ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

WORLD HAPPINESS 2015 @ 夢の島公園 / 蓮沼執太“ミュージック・トゥデイ・トーキョー・2015” @ Gallery916

8/9 蓮沼執太“ミュージック・トゥデイ・トーキョー・2015” @ Gallery916


蓮沼執太企画“ミュージック・トゥデイ・トーキョー・2015”@Gallery916の最終日で「蓮沼執太のアンプラグド」を見ました。蓮沼くんのライヴを見るのは4月のビルボードライヴ以来。“ONEMAN”から始まり、“Earphone & Headphone in my Head”“YY”、新曲、“wannapunch!~Discover Tokyo~Sunny Day in Saginomiya”、“フラッペ”(4月のメロディーズでやってた曲)、“Hello Everything”、アンコールでの新曲もメロディーズでやってた曲だっけ?今みたく喜怒哀楽の感情すら疲れると思う時に蓮沼君の音は癒しにも薬にもなる(どれかと言えば軽い喜や楽なんだろけど)。

ライヴ前には畠山直哉さんトークショーも。会場のGallery916は初めて行ったんですが、竹芝の海岸沿いにある、元倉庫?と思われるビル。下の階が割と有名な(おされな印象のある)ウェブ制作会社だった。なるへそー。やーほんと蓮沼君フェスとか出ないかなあ。朝霧の昼間の時間帯に蓮沼執太フィルとか出たら最高なのになあ。旅行もフェスも試合も行けずそんな気力も沸かずゴロゴロしてた休日だったけど、日曜の最後にとっておきの音楽が待ってた。喜怒哀楽が余分でない感じ。「アートっぽい雰囲気」は今は少し疲れるけど、そういうの全部忘れて引き込ませてくれるライヴだった。

8/23 WORLD HAPPINESS 2015 @ 夢の島公園

WORLD HAPPINESS 2015@夢の島公園。初のワーハピでした。この日朝まで働いてたので行くのが遅くなって見れたのは終盤のLOVE PSYCHEDELICO鈴木慶一バンド→クラムボンPOLYSICS→METAFIVEだけだったけど、楽しかったし、今年は行きたいところへ行けていないので…近場で良い発散になった。友人のお誘い感謝!RIJFの大きなステージの印象が強いポリを小さなステージで見るのも新鮮だったし、METAFIVEもメンツ豪華。幸宏さん、小山田くん、まりん、テイ・トウワLEO今井LEO今井が歌うなら小山田君も歌ってほしい(笑)pupaもビートニクスも出てるし、いつか朝霧辺り出ないかな。

で、一番のお目当てはクラムボンフジロックで見れなかったので見るのは2月のフリーライヴ以来。“シカゴ”“サラウンド”“以心電信”(カヴァーあんなでしたっけ)“波よせて”“KANADE Dance”“yet。なんだか、しんどい時にクラムボンのライヴを見ることが多い(いや、大体しんどい人生なのか?)。何度も聴いてる“シカゴ”でも瀕死のHPを回復させてくれる。フジでも見たかったなあ…。何となくこの時のこと思い出してた。震災後の5月に仙台でベガルタ-ジュビロ見て、ももクロと、イルリメ/ceroのフリーライヴ見て。翌日バスで青森行ってクラムボン見た。そのバスの中でずっと仕事して辛かったけどクラムボンが最高だった記憶。

それ以外。8月のこと

今年の8月はとても忙しすぎた。Twilog(http://twilog.org/romitou/month-1508/3)で8月の様子を見直しても基本的にちょっとテンションがおかしい(笑)

記しておこうと思ったこと。初めて人身事故の電車に乗り合わせた。井の頭線・浜田山での飛び込み。目撃はしてないかなけど、最前車両に乗っていて、バキっとした、普段の電車では感じられない音がした。骨だから硬いんだな…。急行だと止まれないから、だいぶ過ぎてから止まった。こうしてまた誰かが思い詰めて死ぬのか。悲しいね。ご冥福お祈りします。いわゆる救助作業後、電車の起動試験?でバツが出続け、電車は故障扱いに。なかなか壮絶な人身事故だった。

翌日の報道で、この浜田山の人身事故で自殺したのは中学生だった。中学生だったとは――なんでまさかそんな若いのに、という驚き気持ちと、どうりであの時間帯であることや壮絶な死に方(勢い。若さゆえ)の選択に納得するところも――あった。向こうでは安らかにね…と思うほか無い。今までも知人で自殺した方居たけど――今回、先頭車両で体感した人身事故が、一番「自殺」と言うことについて考えさせられた。最近ほんと忙しくて辛かったから余計に。死人に口無し(遺書も無いのね…)。どれだけ、何に思い詰められて、あの電車に飛び込んだのか。轢かれるまで本当に一瞬の出来事だったんだ。

死ぬほど辛いこと…はあんま無いけど、ああ、死んだ方がラクなのかもねえ、と思う程心身疲労することはある――でもいざ自殺した人を通り過ぎてみると、「その人は何故救われなかったのか、何故周囲がその重りを軽くしてあげられなかったのか」とか色々思う。浜田山という、自殺っぽさが無い街だったから余計。また昨日も今日も井の頭線に乗って、日々は続いていく。この日のこともいずれ忘れる。だけど、なぜ彼は、飛び込んだのか。知りたい。やっぱ自分も疲れてるので――一体どんな歪みにより起こっているのか。知りたい。だって、きっと明日も誰かが電車に飛び込むんだよ(とか思ってたらこの日も西荻で飛び込みによる人身事故が発生しました)

たとえば電車の停車中(現場検証中)、「(仕事の)発表会に間に合わず多くの人に迷惑が掛かるから、降りられませんか?」と聞いてた人が居た。当然降りられなかったけど。でもその人もその発表会で迷惑を掛けることは死ぬほど辛いものだろうし、他にはきっと乗り合わせていたであろう就活生もそうだろう。「そこまでして回さなきゃいけない経済って、なんだろうなあ」と思う…だって下で人が死んでるんだぜ…仕方ないよ(まあ僕も車内でWi-Fiで仕事してたけど…)。

と思うのと、そこ含めての「組織のリスクマネジメント」なんだろうしなあ。と思う。死人はこの社会の被害者だ。責める気になれないと思った。人身事故が起こって1時間が電車が再開する仕組みが出来ていて、経済が回るのは立派なリスクマネジメントだと思うけれど、それだからこの『1日に1人線路に飛び込む歪み』の解決に向かってないのはさ。なんなのかな。正直、盛岡の子があんな話題になったから、浜田山も起こったんだろうし…(盛岡と比べて報道少なかったなあ、と思うけど)。