ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

今日は今日でいい日だった なにも起きなかった 曇りのち晴れだった

あれえ?書き直すどころか全部消してしまった(笑。コピーしたものをメモ帳に貼り忘れたまま、PCを落としてしまった)。まぁいいや。でもなんかもやもやが消えないので何か書こうかなって思う。元書いてあったことは全く別です。元は何を書いてたんだっけ?「夏バテで昨日はすぐ眠った」とか「本当に見て下さってありがとうございます。」とかそういう類いのことだったでしたっけね。まぁいいや。

今日から下半期。そして今の生活になって2週間。なんだかもうもっと長い時間が経っているかのような感覚に襲われる部分があり、それって言うのはすっかり今の生活に慣れてしまったと言う部分と、良い生活リズムで生活して居られていると言うのと…気持ちを切らさずに居られると言うこと。まぁもう今年も何ヶ月かは休みましたし、(フェス行ったりどうこうの休日は別として)もうあまり気持ちを切らしていられないなとは思ってるのですよね。

単純に生活リズムの話だけだとしても、高校以降は朝7時前後に起きるなんて生活リズムずっと無かったですから。まぁ高校の時もギリギリに起きてギリギリに着いて午前中の授業は寝るもの。ってなもんでしたので(笑)、中学生以来ぐらいだと思うんですけど、すごく新鮮でそれですら意味を見出せていて、非常に楽しくて有意義に今は思えている(出来れば今後もこういう規則正しい生活をしたいんですけどねー)。もう学校生活と言うのもあるのかと想像出来ないし(←社会人受験とかも最初考えたんですけどね、昨年秋ぐらいに。でももうそんな続けてられないわと思っちゃったからこうなってんだけど(笑))、…この生活のことだけじゃないかもしれないですけど、今は前向きに過ごしているなと思います。

ただまぁ、過ごしながら色々思うことは勿論あるわけで。まぁ僕は元々怠けものですので…現状家では勉強しないだろうなって思うから(笑)、やっぱそういう場所でようやくスイッチをオンに出来ると言うか。それで、別に前向きな姿勢/集中した姿勢を取ったところで…中学じゃないんだからプラスは別に無いですけど、やはり上に書いたように僕は怠けものなので、姿勢をだるーっとしちゃって気持ちを切らしたらともう絶対オフになったままで…それはきっと後々後悔するだろうなって思うから。

もう、姿勢だけでも前向きに持って、極力集中するように思い込ませて、(勿論いきなり分かるわけじゃないから)とにかく「分かろうとする姿勢」を保とうとしているだけ。そんな頭良いわけじゃないから、スムーズについていけているわけでは無い。だからこそ、そこで気持ちを切らさないようにしてるだけ。ま、誰かの1/10以上ぐらい(10倍の間違いじゃないですよ。1/10です)はせめて努力したいなって思うし…僕はもう逃げられないって気付いたから、進しかない…そうしているだけ。

物事って何でも点と点を理解するだけでなく、線で繋ぐことが大事なので…勉強にしても今そうしようとしているわけで。そもそも素人に毛が生えただけのプログラム知識ですから…今はまだ点なんですよね、こっちについての知識も。だから今それを線で結べるように、1から勉強しているわけで。(今こんなこと言うと言い訳になり兼ねないから書くべきかどうかはあれだし、今僕は「やるからには絶対取るつもりで取り組もうと思ってる」から気持ちを保てているんですけど→)別に資格を「取れる」「取れない」は…ただの結果、「点」だから。それよりは、そこをどう次に繋げるかという「線」だと思いますし。勉強の中にも、僕のイメージで上に書いた「知識と言語の点と線」だけじゃなくて、様々な部分で点と線が存在しているはずです。そして「生活」も、「線」として過ごして居たいと感じているから有意義に思えているのではと思う。

まぁ僕って人は…あまり線を結ばない、点が多い人間だとは思うのですけれど。それと言うのは、現状の自分の世界観の中には「結局最後に頼れるのは自分だけだからさ?」と言う部分が少なからずあるから。自分のスイッチを切り替えるかどうかは、結局自分しか無い。誰も助けちゃくれない(←今はここまでネガティブには言わないですけどね)。ま、「サッカー」と言う「何か」はあったんですけど…(「結局死ぬ勇気は無いよな、僕には…」「サッカー、来シーズンも見たいなあ。」「生きなきゃなあ。」「生きるしか無いのなら、楽しい方がいいよなあ。」「いきなりそうなれなくても、少しずつは良くなりたいよな。」)、でも自分の足でサッカーを見に行かなかったら(←サッカーも9割5分は1人観戦ですからねえ(笑))、繋がらなかったものは幾つもある。会えた人たちとも会えなかったんですよねー。

僕は「自分だけだからさ」とか書きましたが、そうじゃない人も居るでしょう…「何か」が元々ある人たち。しかしその人たちだってそれを保つ為の努力をしているからそう在ることが出来るわけで(そうじゃない人も中には居るでしょうが、どうせ僕はそっちの世界の人では無いからさ(笑))。僕も僕なりに「良くなるため」に今は動いてきた、過ごしてきたつもりです。そしてこれからもね。「たったそれで"努力して来た"と言うの?」と言われたならば「んじゃまだ努力出来る余地があるってことでしょう?」と言うことだと思う。するかどうかは別として(おい!)。

あー結局何が言いたいんだ?(笑)まぁ、やっぱ姿勢ですよねえ…ってことだな。僕の姿勢も決して「良いもの」とは思わない(特に「自分だけだからさ?」の辺り)。でもまぁ、コミュニケーションは得意な方ではないってのはもう自分では分かってるから(神経質だし)、仕方ないというかね。もう22で子供ではないんだし、自分は自分として、それでも出来る限り良い姿勢で居たいと思うのだ。別に人から良く思われたいとは思わないけど、でもせっかく過ごすのなら良く思われたいし(すげー矛盾。ま、両方の考えが併行してあるものですから、物事って。ケースバイケースだからさ)。元がまぁ某アーティストの某ファンサイトにて管理人の癖に「貴方一人ぐらい来て頂かなくても僕は何も困らない」とか言ってた人間ですからね(笑)ほんと、良い人間ではないから(高2の段階で結構年上の人にこんなこと言ってるのは面白いなと、思うけど(笑))。ま、それもネガティブな感覚じゃなくて、自分のそういう部分と上手に付き合って、自分なりに進みますよーってことですかね。

本当に文章を上手くまとめられないなって実感しつつまだ文を続けるのですが(笑)、なんで何にイライラしたんだっけな?そりゃ、一人一人事情があるのは当たり前。特にもうこんな社会人となれば尚更。自分は自分、その足で歩くしかないんだよってこと。だから僕だって一生懸命「自分で、自分のために、理解しようとしている」んであって…良くなろうとする姿勢、分かろうとする姿勢を見せない人間に求められて、物事を教えられる/伝えられる程僕は頭も良くないし人も出来てないぜ?ってことだ(笑)嫌いだから言うんじゃないよ?嫌いになる程どんな人かって知らないし嫌な思いさせられたわけじゃないもの。…とまぁ、なんか今日言おうと思ってたんだけど、それ以外のことでややキレた為(でもそれも結局「分かろうとする姿勢」を全く見せてくれなかったからだろう。甘過ぎ!!!)、さすがにこれ以上は言えないと思った(笑)来週変わらなかったら言うけども。きっと言うだろうな。

まあこの辺の思いってのが、ケースバイケースだってことで「別にこの人に嫌われようがどうだっていい」と。別の人だったとしても「この程度で嫌われるんだったらどうでもいい」って部分だな、これは。こういう人間性の部分じゃなく…僕は「合う人(特に特に特に趣味)としか話さない、それがまた極端」な人間だったと思うのですけど(ちょっと過去形)。僕って人間は早い段階からインターネット始めてたわけですけど…音楽の趣味が合う人とばかり関わってたんですよね。早い段階からそういう感覚に慣れてしまったので、そっちに偏ってしまう部分は…多少はあったかもしんないですね。ネガティブな意味で言うんでなく。元々あった人間性の部分もあるでしょうし―ただ高1からの話なので、影響が無いとは言い切れないでしょう。まぁこの話は勿論人間性と音楽性なんて違い過ぎるぐらい違うものですし…話が合う人と話した方が楽しいのはごく自然のことでしょうし(違う世界観の人で、非常に会話から刺激を受けると言うこともあるにはあるでしょうけど、その時点で感性を合わせていられるんだよね、それってのは。だからそういう次元の話ではななく単純に「合わない」と言うことで(笑))。

そんな感じで今日はクラス?で飲み会があったわけですねー。楽しかったです。なんか思ったよりも飲めるな、自分。フジに向けて徐々に量を増やして来れたなって内心思ってたりするようなしないような。昨日の段階では本当体調が不安だったのでどうかなあと思ったんですけど、ある程度戻ってよかったです。仕事の頃ってのは、自分が休んでも誰かがやってくれる―って言う安心感(であり、甘さであり信頼感?)がありましたけど、今は自分が休んだら遅れるのは自分だけですから。でもまぁ以前と比べれば僕もコミュニケーション能力は徐々に上向いているんじゃないかなあ、と思うよ。でも(僕の感性にとって)良いことは良い、嫌いなことは嫌いとはっきり言う人間性は変わらないと思うよ(笑)(時と場合によるけどね。そりゃそうさ。)

自分(「僕が」ってニュアンスではなく、人それぞれ「自分」)が良くなろうとすれば、それは輪を作って何かに繋がっていくものだと思うからさ…「頑張ろう」「前向こう」だとか安っぽい言葉を言う気は0なんですけど、「分からない」のならば。自分にとって何が「良い」ことか?と言うものを頭の中で整理して、まずそれを自分の為に、自分によって、自分が自分に理解しようとすること。そして、物事を「分かろうとする姿勢」を持って、様々な物事…分かること、分からないこと、何故好きなのか、何故嫌いなのか、何故良いのか、何故悪いのか、何故分かるのか、何故分からないのか、何が分かるのか、何が分からないのか。そんな風に、一つ一つの点と点を線で繋いでゆけたらいいのではないかなと思います。

こんな感じかな?我ながら生真面目で神経質だなあと改めて実感(笑)ま、別にそのままで居たいのならそのままで良いと思うんですけどね。それは上の部分で言う「自分にとって何が良いことか」だから。自分は自分以外の誰のものでもない自分なのだし。最終的には僕も僕の基準であーだこーだ言うだけの視野の広さ/心の広さしか持ち合わせて居ませんから(笑)でも、(最初の方で「自分だけだからさ?」とか書きつつ、)今の自分(の生活)を保つ為に存在する、自分以外の「何か」ってやっぱ絶対何かしら存在するわけだからなあ…。ま、向き合うことかな。そういう「姿勢」かな、やっぱ(笑)タイトルは山田稔明 (Gomes The Hitman) "点と線"。

ううむ、こんな長く書いたのにもやもやが晴れず気持ち悪くて眠れん…。イメージが出来ないのも問題ですけどイメージばかりが出来過ぎるのも問題なんでしょう、きっと。早く来週になってほしいような、なってほしくないような…。