ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

the pillows(ザ・ピロウズ)と僕の人生について②(1999〜2004)

①はこちら。

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1998年補足。初めてリアルタイムで買った『NO SELF CONTROL

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①はなんとなく『LITTLE BUSTERS』の影響で締めくくってしまったけど、1998年はまだ思い出があった。

初めてリアルタイムで買ったピロウズのCDは『NO SELF CONTROL』。それまでは後追いで買ったりレンタルしていたんだけど、「発売日が待ち遠しい」となったのはこの曲から。ひたすら「オウイエー」と言っている、それ以後のピロウズの代名詞とも言える曲。あまりライブで聴く機会はなかったけれど。

そうそう、①の終盤でふれた「J-ROCK BEST 50」もなんで見始めたかというと、静岡の地上波では貴重な「MVが流れる番組だったから」だった。NO SELF CONTROLのMV見て、かっこいいなあ、待ち遠しいなあと思っていた。

ほぼ同時期に同じく楽しみにしていたのがthee michelle gun elephantの『G.W.D』。ミッシェルの3枚のシングルからのギヤ・ブルーズも本当にカッコよかった。抜群にカッコよかった。そしてセールスも付いてきていた(アウト・ブルーズとギヤ・ブルーズでオリコントップ10入り)。雑誌の表紙とかにもなり始めていたから楽器屋さんに伝えても通じる。だから「好きなバンド」として挙げたりしていた。

ピロウズはまだそこまでセールスがついてきていなかった。だから好きなバンドとして他言する事はほぼ無かった。インターネットと出会えて、「他にも好きな人が居る」ことが嬉しかった(そりゃ居るだろって話なんだけど、それ位「ライブ会場」とかが別世界だった)。

当時入り浸っていたチャットでthe pillowsがすごく良い、と発信し始めた。それを見た東京(練馬)の年下のインテリっぽい子…川上くん…と言う子が「インスタントミュージック」を買っていた。あんまり気に入ってなかった記憶がある(笑)、そんなことも当時の思い出の一つ。

1999年。ひたすら聴き続けた『RUNNERS HIGH』〜『CARNIVAL』

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NO SELF CONTROLの流れで、初めてリアルタイムで買ったピロウズのアルバムは『RUNNERS HIGH』。1月22日だっけか。同時期にはMr.Children『DISCOVERY』やGRAPEVINEの『スロウ』、椎名林檎『ここでキスして。』等がリリースされた。名作がこんなにギュッと固まっていた週。

好きな度合いで言えばミスチルだったはずだし、ピロウズと同じ位好きになりつつあったバインのスロウ、望みの彼方も素晴らしかった。

一方で、RUNNERS HIGHは音がUKっぽさからUSオルタナっぽさへと変貌して最初は違和感があった。
あったんだけど、結局なんかずーーーーっとリピートして聴いているのはRUNNERS HIGHだった。高校生ながら中2病真っ只中だった自分には「確かめに行こう」が刺さりまくった。

刺さりまくった、と言えば「とげ」さんといううつ病患者の方のホームページがちょっとネット仲間内で「あの人の書く文章が面白い」と話題だった。ちょっとそういうのに憧れていた高校1年生。そんなこともインターネットに出会わなければ知ることもなかった世界。

そこからの半年は…ピロウズに関して特別思い出せることはないけど…『CARNIVAL』も聴きまくった。ONE LIFEで「ピロウズで好きなMVの1位、2位を争う」と書いていたけど、それを争うのはCARNIVAL。廃墟みたいな場所で壊れたギターを2人が掻き鳴らす姿があまりにカッコよかった。タワレコ予約特典の水鉄砲は今も残してある。

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NHK-FMライブビート」1999年の回の思い出

CDと並行してひたすら聴いたのが、1999年にNHK-FMライブビート」に出演した回。Wonderful Sight、Wake up, Frenzy!を演ってたから『RUNNERS HIGH』リリース前後、『CARNIVAL』前だったかな?MCで、さわおさんが岩田くんとクレイアニメを作ったこと。シンちゃんはフリマで周波数がおかしい携帯ラジオを買ったことを話していた。

そのテープはまだ残してあるはず…。けど再生機がない。再生機があったとて、回してちゃんと音が出るかもわからない。わからないけど、データ吸い上げたいな…。

ライブビート、この回も録音してめちゃくちゃ聴いたなあ。pillowsはNo Substanceを演奏。椎名林檎「ギブス」やNUMBER GIRLOMOIDE IN MY HEAD」を知ったのもこの回。今風に言えば「ガチ神回」。

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その1999年のピロウズの回もネットのどこかで耳にした記憶があって「すげえ〜懐かしい〜」と感謝した記憶がうっすらとあるんだけど、記憶違いかな…記憶違いならば、あのライブ音源の歌い方やMCをスッと思い出せるぐらい鮮明な記憶。

「Ninny」も演ってた。ラストツアーで演奏した中では最も古かったのがこの曲。CD音源でもライブビートの音源でも何百回と聴いてきたこの曲を最後のライブで聴けたことは…せめても、と思える出来事にはなるかもしれない。

『HAPPY BIVOUAC』〜初ライブ

…と、こんなにピロウズのライブに焦がれていたのに、まだ初ライブはかなっていない(笑)
1998年、初めて見たコンサートはゆず。そしてミスチル。初めてのスタンディングはGPAPEVINE/WINOthe PeteBest(これも神回だったな)、ライブハウスで言ってもpre-schoolを見に行ったりはしてたけど。

1999年の秋には日テレ系の音楽番組で「RUSH」を演奏したピロウズ。これまた名作『HAPPY BIVOUAC』をリリース。後に代表曲となるFunny Bunny…はこの時はそんな名曲になるとは思わなくて。LAST DINOSAUR、Kim Deal、Beautiful Morning with you、好きな曲を挙げればキリがない全部好きだ。

名作である一方で、RUNNERS HIGH頃の熱量と比べると自分のピロウズ熱は落ち着きはじめる。なんだろう?リリースが早すぎたから、あとは自分自身高校生でどんどん新しいものを吸収したかった時期だから。

遂にピロウズを見るのがかなったのは2000年2月、HAPPY BIVOUACの時。
その時のライブの感想はインターネッツに残してある。SSL対応してないURLなので見れなかったらごめんやが。

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もう25年前…読むのも恥ずかしいけど…、自分が16の頃のテキストがインターネッツに残っているのってすごいことなんじゃないかと思うこととして。

改めて思い返すと。初めて見られた感動とかではなく…近くで見ることに必死だったというか…そんな感じだった記憶。

熱が落ち着いた時期(2000〜2002年)

そうして初めて見られたことをきっかけに、2000年〜2002年の日韓W杯が終わる頃まではピロウズ熱がだいぶ落ち着く。
『Ride on Shooting Star』や『I think I can』、『Fool on the Planet』も、聴きはしたけどハマる程ではなく。買わずにレンタルで済ませた。今ではどれも大好きだし、特に「Skeleton Liar」は…当時も良いなとは思ったんだけど、でもちょっと冷めてた。

2000年にハマった音源はなんだったかな、当時はフジロックに憧れ始めた頃。後追いで洋楽を聴き始めたり(ビートルズ、オアシス、ストーン・ローゼズGreen Dayアンダーワールドなど。雑多。)、いわゆる“メロコア”に熱心になったり(ハイスタは勿論だけど特にPOTSHOT!音源ではキャプヘジ、ショーサキ、音楽性の変わったPENPALS)、J-ROCKもbloodthirsty butchersビークルとかをすごく聴いた記憶があるなあ。ハイスタも参加してるブッチャーズのトリビュート、ビークルPENPALSが参加したピクシーズ・トリビュートをめちゃくちゃ聴いた。

ピクシーズにブッチャーズ、言ったら音楽的にピロウズから遠く離れている訳ではないのだけど。笑

2001年以降、渋谷系にハマった。フリッパーズ・ギターとピチカート・ファイブ。それまで小沢健二Corneliusはまあ普通に好き位の感じで、一方で『海へ行くつもりじゃなかった』のネオアコ感はあんまり好きじゃなかったんだけど。急にハマった。そこから渋谷系を掘りまくった。(GOMES THE HITMANとかネオ渋谷系も含む)

一方で自分個人としては人生で一番孤独だった時期。東京にこそ出たけど友達ができない。だから余計にピロウズの暗い曲が聴けなくなった、『Smile』も出た当時は殆ど聞かなかったんじゃないかな…Thunder Wales Panicはめちゃくちゃカッコよかったけど。あ、サッカー観戦が一番の趣味へとなっていったのはこの頃。

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渋谷系をさかのぼる過程で、急に「Tiny Boat」が好きになった。2002年の日韓W杯の頃、渋谷系に加えて、Tiny BoatGRAPEVINEの「ナツノヒカリ」、AIRの『Last Dance』をよく聴いていた。透明感のあるメジャーセブン系のコードが好きだった時期。あと、コレクターズのトリビュートもすごく聴いてた作品の一つで。一番好きだったのはCymbalsの「SPY」だったけど、ピロウズがカバーした「1.2.3.4.5.6.7 DAYS A WEEK」もその流れで聴いていた。

そして『Thank you, my Twilight』のリリース。この時も以前ほどの熱量はなかった、せっかく東京いるのにライブ行こうとも思わなかったけど、アルバムはかなり聴いた。多分HAPPY BIVOUACより聴いた。「Mr.Beautiful Sun」「ウィノナ」とかが自分の音楽的な趣向に合ったのもあるし、ROBOTMANとかは以前の「Nowhere」の様な自分の存在に関する歌で気持ち的にもバチッとハマった。

再びライブへ足を運び始める2003年、熱がほぼ復活した2004年

東京から浜松へ戻った。ピロウズにふれる機会が増えたわけではないけれど、『PENALTY LIFE』が発売直後に中古CD屋さんにあったんで買った。『RUNNERS HIGH』の時のように、曲曲としては『Thank you, my Twilight』の方が世界観的には好きなんだけど、不思議とよくリピートするアルバムになった。

その年の12月、全国ツアーで静岡SUNASHでのライブが決まっていた。静岡に来るんなら行こうと(でも確かSOLD OUTはしてなかった)。その時のライブの感想はこれ。

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急に熱量が高まったわけではない。けど、「やっぱ好きだなあ」とジワジワと熱が復活してきた。あとこのライブに行けたのは「サッカーのシーズンオフ」だった事も実は理由としてめちゃくちゃ大きい。Jリーグのシーズン中だったらきっとそちら(ジュビロ)を優先したはず。

2004年。ピロウズ15周年イヤー。この年も自分からピロウズにふれにいく機会が増えたわけではないのだけれど、職場で流れ続けるラジオ(K-MIX)で流れる回数が明確に増えていた。「その未来は今」も、トリビュートの中の曲も。

ある時、「お、9月の祝日に名古屋でピロウズのライブあるじゃん。行きたいなー」と思ったけど、残念ながら気づいた時には売り切れ。対バンは既に人気の出始めていた(けど大ブレイク前)のELLEGARDENストレイテナーだった…けど、以前は名古屋クアトロ、昨年時点で静岡SUNASHが売り切れないピロウズダイヤモンドホールが売り切れるとは。人気の高まりを感じた。

そういえば。なんでサッカーのシーズン中にそんなこと検索したんだったかな、と思うと、2004年に初めて野外フェスへ行ったからだ。初めて行ったのはロッキン(ROCK IN JAPAN FESTIVAL)。すごく目的のバンドがあった、というよりは(※と言ってもGRAPEVINEクラムボンを見れた)、大学生だった同年代の友達が浜松から茨城まで行くというので自分もついていったという感じ。
でも結果「なんかいいな」って思って、その年の秋には初めて朝霧JAMも行って。ライブ熱自体がだいぶ復活していたから、きっとピロウズのライブも検索したんだろう。

その年の年末、再び静岡SUNASHでの公演があった。2004年は割と早い段階で売り切れて。今思えばよくチケット取れたなとも思う。このライブの記憶はあんまり無いな…パンパン過ぎてよく見えなかったのかもしれない。
当時の文章はこれ。

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ライブのことは思い出せないけど、ジュビロのU-18の試合を見てから向かったことはよく覚えている。岡本、藤井、中村豪上田康太森下俊八田直樹らを擁した黄金世代——彼らが次のジュビロを背負って立つと思ってやまなかった。

15周年ライブのDVD〜2005年以降の話に続いていく

明けて2005年1月、リリースされた15周年ライブのDVDは割とすぐ買った。でも確かAmazonでレコメンドされて「へ〜、出たんだ」と思って買ったぐらいで、自分で情報を取りに行ったわけではないんだけど。

届いて再生して、1曲目のPlease Mr.Lostmanで、気づいたらボロボロ涙がこぼれていた。笑
熱量も当時のようにあったわけではないし、感動しようと思って見始めたわけじゃないので自分でもビックリした。

なぜそんな風になったのか。ピロウズもいろんなことを乗り越えて15周年で「最も成功している」時期を迎えていたし、自分も自分なりに苦しい時期を乗り越えて、まあ社会人としての道を歩み始めて——とは言え仕事が満足なことではない事もあったりしたんだけど——そんなことが重ねって、自然と涙がこぼれた。ピロウズを見聞きして涙したことってあまり思い出せない(特に後半は楽しいことが多かったから)のだけど、このDVDを見て涙したことは鮮明に思い出せる。

2005年の年始、1年半働いた地元の会社を退職。お金は貯まったし時間はある。ライブ熱がより芽生え始める。

the pillows(ザ・ピロウズ)と僕の人生について①(1995〜1998)

pillows.jp

the pillowsが解散した。

僕の人生において最も重要…というか人生と言えるバンド。

2024年は35周年に関連したARABAKI ROCK FEST.、そして豊洲PITでの周年ライブ。昨年11月からの直近のツアー『LOSTMAN GO TO CITY 2024-25』は4公演に参加した。初日の長野、自分の地元の浜松、沖縄、そしてファイナルの横浜。
これは別に「何かを感じ取っていた」訳ではなく。どちらかと言えば、2024年は自分が体調やメンタル的に調子が良くなく、だから大好きな「ピロウズを観たい」という気持ちからだった。居住地の関西でのセミファイナルではなく、ファイナルの横浜を選んだのも偶然で「スケジュール的にそうなった」だけ。

まさか、それが最後のステージだなんて。

「解散」に対する気持ち…まだ「受け入れられていない、嘘みたい」という感情は、X(Twitter)の方で散々書いたのでそれはそれとして。
僕にとってのピロウズの思い出を、長くなりそうだからブログに書いてみようと思います。

沖縄での私

the pillowsとの出会いと中村貴子さんの「ミュージックスクエア

1995年。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件。そして自分は中学校入学。自室とCDラジカセを手に入れ、NHK-FMミュージックスクエア」を聴き始めた。DJは中村貴子さん。貴ちゃん。まだこの頃は自分はインターネットには出会っていない(Windows 95というものが発売したというニュースは見てたけど)。田舎の中学生だった僕にとって、ミュージックスクエアが音楽ライフの8〜9割の影響を占めていた。

ピロウズ』というバンドを知ったのは「Tiny Boat」。後に大好きになるこの曲も最初はそんなハマったわけではない。特徴的な8cmシングルのジャケット、これをレンタルしたのは覚えている。

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気になり始めたのは「Swanky Street」。その前の「ストレンジカメレオン」にこの時惹かれなかったのは、多分まだ《キミといるのが好きで あとはほとんど嫌いで》みたいな…キミが居る世界の歌にピンと来てなかったからだと思う。

Swanky Streetはーー《誰の記憶にも残らないほど 鮮やかに消えてしまうのも悪くない》って、そんな暗い言葉を爽やかに歌うピロウズが刺さった。「キミ」も友達だし。あとこの頃、クラスで少し孤立してた時期とかもあったんだよな。だから「自分は自分だ」って思える歌に出会えて嬉しかった。同時期にはSMILEの「風と雨の強い日」とかを聴いていた。

ピロウズは「彼女は今日、」がミュージックスクエアのエンディングテーマになった。この曲を聴きながら宿題をやっていた情景をとても思い出せる。けどこれは恋の歌なのでSwanky Street程はハマらなかった。笑。今はカラオケ行くとよく歌うけど(歌っていて気持ち良い)。

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決定打だった『ONE LIFE』

そんな風に好きな曲はあったけど、まだこの段階では「色々好きなバンドがいる中の一つ」だった。

ちなみに当時一番好きだったのはMr.Children。特に『深海』が好きでーー自分が中3の時には活動休止して、確か「林英男」というバンドをピロウズのボーカルと一緒にやってるんだ、という放送がミュージックスクエアであったのも聴いていたはず。当時気になるゲストの時はテープに録音してたからその時も録ったと思うんだよな(もう捨ててしまったと思うけど…)。ミスチルピロウズって仲良いんだ〜って知ったのもこの頃。

色々好きなバンドが居る中から、「ミスチルの次に好き」そして「一番好き」になっていったのは、シングル「ONE LIFE」と「ハイブリッドレインボウ」、そしてアルバム『LITTLE BUSTERS』。

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この曲は全部好きだった。この頃はまだ「ギターロック」とかそういう事も良く分かってなかったんだけど、ギターがじゃーんって鳴ってるサウンドも、歌も歌詞も全部好き。「特に好きなフレーズ」とか選べない。《どんな靴を履いてても 歩けば僕の足跡》が印象的な一節ではあるけど、でも全部好きなんだよな。旅に出たカタツムリのその身がすり減ってるけど戻らない!?そんなの悲し過ぎる、、、でもわかるなんかそういうの!…みたいな。

ラジオきっかけなのでMVを見たのはもっともっと先のことだけど、MVも…ピロウズの中での1、2を争う好きさかも。スタイリングで言えばこの時の山中さわおが一番好きだ。ハイブリッドレインボウでシャツをインしたのが解せない(そういう時代だったと言えばそうだけどw)。中3の夏はずうっとこの曲を聴いていたんじゃないかな…

「ハイブリッドレインボウ」も不思議な曲だった。静かで、優しくて、サビは激しくて。その後この曲はピロウズの代表曲となっていくのは皆様の知る通り。

で、それまであんまりクラスの友達と音楽の話をしても…ミスチルや当時全盛期だったビジュアル系の話はしても、「ピロウズ」の名前を挙げたことはなかった。でも友達の誰かが、「イトウってミュージックスクエア聴いてるよね?ハイブリッドレインボウって曲よくない?」って言って、「わかる!すげえいいら!」みたいな会話をーー会話の内容はうろ覚えだけど、そんな会話をしたことは覚えている。ONE LIFEとハイブリッドレインボウは月刊歌謡曲ゲッカヨ)のコード進行見てめちゃくちゃ練習した。

誕生日に発売された『LITTLE BUSTERS』

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1998年2月21日。私の15歳の誕生日。そんな日に発売されたのが『LITTLE BUSTERS』。まあ発売日に買ったわけじゃないんですけどね。
高1の春休み〜夏休み頃にかけて、90分だったか100分だったかのカセットテープのA面にPlease Mr.Lostman、B面にLITTLE BUSTERSを入れて、文字通り擦り切れる程聴いた。この頃、一番で言えばミスチルが好きだったけれど。既に、最も聴いているバンドはピロウズになっていた。

と、この辺まではただ「音源を聴いている」だけだったのだけど…

J-ROCK ARTIST BEST 50で流れたリキッドルームの映像→ピロウズのライブに行きたい…

田舎なのでTVでピロウズを見るという機会はなかなか無かったのだけど、動いているピロウズを見たのは多分この番組が最初。静岡ではテレ朝系列の深夜に放送されていた。

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1998年の春、この頃はまだランキングもビジュアル系全盛。でも僕が見始めていたということはおそらくミッシェル(thee michelle gun elephant)やブランキーBlankey Jet City)がランクインしてMVが流れる、みたいな感じだったからだと思う。

ある時…季節はまだ春だったと思うけど、ピロウズのLITTLE BUSTERSツアーの新宿リキッドルームの映像が流れた。Hello, Welcome to Bubbletown's Happy Zoo(の一番)→ハイブリッド レインボウ(の一番)→LITTLE BUSTERS(のラストサビ)。時間で言えば4分とか5分とかそれぐらいだったのかもしれないけど。
その映像にめちゃくちゃ撃ち抜かれた。すっっげえええええいい!!!ピロウズってライブだとこんな激しい(?)のか。山中さわお風ジャンプの練習をし始めたのはこの頃から。

1sライブビデオもすぐに買いに走った。(ちょっと載せるのも引けるけど載せちゃう)
最初はこれを流したのかなと思ったけど演目も違うんだよね。J-ROCK 50でのあの映像はあそこでしか流れなかったんだなと思うともう出会うことはないだろうけど(録画したビデオテープももうとっくにどこかへ行ってしまった)、でもあの数分間の映像で、よりピロウズ…そして山中さわおへの憧れが増した。

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インターネットとの出会い、インターネットでのピロウズファンとの出会い

高1の時、我が家にパソコンが来た。そしてインターネットに出会った。
インターネットが何をやる所か、よくわからなかったし、教えてくれる人が居るわけでもなかった。

好きなバンドのホームページを色々見るようになったのはその年の夏頃かな、ゆずの路上ライブの情報とかミスチルの「終わりなき旅」の情報をおのおのの非公式ファンサイト(ゆずはすごく早く公式サイトもあった)で見ていた。

ピロウズもLITTLE BUSTERSの宣伝ページはなんかインターネット上で見た記憶があるなあ…ポニキャンの公式だったのかな…でもコミュニケーションを取れる場所、当時で言うと「掲示板(BBS)」「チャット」「ゲストブック」というコンテンツ。

それを備えていたピロウズのファンサイトで、「Tacky's Room」というウェブサイトがあった。そこに書き込んだことで、数人のピロウズファンと繋がることができた。繋がると言ってもスマホがない時代の田舎の高校生、あくまでメッセージのやりとりだけだけれども。

※そんなTacky's Room、形を変えて現在も存在していたことを今知り、すごく感動している…

tackysroom.com

Tackyさんとはお会いしたことはないけれど、1999年の10周年ライブのレポートはTackyさんのものを読んだことを覚えている。
そのサイトで薄く知り合ったSさん。pre-schoolとかAIR JAM系とか色々ご存知で、「東京の人はおしゃれで物知りだ…」と、自分に影響を与えてくださった方の一人(お姉さん)。10数年後にJリーグがきっかけで初めてお会いすることになるのは不思議なご縁。

あとはこのサイトじゃないところで、一番最初にメール友達になったピロウズファンは兵庫県の方だった。神戸か芦屋かその辺だったはず…「ごま」さん。フルネームも今も覚えている、確かイエモンもお好きだった。まだライブとかには行ったことがなかった僕の分のグッズ(Tシャツ)を代わりに買ってくださって、現金書留でお金を送ったりしたなぁ。We Have a theme song Tシャツ。最近はサイズが合わないから着ないけどw、大切に残してあるし2019年の30周年までは着ていた。

みんなお元気だろうか。

最初の3〜4年の思い出だけで5,000文字近くになってしまった。何度かに分けて書くことにする…。

ニワソラナイト vol.2 U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS / 村雨辰剛 @ 渋谷Circus Tokyo が最高に楽しかった!

先週金曜日は『ニワソラナイト vol.2』@渋谷・Circus Tokyoへ。

庭園探訪レポートと歴史コラムのサイト・Niwasoraのイベント。
「若い世代に日本庭園の素晴らしさを知ってほしい」という趣旨で、トーク×音楽イベントとして開催します。

いや〜超楽しかったです。ライブ行った話とかはnoteをはじめた本筋からは少し逸れるかもしれないけど、元々『庭園』というテーマをどうライトに伝えるか…というのは自分の気持ちでもあったりするので、この楽しかったイベントのことを伝えたい。

今回KAKATOとU-zhaanが好きな植木屋さんの息子という今回のイベントにピッタリな友人と行ったのですが、自分よりちょい若い彼と同年代の村雨辰剛さんが「庭師」の仕事について一般層に語る姿に刺激を受けていたし、ライブパートではKAKATOとU-zhaanのパフォーマンスはもちろん、2人して永積タカシ登場に歓喜…!

村雨辰剛さん

序盤は、最近はTVでも活躍されている村雨辰剛さんの庭園トーク
後のライブを盛り上がりを観るに客層は“ライブ目的”の層の方がメインだったと思うのですが、元々“緑の仕事に興味がある”人ではなく、顕在化していない人に対して庭師・植木・造園の仕事についてお話するのはすごく意義深いと思った。

村雨辰剛さんのトークの中で金言だなと思ったのは『毎日違う現場に行くのは、自分にとっては毎日異なる美術館に行っているような気持ちだった』と。

この間のnoteでも少しふれたことで文化財庭園と住宅庭園は同じ庭とは言え少しジャンルが違うものと思っているのですが……一方で一緒に行った植木屋の息子は住宅庭園志向であり、施主のことを最大限に思って仕事をしている話を聞いていても面白くて。
どちらも魅力的な空間である――それを村雨さんが『美術館』と置き換えたのはすごく腑に落ちた。色んな美術館やアート・ギャラリーがあるのと同じ――そう思うとまた楽しい。

ちなみに村雨さんオススメの愛知の『華蔵寺庭園』、行きたいリストにはあってまだ行けていないところ。西尾には他にも再訪したい庭園あるので行きたいなあ…
ちなみにこのトーク、鎮さんが普通にフロアに降りてきて聴いていて、“庭の見付”や“石の顎”の話に頷いていたのが印象的だった。

U-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS

そしてU-zhaan×環ROY×鎮座DOPENESS。ユザーンや環ROYさんは他のライブ、フェスで観たことあったけど(特に環ROYさんは蓮沼フィルにて)鎮さん及びこのユニットは観るの初めて。

いやーかっこよかった!既発曲は予習してあったけど、序盤、中盤、最後に差し込まれた「庭」フリースタイルもすごかった。“枯山水”“庭の見付”みたいな、先程のトークからの拾われたようなワードが早速入ってたのもスゲー。

そして“BUNKA”で、ハナレグミ永積タカシ登場!!まままマジで?豪華過ぎじゃない?超興奮した…。

BUNKAのMVのイラスト担当してたのを友人は把握していたので、「タカシ、タカシ…居るなら来いよ…」と鎮さんが言った時にピンと来たらしいけど、自分はそれ知らなかったので、フロアの後ろから人を分けてその姿を表した時にはただただ驚き&興奮…。ただ呼ばれて観に来ただけだったんだろうなあ、すごいサプライズ…

永積さんステージ残ったままの“サマージャム”も最幸…!歌詞も「お庭だねぇ 妥当な線として 夏!お庭!」とか言ってて最高だった。ライブ中はずっと夢窓疎石の庭園が借景になっててね。完全に俺得ってやつですわ…。

…ってな具合に後半はただのライブ楽しかった話になってるけど、普段「庭園」「造園」「植木」「庭師」というような言葉にふれない層に、こうしてそういう言葉が届くのはめちゃめちゃ意義深いと思った。
あ〜〜楽しかったな〜〜自分もやりたいなー音楽×お庭イベント。ただ好きなものを組合せたいだけでもあるけど。あーお金貯めたい(全部サッカーと庭園観に行くのに使っちゃうもんで…)。