秋の庭園巡り・鹿児島編①。志布志編。志布志麓庭園群・平山氏庭園、天水氏庭園、福山氏庭園、清水氏庭園、宝満寺跡庭園と志布志麓の町並み
秋の庭園巡り、鹿児島編その1。前回の宮崎県日南市編は↓。
romitou.hateblo.jp飫肥から日南線の終点・鹿児島県の志布志へ。ようやく!最終目的地・鹿児島県へやってきました。この飫肥〜志布志を巡ったのは飫肥と同じく4年ぶり。
江戸時代、薩摩藩は「外城制」という制度により多くの武士を鹿児島の城下町ではなく薩摩藩領内の各地に住まわせ、各地の城の麓に小さな城下町のような武家集落を形成させていた。それらの集落を「麓(ふもと)」と呼ぶようになり、その数は100以上にも及んだとか。次々エントリの「知覧麓」や、志布志の「志布志麓」もその一つ。そんな志布志麓の武家屋敷地区には江戸時代に造られた庭園が複数残ります。前回もそうした庭園を巡ったけど、今回は事前予約制の庭園(こちらの「宝満寺跡と武家屋敷コース」)をガイドと一緒に見学させていただいた。
みやこんじょ圏 ぶらりうおーく|志布志観光ガイド
http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/mkj/teijyuu/shibushi/shibushi.htm
宝満寺跡庭園
志布志駅から武家屋敷地区までは約2km、駅前の観光案内所のレンタサイクルなら約10分。「宝満寺跡」は鹿児島県指定文化財でもある寺院の跡。「宝満寺」は奈良時代に創建されたとされる古刹で、明治時代に廃仏毀釈で廃寺となるまでは県内でも3本の指に入る程の大きな寺院だったそう。そんな寺院ですら廃寺になってしまった明治の廃仏毀釈――でも地元の支持者により、昭和年代に観音堂が再建。「宝満寺庭園」という単語はないけどスルーするには勿体無い、岩壁と石橋と湧水が特徴的な池泉式の庭園が残ります。
で、この宝満寺跡の近くに志布志発祥の地があります。天智天皇が名付けとされ、付近には天智天皇にまつわる伝説なども残るそう。
oniwa.garden福山氏庭園
国指定名勝「志布志麓庭園」の一つ。福山氏は志布志の武家の中では最も高い役職に就いていた武士で、そのため屋敷の位置が他の武家屋敷と比べても高台に、またお屋敷や主屋の前の庭園の敷地面積も広い。
ただ江戸時代に建てられた屋敷の老朽化が進んでいるため今後数年掛けて改修工事を行ってゆくとのことです(なので庭園見学も出来なくなるのかも)。きれいに復元された武家屋敷を見る機会は多いけど、その前段階を観ることって案外無いので、これはこれでとても貴重な機会だった。ちょうど紅葉が散りきったタイミングで落ち葉で築山の緑が隠れてしまっているのが若干残念…。
oniwa.garden
その他の武家屋敷庭園
「福山氏庭園」「清水氏庭園」と一緒にガイドツアーで見学できる元武家屋敷の枯山水庭園。維持されている庭園もあれば、所有者が志布志を離れ、木に覆われ荒廃している庭園も――。
oniwa.gardenガイドの方にはそれ以外にも歩きながら貴重なお話を色々お聞きした。年の瀬にお時間割いていただいて、改めて感謝申し上げます。別れた後は元々公開されている庭園を再訪。
志布志の町並み
鹿児島県志布志市は鹿児島県の最東部・大隈半島の日向灘沿いにある自治体。江戸時代には薩摩藩だったけれどそれ以前は「日向国」として宮崎の都城との結びつきが強かったそう。だから方言やカルチャーは鹿児島というより宮崎寄りなんだそうです。東京からは大型フェリー「さんふらわあ」が停泊することでも知られ…ているかは不明。