ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

君が思い出になる前に

昨日面影ラッキーホールのライヴで不謹慎なことで大爆笑していた人間とは思えないエントリです(そっちはまた後日)。タイトルは、もうこのタイトルしか思い浮かばなかった、浮かんだ瞬間に「帰ろう」と思った。金曜日のエントリの最後に書いていたように、実家の猫がいよいよその時を迎えそうだ、と連絡をもらった。なので、「今週が山なんだろうな」とは思いつつ迎えた月曜。金曜の時点で書いていたように、正月帰ったばかりなのに、帰るべきなのか?などなど、迷いもあったし、ペットの死に目に会えないことは仕方ないことだと思っていた。今週のどこかで帰ることはあるんだろうか?なんて、まだ半信半疑のような気持ちで過ごしていた。で、今日も姉貴からメールが来る。20時。もう今日が峠かもしれないと。そもそも今日月曜は、友人と約束をしていた。21時に下北沢。20時半に仕事を終えて会社を出たのも、その時間に合わせてだ。

でも、会社のビルを出た時点で、もう涙がボロボロ出てきた。これは駄目だ、居ても立ってもいられないって多分こういうことだ。友人に申し訳ないというメールを入れる。自転車で会社から品川駅まで行って、新幹線のきっぷを買う。本当はそのまま新幹線に飛び乗られれば良かったのだけれど、次の浜松まで行く新幹線まで40分近くあるんだなーこれが…。しかし僕が駅で新幹線のきっぷを買うなんて珍しいことで…(いつも500円安い金券ショップで買うからね)。それぐらい気持ち的には一刻も早く、なんて気持ちで居たのだ。21時37分のひかりを待つ時間、電車を待つ時間でこれだけ長く感じたのは初めてじゃないか?と思うぐらい、長く感じた。

出る前、時間があるからとりあえずごはんを食べていたのだけれど、もういちいち泣きそう。"ナイトフィッシングイズグッド"の“いつかさよなら僕は夜に帰るわ 何もかも忘れてしまう前に”なんてフレーズにもいちいち涙腺崩壊寸前。大体、一昨年祖父が死んだ時は家も割と事後連絡だったのに。しかも葬式でも別に全然泣けもしなかったのに(悲しくなかったわけではない)。今回も覚悟は出来ているつもりだった。そもそも3年前実家を離れる時点で、いつかそうなるだろうと思っていたし。最後に会えずに後悔したとしても、それはそれできっと良いものかなって思い聞かせてた。会ったって泣きにいくようなもんじゃん。余計悲しくなるだけじゃん。

そう思ったけど、でもやっぱり可能なことならしなきゃ駄目だと思った。会いに行けると思うんなら、会いに行けばいいじゃん。死に目に会えるのとはまた別だと分かっていても。やっぱ後悔したくないと思った。“最後”はもう二度と無い。それが分かっているのなら8,000円に2時間なんて、安いし近いもんだ。損得勘定で動くのではない瞬間と言うのがあるんだと思った。いや、“安いし近いもんだ”って損得勘定かな(笑)でも、“もうどうせ二度と無い”って感覚に、僕はきっと今後の人生も突き動かされるんだと思う。それは、“本当に最後になってしまった”時の後悔が忘れられないからだろう。急ぎつつも、実家に近付くにつれ、気持ちは落ち着いていった。

タクシーで実家に到着。まだ息をしていた。というより、普通に眠っているようにも見えるけど。でも、今週1週間、もうごはんも食べれなかったようで、思っていた以上に下半身がガリガリだった。今朝倒れて、もう起き上がれないらしい。もう目もまともに開けられないようだし、鳴きたそうだけど、声も出ないみたい。今回が会うのが最後だと言うのは間違いなさそう。3月に帰ってきた時にはもう居ない。最後だと分かるから、いつのまにか思い出になってしまうのではなく、会いに帰ってこられてよかったな。こんな状態になる前、週末に急に外へ出たがりだした話もうんと聞いた。最後って本当に猫自身もそういう風に悟るもんなんだな。僕が帰ってきてから、まだちょっと動きを取り戻してはいた。それがまた嬉しいと思える。明日の朝、家を出る時も息をしていたらいいな。その後は、本当にもう最後の別れだけれど。

月並みながら、これでMP3プレイヤーに"K"なんて入っていたらボロ泣きだっただろうなあ(笑)家に着いて、まだ間に合ったことに安堵したのが正直なところだったから、その姿を見て泣きそうになったということはないし、家族に涙なんて出来れば見せたくはない。一人で居るから涙が流れたりするんだよ、そういうもんで(笑)そもそもね、メールに「最後に電話で声を聞かせてあげて」ってあって、そんなの電話したら泣くに決まってんじゃん!と思って、それが恥ずかしかったから(笑)それなら「今から新幹線で帰ります」って方が良いと思った、そんな変な損得勘定もあるけど。でもね、よかったよ。だって東京からわざわざ帰ってきて、間に合ったんだから。

思い出話はまたその時の後に書きますが。23時半に僕が着いて、最後皆に囲まれて。なんか、よかったなぁって思った。涙はない。けど、明日家を離れる時が本当に最後なんだって思うと、もうどうにもなく泣ける。何かが手に入ったら、何かを失うんだなあ。良いことがあれば悪いことがあるんだ。でも、今のうちに悪いことが起こってしまってくれたのかなぁ。東京に引越した後も、(僕は夢をよく見る人なので)猫が死んで泣くような夢は何度かあったけど、本当にその時が来たんだなぁ。僕の眠っている部屋に「開けてくれ」って鳴かれることも、もう無い。でも…帰ってこられて、自分自身への後悔は無いです。明日の朝はどんな朝だろうか。おやすみなさい。