ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

ジオシティーズからはじまった僕の20年。成功体験と人生と。【ジオシティーズ終了によせて】

長文ですが、この20年のタイムラインを振り返る個人的にはめちゃめちゃエモい文章です。
自分はバズる文章は書けないけど、今回のものは『20年間ウェブ・ログを書いている』人間にしか書けないエントリだと思います。(今年全然書いて無いけど)

最近知り合った人・昔からの知り合い。ネットでしか繋がっていない人・リアルで繋がっている人。
最近も会っている人・しばらく会っていない人。音楽つながりの人・そうじゃない人。仕事で関わっている人・そうじゃない人。
色んな人に読んでもらいたい――というか、「なぜこの人がウェブの仕事をしていて、音楽というコンテンツが好きなのか」の根源的なことがわかるエントリだと思うので、一つの体験談として読んでもらえたら嬉しいなーと思います。(そしてもうこんなエントリはもう書けない気がする。近年載せている旅行記は「誰かに読んでもらいたい」という欲望はほぼ無い)

1998年10月11日

20年前の今日。皆さん何してたか覚えてます?
※ちなみに15年前の今日はミッシェル・ガン・エレファントのラストライブの日でした。

先般、10月1日にジオシティーズからメールが来ました。

【重要】Yahoo!ジオシティーズ サービス終了のご案内

info-geocities.yahoo.co.jp(…ていうか、まだ終わってなかったんだっけ…)

ああ懐かしいなあ。当然(?)自分もジオシティーズで「ホームページ制作」を覚えた人間です。
まだ終わってなかったってことはまだ当時作ってたHPはあるのかな?

4桁の数字

…でもURLを覚えてない。

Yahoo!ジオシティーズ」になったのは2000年。当時使ってたIDと現在のヤフーIDは別物なので、紐づいていない。
たしかジオシティーズのURLって末尾が下四桁の数字でした。(覚えてます?)

自分はこの数字を覚えている。7***。

「4桁のパスワード」という時に誕生日にしたりする人って多いと思うのですが(だって他に思いつかないもんね)、自分はこの時の4桁をその後の人生で結構パスワードに使っていますw(そういう4桁が幾つかある。今の会社では使っていないけど。)
ちなみに自分でホームページを作る前に出入りしてたサイトの末尾は「5188」だったと思うなぁ。

※ちなみに。今もはてなで使っている「airgyan」というIDは1998年当時に使っていたハンドルネーム(日本語)を無理やりアルファベットにして取得したもの。今このID名でググっても、世界的に見てもかぶっていない。20年経ったのに。

20年経って

で、[ geocities (その数字) (当時のハンドルネーム) ]で検索してみたら。

……引っ掛かったよ当時のサイト……。
ああ、こんなサイト作ってたっけ。

もう消えている・リンク貼っていないコンテンツもあったけど、
cgi(死語?)のウェブ・ダイアリーではない、1998年10月11日に直でhtmlを打ち込んだ人生初めてのウェブ日記?所信表明のテキストが残ってました。

これです。

「いつかはすごいホームページを作りたいと思っています!」(←無邪気)
「誰のファンクラブに入っているわけじゃないからきついかなあ・・・(アーティストの)専門HPは・・・」

…全体的に顔から汗が吹き出そうなぐらい恥ずかしいものなのでリンクは貼らないのだけど(笑)
…お前その約10年後、その頃毎月買ってた雑誌、その雑誌が音楽雑誌で一番のセールスを達成するメディアになるんだけど、その会社のWebメディアを自分主体で作ってるよ。
その後も、お前が大好きな●スチルの事務所の関連しているコンサートのウェブサイトも仕事で担当してるし、音楽仕事きっかけで●井さんともフットサルしたよ。
(※当時フジロックはあったけどまだ「フェス」は遠い存在だったので一旦置いとく)

お前すげえなあ。良かったなあ、目標がかなって。
…あまり自分で自分を認められないネガな性格なんだけど、「お前すげえなあ」ってちょっと言いたくなった。

10代の頃のウェブ日記(ブログ)なんて闇歴史以外の何者でもないんだけど(笑)、20年経った今だから、一歩引いた目線で見られる。

GPAPEVINEというバンド

で、この2ヶ月後の1998年12月に「GPAPEVINE」というバンドのホームページを開設しました。
GRAPEVINE。音楽絡みのお仕事で繋がった方は皆さんご存知のバンドかと思います。そうじゃない知らない人はググってください。(便利な時代だ)

作ったのは誰の許可もとってない「非公式ファンサイト」ってやつ。
今となっては「公式ホームページ」なんてものは当たり前のものだしTwitterさえ始めればそれがホームページになるけど、当時はまだまだそんなものは少なかった。
GLAY(たしかHISASHIが早かった)やゆずはあったけど、ミスチルはなかったはず。しかもゆずも寺岡呼人さんが趣味で作り始めたんじゃなかったか。
ファン同士のコミュニケーションは「非公式ファンサイト」が主体だったし、下手したら情報もそちらの方が早かった。

そんな「GRAPEVINE」ですが、1999年に入るとMステやHEY!HEY!HEY!でも披露された代表曲“スロウ”でちょっとブレイクします。なお確か同じ発売日で大ブレイクを果たしたのはヒスブルです。♪そういうことならもう一度なんとやら〜。ゆずの“いつか”やミスチルの“DISCOVERY”も同じ日に発売日だったような。こんなによく覚えてるのは「予約してCDを買っていたから」だねぇ。


一面田んぼのあぜ道を毎日往復するような、浜松の片田舎で暮らし(今は有名な「さわやか」や巨大ショッピングセンターが出来て見違えっている)。東京・名古屋・大阪でのシーン(店舗やライブやFMや)の盛り上がりなんて知らない、300人ぐらいいる同学年で友達とか5人ぐらいとしか共有できない狭い狭い世界――だったけど、テレビに出始めてGRAPEVINEも世の中に知られ始めた。(世の中っつってもその狭い学校内の話です)
…そんな人気の出始めたバンドのメンバーが、自分のホームページのチャットに急に登場した。その時エピソードはこれです。
みんなが知ってるTV番組にはあまり出ずに夜中の(しかも数週遅れて)放送される番組でしか見られない。そんなレアキャラ(でも雑誌では今後、みんなが知っているヒット・チャートでも売れるであろう注目株と言われている)が、浜松の片田舎で暮らし(大事なことなので2回言いました)の自分のホームページに来る。自分ちの目の前に古墳があるような(実話。レキシのようなネタではなくほんまもんの県指定の文化財ですw)、そんな浜松の片田舎の自分のホームページに…。

大げさではなく、「人生が変わった初めての成功体験」はこれだったと思う。

当時「事務所やレコード会社に行動が管理されているはず」というような知識ぐらいはあったので、「絶対そんな勝手な行動とるわけない」と疑っていたのだけど、今で言う解禁前の情報をチャットに暴露し(ライブスケジュールや新曲情報w『光について』『Lifetime』はそんな作品です)、去っていき、そして後日J-WAVENACK5?の番組内でその時のことが話される――という風に繋がっていく。
そしてその評判でまた自分のホームページに人が増える。

なぜウェブの仕事を志したか。今もやっているのか。
本当にこの体験がすべてだったと思う。
あの体験で、「ファンとアーティストが、事務所やレコード会社という垣根を通さずに交流するのが普通の時代が来る。というか、来ないはずがない」と思った。
アーティストもファンの反応は気になるみたいし、どうやら感謝してくれている…ファンも当然アーティストとコミュニケーション取れる場なんてお金を払ってでも体験したいはず…需要と供給が一致する。

ブログやmixiが流行った時代はまだそうなり切れなかったけど、Twitterが流行ってから完全にそうなった。
それはブログやmixiのサービス云々というよりも、音楽業界が衰退しガチガチに縛れなくなったというタイミングも影響していると思う。そして今や、すべてが無料化するわけではなく一定のビジネスと成り立っている(むしろライブが一般化して市場が伸びている)。
ほんとーに今は良い時代だと思う。

そのGRAPEVINEのホームページは高校卒業を機にやめた。バンド自体は好きだったけど、まあ高校生なので色んな音楽を次々と好きになったし、その中でホームページを更新することに飽きたんだと思う。
後年、そのメンバーも脱退してしまったので、仕事で音楽関連のウェブ制作をするようになりそれこそ会社のイベントにGRAPEVINEが出てたりしても、「実は昔ホームページを作っていたんです」なんてさらけ出す機会もなく今に至ります。

あ、このネットでの成功体験が一つだとすると。
GRAPEVINEがテレビに出始めて、クラスでも「なんとかバイン、良いって言ってたよね?CD貸して」ということが起こっていく。バインに限らず色んなバンドで。
ニッチだと思っていたものをフックとして、新しいコミュニケーションが広がってゆく。「あいつ音楽詳しい」というラベルが貼られる。更に突っ込んだ言い方するとそれが存在意義になる。(存在証明を〜ってアジカンみたいな話ですが。)
変な話、これが「リアルと連動した成功体験」だったようにも思う――背が高いわけでもイケメンでも秀才でもスポーツが上手い訳でもない。その中でのポジショニング方法。だから高校の学園祭でも、演奏したのは、ハイスタ、ミッシェル、バイン、oasisトライセラNIRVANAってやったっけ?、そしてまだメジャーデビューもしていない(“天体観測”のずっと前の)BUMP OF CHICKEN。ニッチでもわかる人がわかるのが一番良い、という感性はこの頃に固まった(固まってしまった)と思う。

…でも当時、くるりクラムボン(という後にビッグ・アーティストになる2組)のフリーライブのチケット2枚持ってて、誘ったけど誰も来てくれなくて…一人で行って。「これはいい!!」と思うコンテンツは見つけられてたけど、今で言う「インフルエンサー」ではないのよなー自分という人間は。そういう才能はない。
なおそのライブは隣で見てた女の子と会話して連絡先を交換した淡いエピソードもありましてね。当時彼女居たから発展しなかったけど。でもこういう出会い(恋愛的な意味ではなく、人との広がり)があるんだっていう世界を、音楽やライブというものは広げてくれた。

商才 #とは

当時からホームページには広告バナーを貼ったり、これはこの辺に配置した方がクリックされるんじゃないか?とデザイン・レイアウトを考えたり、当時はさすがにGoogle Analyticsはなかったけどcgiの解析ツール見て「どのコンテンツとどのコンテンツが相性が良いのか」みたいなこと考えながら運営していた。

当時の自分にとってはこれらは「ゲームのようなもの」だった気がするし、正直「仕事」になった今もその延長線上の感覚かもしれない。
このホームページ、何をどうしたらアクセス数が伸びるかな――見た目かもしれないしシステムかもしれないしその為には今の使われ方を知りたい…テレホタイム(死語)にそんなことやってたから大学受験もしなかったんだけど。

今やそんなことのすべてが、「Webプロデューサー」「Webディレクター」「Webアナリスト」「Webデザイナー」「フロントエンジニア」みたいなカッコいい横文字で職業になってるのだから、なんだろう…羨ましいというのがいいのか、自分がその横文字を名乗る違和感から未だ抜け出せていないというか。
(…高校生の頃に地元の企業に売り込んでたらもっとお小遣いになってたのかもなぁ。)

一方で、地元・浜松のBOOK ●FFやGE●のような中古CD屋さんで、数百円でレア盤を買い、ヤフオクで数千円で売る。なんてお小遣い稼ぎもしてました。なお当時もヤフオクは18歳以下禁止だったので、年齢を偽って登録したアカウントが現在も使っているヤフーのIDです(笑)これも好きだったバンドの名前。

そんな風にネットの広告や「仕入れて販売する」…という仕組みで一定のお小遣いは稼いでいたけど。
20年経ってみて。おそらく似たような形でネットビジネスを覚えた「IT社長」のようにはなれていない。そして多分永久にならない。
(ちなみに僕にヤフオクを教えてくれた当時の彼女は一流大学を経て大企業に就職しているので、順調ならばきっと年収は倍ぐらいいってるんじゃないでしょうか。もうわからないけど。)

当時稼いだお小遣いも、全部名古屋や東京へライブに行くためやCD代に消えた。ハタチの頃に携わったサービスでも、毎月億単位で売上の上がるサービスの管理ツールを見てたけど(なお当時はグレー今は黒なジャンルです)、結局儲けたいとは思えなくて、フツーに給料はCD代とサッカー観戦代に消えてましたね。

残念ながら、商売のセンスや欲が無い。(涙

計画性がない自分は「目の前にあるホームページ良くする」しか出来ないのではないか、などと。計画が立てられる人間ならばもう少しまともに大人になっていたはず…。

ジオシティーズからはじまった僕の20年

20年前の文章を、20年後こうして読むなんてまさか思っていない。
こうして振り返ってみると、本当にあの「ホームページを作ってみる」という一歩、田舎の高校生の(自分の周辺にコンテンツになるものなんてなにもない!)のテキストが、
今の自分の仕事・生活・これまでに起こった「想像もしていなかった体験」すべてに繋がる。

あれが無かったら普通に地元の工場のラインの仕事かスーパーの店員さんでもして、毎日17時や18時に帰って、マイホームとかに住んでたんだろうか。…同級生に家族がいるのとか超超超羨ましいけど、でも自分にはそんな人生想像できないな。ある意味思い描いた通りの未来になっているのかも。
いや、結構旅行とか嫌いなタイプだったのでこんなに日本全国飛び回るようになるとは想像もしていなかったな(笑)
現実的に35歳彼女無し貯金もそんな多くないという現実が今目の前にあるのでww、このエントリは別に「サクセス・ストーリー」を記したものではない。
けど、自分が想像もしなかった多くの貴重な体験を、冒頭の――20年前のエントリを皮切りに体験させてもらった。普通の幸せには程遠いかもしれないけど、楽しい人生を過ごさせてもらっていると思います。

不思議なもので、あの当時はあの当時で「田舎の高校生の日常」のウェブ日記が数百人にとって「珍しい、日常で絶対触れることがないもの」としてコンテンツになってたんだよなあ、と今となっては思う。皆様お元気だろうか。自分が20も歳を取ってるんだから皆様も良い年齢なんだろうなあ。

そろそろ締めたい。「庭園」というコンテンツも何も「インバウンド需要が――」「日本文化が海外で今――」という背景をきっかけに注目したわけではない(巡り始めたのは約10年前)。
当時の「GRAPEVINE」というバンドと同じ。「こんなめちゃめちゃ良いものなのに、まだ誰もホームページやってないじゃん!?」
…また数年後、「こんなめちゃめちゃ良いものなのに、まだ誰もサービスにしてないじゃん!?」というものを見つけて、細々と「メディア」を作る――それがホームページなのかそれ以外かわからないけど――なんかそういうことを死ぬまでやるような気がする。

ビジネスじゃないから別に焦って探したりはしない。かと言って「誰にも評価されないかもしれない」ものではなく、「きっとみんなもいつか魅力に気づくはず」というものに熱を帯びる――んじゃないかなあと思います。
ビジネスとして成り立つ見込みが立てばちゃんとした企業がどんどん入ってくるし別に「自分が」こだわってやる意味はない。よく「多数決・最大公約数的に決まるものなんて面白くない」と言うけどそのとおりだと思う。
…でも組織でやるメリットはとにかく「リソースがあること」なので、組織が「目線」と「熱量」を持って運営できれば鬼に金棒なのは間違いない。

あ。言い換えると自分は「お金を稼ぐ」成功体験はまだないのかもな。「納得いく良いものを作る」成功体験はあったとしても。ロジックが分かれば――つかめれば――意外と楽しいのかもしれません。果たしてそれを見つけられるのか、「やっぱ才能無いわ〜」と思って別のことをはじめるのかわかりませんが。

…そんな風に人生を変えたジオシティーズ。最初やってた人はもう中に居ないだろうけど、それでも長い間おつかれさまでした。自分も最初の1年ぐらいで、途中からは広告が嫌で別のサーバーにしたけど、それでもジオシティーズがなければ始まっていなかった。
「平成最後の――」なんて言うけど、ジオシティーズの終了が自分にとっては平成最後を最も感じさせる出来事かもなあ…最後にあのフォーマットで、今しかできないキャンペーンページとか作ってみたいな(笑)

最後に。1年後の1999年10月11日の日記。

16歳の頃はメンがヘラってることに憧れがあったので(笑)なぜか「生きてていいのか」とか書いてますが、『ガチガチした考え方持ってたらアクション起こせるときに起こせなくなるからなるべくそういうのはないようにしてる』こんな一文を気になって文字起こしているのは――好きな言葉・目線は当時も今もそんなに変わっていないのかも(笑)

※いずれのキャプチャの画面は今もWeb上(geocities)に存在しています。15-6に書いている文章はこっ恥ずかしすぎてさすがにURLを張るのは憚られるのですが、「1998年頃の15歳のいちWebダイアリー」としては化石として面白いかもしれません。
サービス終了までにパスワード問い合わせてバックアップだけとっておこうかな…。

『スノーピークから考えるコミュニティの重要性』/ MarkeZine Day 2018 Autumn

MarkeZine Day 2018 Autumn(https://event.shoeisha.jp/mzday/20180920)へ行ってきました。一番面白かったのがこの講演。フェス・キャンパーとしてはとても身近なスノーピーク。高いので僕は持っていないけど(笑)、周りで使っている人は多いし、そうした人たちの満足度は高いし。そういった高エンゲージメントを維持しているスノーピークの講演は、中の人の「アウトドア好きに向き合う。自分たちも好きである。それができなければ存在意義はない」というのがヒシヒシと伝わってきて感動しました。
90年代半ばまで6年連続で減益していたsnow peakの「コミュニティマーケティング」による快進撃。

分岐点:snow peak way '99

  • ユーザーからの声。「品ぞろえが悪い」
  • 「事業はうまくいっていないけど、でもユーザーの顔を見ていると頑張ろうと思える」
  • これをきっかけに「永久保証」に舵を切った

「熱狂的なファンがビジネスの成長に繋がる」

  • それまでは新潟の一中小企業
  • キャンパーじゃない人もいた 仕事としてキャンプへ行くなんて嫌だ
  • 副産物:イベントでユーザーに対峙するのが嫌な人はいなくなった。
  • ブランドのファンだけが採用に来るようになった
  • 自分たちから熱量を伝えられる

広告をやめてコミュニティイベントへ

  • リアルイベントのコストと広告。両方をとるのは難しいので、リアルに振り切る
  • シュリンクしていた業界だからこそ、エンゲージメントが高いユーザーに振り切った
  • 100組 10年 続ける覚悟で。ただ初年度は大阪が台風で中止、東京は30組
  • キャンプの現場での声「使い方がわからない 楽しみ方がわからない」
  • 今も変わらないキーコンテンツは「たき火トーク」。語り合う

ユーザーの声を元にした改革

  • 流通コストを削って価格を下げた
  • ディーラー制度 フラッグシップストア
  • 2000年に最後に雑誌広告
  • 売りきりではなく、商品の寿命まで永久保証することでお客様との接点を持つ。
  • SNSも積極的に
    • 炎上も何度もしたw
    • リアルとの連動で口コミが広がる!

KPI

  • ポイント会員数30万人
  • 会員ランクによって行けるイベントが違う
  • お店もエリアによっては閉じることも。
  • 店舗あけてでもイベントに出て、ユーザーとの接点を持つ方が、長い目で見た売上にも繋がるという理念

スノーピークが目指すもの・理念:

snow peak way

「よりよいものをユーザーと作る」
ブランドのマネジメント者としてはそれしかない
それが本物を作る。
その中での課題感:人への投資。人が要る。

自分の仕事へのアイデア

  • エンゲージメントが高いファンが集めることによって、一般のファンに広げる。この夏足を運んでいるフジロックAIR JAMもまさにそういった成長モデルだったのではないか。
  • たとえば…ランク限定で申し込めるライブイベントの開催で会員との相乗成長

自分のメディア・自分の事業を持つことの重要さ

  • 「熱量を持たなければ」というけど、「最も自分ごとに考えられる」ことって「自分たちのメディア・事業」だからであって、「他人のサポート」を生業としている以上は、いくら相手(クライアント)目線で――それ以上そのプロダクトを好きになって――といっても、持てなくても仕方がないというか。持ってほしいけど、物理的にその目線になれないとわからなくてもそりゃそうだよなと。snow peakのようにはなれないし、ましてや自分にとって憧れの場で働く経験になった■ッキング・オン社のようにはいかない。
  • 本当は、全企業がオウンドメディア、自社事業があるといいんだけど、かと言って全員がそれに携われるわけでもないので…一番手っ取り早い「オウンドメディア、自分事業」って、Twitterやブログのアクセス数、フォロワー数を伸ばすことだよね。

なんて思ったので半年止まってたブログを急に更新します。でもこのブログは基本的には今まで通りサッカー記録、ライブ・フェス記録、旅行記録を記したい。これを機に後進を復活したいです(笑)

ガーデン・シティ・ライフ・ログ

どーでもいいのですが、ブログのタイトルを変更します。

メッセージ・ソング

元々PCではブログのタイトルを表示していなかったぐらい、こだわりがあるものでは無かったけど、「メッセージ・ソング」というタイトルは2002年に付けたものなので16年間続きました。

2002年に付けた時はまだ「ブログ」という単語はなかった。いわゆるウェブダイアリーのタイトル。当時付けた際の想いは、大好きな曲のタイトルであり、「特定の意味が無いタイトル」なんだけどその曲が歌っているのは、またいつか届いたらいいな〜的なことなので――10代後半のそんな想い、多分30歳頃までは少なからずそんな気持ちがあったと思うんです。
――でももうさすがに無いな、そういえば。

Garden City Life

このブログもすっかり旅行・庭園の記事ばかりになりました。
ライブやサッカーが大体年間で30〜40本ぐらいずつ(これも少ない数字ではないけど)、というのと比べてここ5年は年間で150〜200箇所は足を運んでる訳で、「おにわさん」を作ってからは生活の中心が庭巡りと行っても過言でない状況になってる。
今日4月1日含めてこの1ヶ月で60箇所ぐらい庭園行ってると思うけど、Twitterアカウント @oniwastagram でタイムリーに呟けていないし、ブログは相変わらず昨年の記事で止まってる。
あーなんか勿体無い。ソーシャルアカウントをも少しうまく運用したい。

何となく「庭含めた全体のこと」をこのブログやTwitterの個人アカウントに寄せてたけど、全体をもっと庭垢に寄せるというか。サッカーはちょっと別口かなとは思ってるけど、庭園含めて「アート寄りなもの」…旅行や町並み、美術館、野外フェスのこと、それにまつわる独り言すら「庭アカウント」を中心にしてもいいんじゃないか。それが http://oniwa.garden/ の色になるんじゃないか。

このブログは http://oniwa.garden/ とは別領域の、個人的なもの、みたいな線引で考えてたんだけど、まだアップできていない記事含め、ほーっとんど庭園の記事(笑)
「おにわさん」でコラム的なものも作りたいとずっと思っていたけど、このブログをその受け皿にしちゃった方が良い気がする。

ということで、まずはブログのタイトルを変更する。
“Garden City Life”も、中学生の頃から好きな曲のタイトルです。
ほぼ毎日、井の頭公園を歩いて約15年。
この公園――庭が好きだし、この街が好き。
ガーデン・シティ・ライフ・ログ。
みたいな感じです。

……かといって別に更新頻度がいきなり上がるわけじゃなく、暫くは溜まってる庭園巡りの記事と試合の感想をアップしてゆくのは変わらんのですが、、、。今後は、もっと http://oniwa.garden/ と結びつきが強くなり、そしてそれが自分である。といった宣言としてのこのエントリとします。

初フルマラソン!東京マラソン2018でサブ4を達成したの巻

35歳になりました。15歳からブログ(当時はまだブログなんて言葉はなかったけど)を書き始めてもう20年。こうしてテキストを書いている気分は当時とそんな変わらないけど立派なおっさんです。
そんな35歳での初挑戦。東京マラソン2018で初のフルマラソンを走りました!終盤はしんどかったけど一回も歩くことなく、目標にしていたネットタイム4時間切りを達成する3時間54分!楽しみにしていたイベントだったし結構ちゃんと練習を積んだので、そういったことも振り返ろうと思います。

東京マラソン、とにかく楽しかった。

東京に住んで約15年。歩いたり自転車乗ったり時にはタクシー乗ったり――この街の色んな場所・道を沢山通ってきて。知っている景色を自分含めてランナーが独り占めするように走ってゆく光景は本当に楽しかった。新宿歌舞伎町、靖国通り、中央通りの神田〜三越前日本橋高島屋の風景、水天宮、浅草、清澄庭園とその横の店舗建築群、門前仲町永代通り、銀座〜日比谷公園、そしてあんなに辛いと思わなかった日比谷通りの折り返し、ブリックスクエア、東京駅…。
知っている景色だからこそ、「ああ、楽しいなあ」と平気な気持ちで居られたり、最後は知っている景色だからこそ「まだ三田だよ……」「内幸町から日比谷公園ってこんな遠いっけ……」とか思ったりした(笑)

そして沿道からの応援。ジュビロラソンって沿道の人達とハイタッチしながら走るじゃないですか。東京はそういうのは無さそうと勝手に思い込んでいたけど(やっぱ田舎と比べて危険ってお互い思うじゃない?(笑))、もーほんとに沿道の声援が暖かくてハイタッチも多くの人たちがしてくれて。あれほんとに元気付けられる。一番ペースが上がっていた15〜30kmの区間が一番ハイタッチしていた気がするぐらい。

そして今回着ていたジュビロユニを見て、多くの人が「ジュビロ頑張れー!」と声援をくれた。すごく元気をもらえたし頑張れたし楽しかった。多くのJリーグユニの人が走っていて、自分も走りながら「♪新潟レッツゴー」とか「♪イェイェイェイェイイェイイェイェイェイェイ石川ナ〜オ〜」とか他サポに声を掛けながら(笑)他サポ応援するのも楽しい。それはフジロックでのJリーグ苗場支部もだけど、さすがに東京マラソンはそれと比べても色んなクラブの人が居たなー!





目標をサブ4に設定。レースまでの準備について。

過去3度ハーフマラソンを走ってます。一昨年のレースはこの時↓。
romitou.hateblo.jp「サブ4」という言葉は知っていたし、今までのアベレージが1時間50分ぐらいだからその×2と考えれば(後半バテることを加味しても)決してムチャな目標設定じゃないとは思っていた。友人の「いけるよ!」という後押しもあり。普段からフットサルをやっているので走りでスピード感を出すのはそんなに苦ではない。それを踏まえて、走ると決まってから当日までの約2ヶ月間で大きかったなーと思うことはやっぱ「練習」と「シューズ」。色々人と話しててもググっても「30kmからは自分が思った以上に(足へのダメージで)足が止まる」ということだったので、それを克服するのが大きなテーマだった。

●シューズの効果は大きい

今までのハーフは、古着屋で買った軽い靴で走った。今思えばなんて適当(笑)底の厚さから考えるとあれは短距離用だったんじゃないか…だから速いタイムは出たけど翌日のダメージが半端なかった。ハーフ以上の距離であれは絶対もたないし、実際練習でも10km走ると翌日多少痛さが残るぐらいだった。
てことで今回はちゃんと「サブ4向け」の新品シューズを買った。asicsと迷って、new balanceの靴を選択。サイズ感や機能性――もだけど色やセール価格というのも大きかったです(笑)

このシューズを買って、翌日へのダメージの残り方が全然違うと実感!練習で20km走った翌日も(マッサージを欠かさなかったのもあるけど)あまりダメージが残らなくなった。

●今までで一番ちゃんと練習した。

で、当たり前だけど練習。やっぱ不安だった分ちゃんと練習しました。夜寒いとか帰りが遅いとかあっても、この2ヶ月は少なくとも2日に1回は走るように心がけた(雪積もった時は3日間走れなかったりしたけど)。マラソンと違って接触プレーのある(多少なりとも怪我の可能性が上がる)フットサルやバスケも1、2月はなるべく控えた。

  • 最初の一ヶ月はペースを考えず、とりあえず少しずつ距離を伸ばしていった。それこそ5kmから始まり(最初はこれでも疲れた)、井の頭公園を1周ずつ増やす感じで、7kmを数回、9kmを数回、10kmを数回、12kmを数回…という感じで。
  • 距離に慣れた後はペースを考えての練習。サブ4を走るにはキロ5:40ペースで走り続ける必要がある――けど、色々記事を読むと「前半は人が詰まってペースが上がらない、後半は絶対足が止まるので、キロ5:40と思わずに5:30で走り続ける必要がある。なので練習では5:20のペースで刻むつもりで」というのが幾つかあったので、それを実践。
  • 幸いにもフツーに抑えて走っていても大体5:30ぐらいで走っていたので、ちょっと気分が乗っている(もしくは苛立っていた時w)はキロ5分で走ったりしてた。勿論バテるけど数年前は10kmを45分で走ってるからね…我ながら飛ばしてたなあ…。
  • 距離への不安を払拭するには長い距離も走らねば…とも思っていたけど、「長距離走ってダメージ残すよりは、2日続けて練習を」みたいなのもあったので、今回事前に走った最長距離は25km(1ヶ月前)。この時は最後足に来たけど、2周前に20km走った時にキロ5:30でいけた(そしてダメージも残らなかった)ので、この時にはもう「サブ4は現実的に狙える目標」だとは思っていました。
  • こうした練習を経て、体重も5kg近く落ちて(←食事じゃなく運動で落とした数字として)、30代前半の頃の体重に戻ったので物理的にも身体が軽くなった。
  • 最後の1週間はそんなに走らず、他のトレーニングでも「走りより歩きで疲れを抜いておく」みたいなことは意識しつつ、当日までのメンタル的な紆余曲折はあったけど足は仕上がっていた、と思う。

レース振り返り。

ラップタイムを見ながら振り返る。まず目標のサブ4を本当に達成できたことについては。この日はトップ選手が日本記録(設楽選手)と歴代4位(井上選手)という記録を出したように、走りやすいコンディションだったのは一般ランナーでも同じだった。暑くもなく寒すぎず、風も弱く、コースもアップダウンが無い。多分今回の自分の記録は、生涯の自己ベストになると思う(笑)

思っていた以上にアップダウンが無かった。橋ぐらい?清澄白河芝公園あたりの。普段練習コースが井の頭公園に出入りする坂だったり天文台通りの坂だったりしたので、ちょっとの坂でキツくなることはなかった――けどあの橋レベルの坂でも歩き始めてた人も居たので、練習コースが良かったんだとは思う。

▼序盤

  • 今回は初マラソンなので、目標タイムからするとかなり後ろのブロックからのスタート。この記事「東京マラソン:ブロック別のタイム」を参考にすると5時間30分設定のスタート位置。なので終始人を抜いていくような展開。
  • 人を抜いていく時どうしても左右にステップをしながらくねくねと走っていく感じになる。まあそれ含めて楽しいレースなんだけど、調子乗って右往左往し過ぎるとあれは絶対足に来るなー(今回来たなー)と思った。
  • しかも序盤は余裕あるので上に載せたようにJリーグユニを見掛けたら後ろから写真撮ってた。

▼中盤

  • 15〜30までのペースと比べて15kmまでのペースが上がっていないのはそういう人が多かったという所――だけど練習から思っていたこととして、10kmまでより意外とその後の方が足がほぐれて自然とペースが上がるので、15〜30kmまでの記録が良いのはそういうところもある。
  • 補給食としてのゼリー、緊急用のドリンク(パック)も買ってあったけど、想像以上に給水コーナー、給食コーナーがあったのでその辺の補給も順調にいってた。私設のエイドさんのお世話になったのは、普通に食べたいと思ったカツサンドぐらいか…東日本橋辺りでいただいたカツサンド美味しかったです!!!ごちそうさまでした!!!

10kmを過ぎた辺り?でトップランナーとすれ違い、ハーフ辺りで「設楽日本記録出したよ!みんなも頑張れ!」という声援があった。いやーすげーよねーー。それでもあれ以上の人たちが五輪ではメダル取る訳じゃん。すごいよねーーー。
結果出ないと「惨敗」とか言われたりして批判の的になったりするけど、出るだけで神レベルだし、その中で入賞できてもできなくても神だし、金候補が銀や銅に終わっても神なんだよね……なんか批判的な目でスポーツ見ないようにしよーって常々思う。褒めて伸びるタイプの方が多い気もするし。

という感じで中盤は極めて順調。銀座での30km時点でツイートするぐらい順調。足にもまだそんなに来てなかった。

▼終盤

  • 30kmではまだ足に余裕があると思っていた――けど、内幸町過ぎて32kmの給水所辺りからがどんどん足が重くなっていった…こんなに足が重くなるとは…!内幸町の付近までは「頑張れ〜!そだね〜!」って言っている人に「ナイッスー!」とか返してる余裕があったんだけど(笑)
  • もうほんと、三田から泉岳寺ってこんな遠いっけ!?
    この付近が一番しんどくって、道路脇にエアーサロンパスブースがあって立ち寄っている人が多かったから惹かれたけど――いやここで止まったらもう走れん…と思って走り続けた。
  • 結果的には足がしんどかった30-35を5:30でいけてたのだから、頑張ったというか、練習の成果。
  • 35km以降はもうほんと……「歩いたら少しラクになるかも、いやでももうまた走り出せない気がする」という気持ちとの戦い。
    37km付近に友人が居て、そしてJリーグのチャントやコールをしてくれる人が居て、気持ち的には持ち直して――不思議と38kmぐらいからの1kmは足が軽くなったのだけど、39kmからはまた辛くなって…いや、息はまだもってるんだけどこれでペース上げたらつるな、って感覚があって……
  • といった風に、1km刻みで書いてしまうほど終盤の1kmは長かった(笑)
  • 中盤はあんなにハイタッチしたのに、もう今したら腕持ってかれて足つる…と思いながら最後は走っていた。本当はね、折り返した後の日比谷通りも丸の内もハイタッチしながら走れたらもっと楽しかっただろうなー!
  • そして最後の丸の内の石畳、あれ地味に足に来る!普通のコンクリートと比べて不安定だから。もうペース上げるのムリ、せめて足つらずに完走を!と思いながら、無事完走。やりとげたー!
  • 結果的に最後35-40の5kmはキロ5:45、ラスト2kmはキロ6分掛かっていたけど、逆に言うと落ちてもここまでで済んだから目標に届いた。「終盤にスパート」という作戦を頼りにしてたらキツかったな。そんな足残ってなかった…。

で、タイムについて。ここで失敗というか反省点。レーススタート時の「スタートまでのタイムロス」を把握できてなかった。上の方でリンクしたやつだと約15分という統計があるけど、今回どうだったかをスタート時に見るのを忘れていた。
その上、ラップの取り方を途中で間違えてしまって。15〜30kmまで5:30前後で刻めていたのは分かっていたけど、「4時間まで、あと何分ある」という逆算ができていない状況だった。

だから「よくわかんないけど止まると目標を達成できないかも」という状況にあって最後まで一度も止まらなかったので――結果目標を5分も上回ることができた。とりあえず「多分、ロスタイムは10分ぐらい」と思ったので、4時間10分以内のゴールを……と40km過ぎの最後ちょっとだけ頑張ったのはあるけど、まさかこんなに目標を上回ってるとは思わなかった!逆算できてたらしんどい終盤途中で止まったかもしれないなあ――と思うと、まあ「それ(わからないこと)で頑張れたのならよい」のかもだけど。

レース後は足の重さがすごい、、、一番不安だった膝へのダメージはなんとなく想定内?ぐらいだけど(シューズ効果!)、足裏に来てるー。この足の筋肉痛、何日で取れるかなー。

初めてのフルマラソンについての感想

総括。タイムのことで言うと前述の通り今回は調整も上手くいっていた(そういえばトイレも行かずに済んだ!)、レースコンディションも良かった。なので今後自己ベスト更新するのは大変だと思う。
ただ今回の記録によってスタートが前目のブロックになって、同じペースの人と走れればペースが上がらない時間のロス、右往左往したり抜くために軽いスプリントを何度もする体力のロスがなくなって記録が上がるかも――とも思うし、そう思ってたら入りがハイペースになって後半バテるのかもしれない。多くの人を抜いていくのはその楽しさもあるけど――とかまあ色々思うことはありつつ。でも毎回思っているけど、多少のロスになってもハイタッチするのは楽しいし、走りながら多少の景色を撮ったりはしたい。

で、ここ2ヶ月半ぐらい走る習慣ができて良かったこと。

  • ① 痩せた。お腹周りや輪郭に表れている。元々フットサルやってても最近は体重落ちづらくなっていたのに、、、長い時間走り続けることに効果があるのかな。あと誰かが寒い冬の運動の方がダイエット効果があると言っていた。
  • ② 体重も落ちたので最近はフットサルも身体が軽くて楽しい(別に巧くなってる訳ではないけど!)
  • ③ あと朝駅まで走るのも楽になった。(笑)
  • ④ 食事に以前より多少気を使うようになった。別に自炊とかに凝り始めたわけではないけど…、食べるリズムとか、脂っぽいもの(大好きなカツ丼とラーメン)の割合が減って野菜が増えた。
  • ⑤ 音楽をちゃんと聴く時間が出来た。最近は昔と違って移動中に音楽を聴かなくても平気だったりするようになったんだけど――走ってる最中は「そういえばちゃんと聴いてなかったアルバム」を聴いたり。それはすごく有意義だなと思った。

「走ってる最中にアイデアが思いついたりする」ーーという所には至らなかったけど、総合的に走る習慣が出来たのは良かった(寒い時間に走るのも慣れた)。レースの予定は無いけどこの習慣は続けたいし、フットサルのこと考えるとも少しインターバル走を取り入れてもいいかもと思ったり。

という感じで初のフルマラソン、本当に楽しかったー!また走りたいし来年もエントリしよう。倍率が高く走るのが難しい東京マラソンじゃなくても、別の地域のフルマラソンも走りたいな。あとは今年はまたジュビロラソンに出られたらと…。沿道で声を掛けてくれた方々、応援に来てくれた友人、レース前に色んなアドバイスをくれた友人に感謝!

※12月の庭園巡りエントリから急にリアルタイムの記事投稿になりましたが。まだしばらく昨秋や昨冬のエントリが続きますよ、、、