーと思います。(そしてもうこんなエントリはもう書けない気がする。近年載せている旅行記は「誰かに読んでもらいたい」という欲望はほぼ無い)

1998年10月11日

20年前の今日。皆さん何してたか覚えてます?
※ちなみに15年前の今日はミッシェル・ガン・エレファントのラストライブの日でした。

先般、10月1日にジオシティーズからメールが来ました。

【重要】Yahoo!ジオシティーズ サービス終了のご案内

info-geocities.yahoo.co.jp(…ていうか、まだ終わってなかったんだっけ…)

ああ懐かしいなあ。当然(?)自分もジオシティーズで「ホームページ制作」を覚えた人間です。
まだ終わってなかったってことはまだ当時作ってたHPはあるのかな?

4桁の数字

…でもURLを覚えてない。

Yahoo!ジオシティーズ」になったのは2000年。当時使ってたIDと現在のヤフーIDは別物なので、紐づいていない。
たしかジオシティーズのURLって末尾が下四桁の数字でした。(覚えてます?)

自分はこの数字を覚えている。7***。

「4桁のパスワード」という時に誕生日にしたりする人って多いと思うのですが(だって他に思いつかないもんね)、自分はこの時の4桁をその後の人生で結構パスワードに使っていますw(そういう4桁が幾つかある。今の会社では使っていないけど。)
ちなみに自分でホームページを作る前に出入りしてたサイトの末尾は「5188」だったと思うなぁ。

※ちなみに。今もはてなで使っている「airgyan」というIDは1998年当時に使っていたハンドルネーム(日本語)を無理やりアルファベットにして取得したもの。今このID名でググっても、世界的に見てもかぶっていない。20年経ったのに。

20年経って

で、[ geocities (その数字) (当時のハンドルネーム) ]で検索してみたら。

……引っ掛かったよ当時のサイト……。
ああ、こんなサイト作ってたっけ。

もう消えている・リンク貼っていないコンテンツもあったけど、
cgi(死語?)のウェブ・ダイアリーではない、1998年10月11日に直でhtmlを打ち込んだ人生初めてのウェブ日記?所信表明のテキストが残ってました。

これです。

「いつかはすごいホームページを作りたいと思っています!」(←無邪気)
「誰のファンクラブに入っているわけじゃないからきついかなあ・・・(アーティストの)専門HPは・・・」

…全体的に顔から汗が吹き出そうなぐらい恥ずかしいものなのでリンクは貼らないのだけど(笑)
…お前その約10年後、その頃毎月買ってた雑誌、その雑誌が音楽雑誌で一番のセールスを達成するメディアになるんだけど、その会社のWebメディアを自分主体で作ってるよ。
その後も、お前が大好きな●スチルの事務所の関連しているコンサートのウェブサイトも仕事で担当してるし、音楽仕事きっかけで●井さんともフットサルしたよ。
(※当時フジロックはあったけどまだ「フェス」は遠い存在だったので一旦置いとく)

お前すげえなあ。良かったなあ、目標がかなって。
…あまり自分で自分を認められないネガな性格なんだけど、「お前すげえなあ」ってちょっと言いたくなった。

10代の頃のウェブ日記(ブログ)なんて闇歴史以外の何者でもないんだけど(笑)、20年経った今だから、一歩引いた目線で見られる。

GPAPEVINEというバンド

で、この2ヶ月後の1998年12月に「GPAPEVINE」というバンドのホームページを開設しました。
GRAPEVINE。音楽絡みのお仕事で繋がった方は皆さんご存知のバンドかと思います。そうじゃない知らない人はググってください。(便利な時代だ)

作ったのは誰の許可もとってない「非公式ファンサイト」ってやつ。
今となっては「公式ホームページ」なんてものは当たり前のものだしTwitterさえ始めればそれがホームページになるけど、当時はまだまだそんなものは少なかった。
GLAY(たしかHISASHIが早かった)やゆずはあったけど、ミスチルはなかったはず。しかもゆずも寺岡呼人さんが趣味で作り始めたんじゃなかったか。
ファン同士のコミュニケーションは「非公式ファンサイト」が主体だったし、下手したら情報もそちらの方が早かった。

そんな「GRAPEVINE」ですが、1999年に入るとMステやHEY!HEY!HEY!でも披露された代表曲“スロウ”でちょっとブレイクします。なお確か同じ発売日で大ブレイクを果たしたのはヒスブルです。♪そういうことならもう一度なんとやら〜。ゆずの“いつか”やミスチルの“DISCOVERY”も同じ日に発売日だったような。こんなによく覚えてるのは「予約してCDを買っていたから」だねぇ。


一面田んぼのあぜ道を毎日往復するような、浜松の片田舎で暮らし(今は有名な「さわやか」や巨大ショッピングセンターが出来て見違えっている)。東京・名古屋・大阪でのシーン(店舗やライブやFMや)の盛り上がりなんて知らない、300人ぐらいいる同学年で友達とか5人ぐらいとしか共有できない狭い狭い世界――だったけど、テレビに出始めてGRAPEVINEも世の中に知られ始めた。(世の中っつってもその狭い学校内の話です)
…そんな人気の出始めたバンドのメンバーが、自分のホームページのチャットに急に登場した。その時エピソードはこれです。
みんなが知ってるTV番組にはあまり出ずに夜中の(しかも数週遅れて)放送される番組でしか見られない。そんなレアキャラ(でも雑誌では今後、みんなが知っているヒット・チャートでも売れるであろう注目株と言われている)が、浜松の片田舎で暮らし(大事なことなので2回言いました)の自分のホームページに来る。自分ちの目の前に古墳があるような(実話。レキシのようなネタではなくほんまもんの県指定の文化財ですw)、そんな浜松の片田舎の自分のホームページに…。

大げさではなく、「人生が変わった初めての成功体験」はこれだったと思う。

当時「事務所やレコード会社に行動が管理されているはず」というような知識ぐらいはあったので、「絶対そんな勝手な行動とるわけない」と疑っていたのだけど、今で言う解禁前の情報をチャットに暴露し(ライブスケジュールや新曲情報w『光について』『Lifetime』はそんな作品です)、去っていき、そして後日J-WAVENACK5?の番組内でその時のことが話される――という風に繋がっていく。
そしてその評判でまた自分のホームページに人が増える。

なぜウェブの仕事を志したか。今もやっているのか。
本当にこの体験がすべてだったと思う。
あの体験で、「ファンとアーティストが、事務所やレコード会社という垣根を通さずに交流するのが普通の時代が来る。というか、来ないはずがない」と思った。
アーティストもファンの反応は気になるみたいし、どうやら感謝してくれている…ファンも当然アーティストとコミュニケーション取れる場なんてお金を払ってでも体験したいはず…需要と供給が一致する。

ブログやmixiが流行った時代はまだそうなり切れなかったけど、Twitterが流行ってから完全にそうなった。
それはブログやmixiのサービス云々というよりも、音楽業界が衰退しガチガチに縛れなくなったというタイミングも影響していると思う。そして今や、すべてが無料化するわけではなく一定のビジネスと成り立っている(むしろライブが一般化して市場が伸びている)。
ほんとーに今は良い時代だと思う。

そのGRAPEVINEのホームページは高校卒業を機にやめた。バンド自体は好きだったけど、まあ高校生なので色んな音楽を次々と好きになったし、その中でホームページを更新することに飽きたんだと思う。
後年、そのメンバーも脱退してしまったので、仕事で音楽関連のウェブ制作をするようになりそれこそ会社のイベントにGRAPEVINEが出てたりしても、「実は昔ホームページを作っていたんです」なんてさらけ出す機会もなく今に至ります。

あ、このネットでの成功体験が一つだとすると。
GRAPEVINEがテレビに出始めて、クラスでも「なんとかバイン、良いって言ってたよね?CD貸して」ということが起こっていく。バインに限らず色んなバンドで。
ニッチだと思っていたものをフックとして、新しいコミュニケーションが広がってゆく。「あいつ音楽詳しい」というラベルが貼られる。更に突っ込んだ言い方するとそれが存在意義になる。(存在証明を〜ってアジカンみたいな話ですが。)
変な話、これが「リアルと連動した成功体験」だったようにも思う――背が高いわけでもイケメンでも秀才でもスポーツが上手い訳でもない。その中でのポジショニング方法。だから高校の学園祭でも、演奏したのは、ハイスタ、ミッシェル、バイン、oasisトライセラNIRVANAってやったっけ?、そしてまだメジャーデビューもしていない(“天体観測”のずっと前の)BUMP OF CHICKEN。ニッチでもわかる人がわかるのが一番良い、という感性はこの頃に固まった(固まってしまった)と思う。

…でも当時、くるりクラムボン(という後にビッグ・アーティストになる2組)のフリーライブのチケット2枚持ってて、誘ったけど誰も来てくれなくて…一人で行って。「これはいい!!」と思うコンテンツは見つけられてたけど、今で言う「インフルエンサー」ではないのよなー自分という人間は。そういう才能はない。
なおそのライブは隣で見てた女の子と会話して連絡先を交換した淡いエピソードもありましてね。当時彼女居たから発展しなかったけど。でもこういう出会い(恋愛的な意味ではなく、人との広がり)があるんだっていう世界を、音楽やライブというものは広げてくれた。

商才 #とは

当時からホームページには広告バナーを貼ったり、これはこの辺に配置した方がクリックされるんじゃないか?とデザイン・レイアウトを考えたり、当時はさすがにGoogle Analyticsはなかったけどcgiの解析ツール見て「どのコンテンツとどのコンテンツが相性が良いのか」みたいなこと考えながら運営していた。

当時の自分にとってはこれらは「ゲームのようなもの」だった気がするし、正直「仕事」になった今もその延長線上の感覚かもしれない。
このホームページ、何をどうしたらアクセス数が伸びるかな――見た目かもしれないしシステムかもしれないしその為には今の使われ方を知りたい…テレホタイム(死語)にそんなことやってたから大学受験もしなかったんだけど。

今やそんなことのすべてが、「Webプロデューサー」「Webディレクター」「Webアナリスト」「Webデザイナー」「フロントエンジニア」みたいなカッコいい横文字で職業になってるのだから、なんだろう…羨ましいというのがいいのか、自分がその横文字を名乗る違和感から未だ抜け出せていないというか。
(…高校生の頃に地元の企業に売り込んでたらもっとお小遣いになってたのかもなぁ。)

一方で、地元・浜松のBOOK ●FFやGE●のような中古CD屋さんで、数百円でレア盤を買い、ヤフオクで数千円で売る。なんてお小遣い稼ぎもしてました。なお当時もヤフオクは18歳以下禁止だったので、年齢を偽って登録したアカウントが現在も使っているヤフーのIDです(笑)これも好きだったバンドの名前。

そんな風にネットの広告や「仕入れて販売する」…という仕組みで一定のお小遣いは稼いでいたけど。
20年経ってみて。おそらく似たような形でネットビジネスを覚えた「IT社長」のようにはなれていない。そして多分永久にならない。
(ちなみに僕にヤフオクを教えてくれた当時の彼女は一流大学を経て大企業に就職しているので、順調ならばきっと年収は倍ぐらいいってるんじゃないでしょうか。もうわからないけど。)

当時稼いだお小遣いも、全部名古屋や東京へライブに行くためやCD代に消えた。ハタチの頃に携わったサービスでも、毎月億単位で売上の上がるサービスの管理ツールを見てたけど(なお当時はグレー今は黒なジャンルです)、結局儲けたいとは思えなくて、フツーに給料はCD代とサッカー観戦代に消えてましたね。

残念ながら、商売のセンスや欲が無い。(涙

計画性がない自分は「目の前にあるホームページ良くする」しか出来ないのではないか、などと。計画が立てられる人間ならばもう少しまともに大人になっていたはず…。

ジオシティーズからはじまった僕の20年

20年前の文章を、20年後こうして読むなんてまさか思っていない。
こうして振り返ってみると、本当にあの「ホームページを作ってみる」という一歩、田舎の高校生の(自分の周辺にコンテンツになるものなんてなにもない!)のテキストが、
今の自分の仕事・生活・これまでに起こった「想像もしていなかった体験」すべてに繋がる。

あれが無かったら普通に地元の工場のラインの仕事かスーパーの店員さんでもして、毎日17時や18時に帰って、マイホームとかに住んでたんだろうか。…同級生に家族がいるのとか超超超羨ましいけど、でも自分にはそんな人生想像できないな。ある意味思い描いた通りの未来になっているのかも。
いや、結構旅行とか嫌いなタイプだったのでこんなに日本全国飛び回るようになるとは想像もしていなかったな(笑)
現実的に35歳彼女無し貯金もそんな多くないという現実が今目の前にあるのでww、このエントリは別に「サクセス・ストーリー」を記したものではない。
けど、自分が想像もしなかった多くの貴重な体験を、冒頭の――20年前のエントリを皮切りに体験させてもらった。普通の幸せには程遠いかもしれないけど、楽しい人生を過ごさせてもらっていると思います。

不思議なもので、あの当時はあの当時で「田舎の高校生の日常」のウェブ日記が数百人にとって「珍しい、日常で絶対触れることがないもの」としてコンテンツになってたんだよなあ、と今となっては思う。皆様お元気だろうか。自分が20も歳を取ってるんだから皆様も良い年齢なんだろうなあ。

そろそろ締めたい。「庭園」というコンテンツも何も「インバウンド需要が――」「日本文化が海外で今――」という背景をきっかけに注目したわけではない(巡り始めたのは約10年前)。
当時の「GRAPEVINE」というバンドと同じ。「こんなめちゃめちゃ良いものなのに、まだ誰もホームページやってないじゃん!?」
…また数年後、「こんなめちゃめちゃ良いものなのに、まだ誰もサービスにしてないじゃん!?」というものを見つけて、細々と「メディア」を作る――それがホームページなのかそれ以外かわからないけど――なんかそういうことを死ぬまでやるような気がする。

ビジネスじゃないから別に焦って探したりはしない。かと言って「誰にも評価されないかもしれない」ものではなく、「きっとみんなもいつか魅力に気づくはず」というものに熱を帯びる――んじゃないかなあと思います。
ビジネスとして成り立つ見込みが立てばちゃんとした企業がどんどん入ってくるし別に「自分が」こだわってやる意味はない。よく「多数決・最大公約数的に決まるものなんて面白くない」と言うけどそのとおりだと思う。
…でも組織でやるメリットはとにかく「リソースがあること」なので、組織が「目線」と「熱量」を持って運営できれば鬼に金棒なのは間違いない。

あ。言い換えると自分は「お金を稼ぐ」成功体験はまだないのかもな。「納得いく良いものを作る」成功体験はあったとしても。ロジックが分かれば――つかめれば――意外と楽しいのかもしれません。果たしてそれを見つけられるのか、「やっぱ才能無いわ〜」と思って別のことをはじめるのかわかりませんが。

…そんな風に人生を変えたジオシティーズ。最初やってた人はもう中に居ないだろうけど、それでも長い間おつかれさまでした。自分も最初の1年ぐらいで、途中からは広告が嫌で別のサーバーにしたけど、それでもジオシティーズがなければ始まっていなかった。
「平成最後の――」なんて言うけど、ジオシティーズの終了が自分にとっては平成最後を最も感じさせる出来事かもなあ…最後にあのフォーマットで、今しかできないキャンペーンページとか作ってみたいな(笑)

最後に。1年後の1999年10月11日の日記。

16歳の頃はメンがヘラってることに憧れがあったので(笑)なぜか「生きてていいのか」とか書いてますが、『ガチガチした考え方持ってたらアクション起こせるときに起こせなくなるからなるべくそういうのはないようにしてる』こんな一文を気になって文字起こしているのは――好きな言葉・目線は当時も今もそんなに変わっていないのかも(笑)

※いずれのキャプチャの画面は今もWeb上(geocities)に存在しています。15-6に書いている文章はこっ恥ずかしすぎてさすがにURLを張るのは憚られるのですが、「1998年頃の15歳のいちWebダイアリー」としては化石として面白いかもしれません。
サービス終了までにパスワード問い合わせてバックアップだけとっておこうかな…。