ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

Fuji Rock Festival'09 2日目 @ 新潟県苗場スキー場












■前日は23時頃に帰ってきて、1時頃に就寝、土曜日の朝4時に起床。しんどい。駅までいつも通り歩こうと思ったら家の近くをタクシーがちょうどさまよっていたので、乗る。「駅までどうやって出ればいいのかわからなくて」タクシーの運転手がそれでは困るよ。吉祥寺駅でカートからテントを落とすも、見知らぬ人が「落ちてますよ」と追いかけてくれた。感謝。もし気付いてなかったら終わってた。中央線でちらほらとフジロッカーが乗ってくる。東京駅を6時08分のときで出る。座れてよかった。

■眠い思いをしてなんで頑張って今年は始発の新幹線に乗ったかと言うと、前日、「バスに2時間並んだ」と書いて居たこといる人が居たこと、あとテントをなるたけ良い場所に張りたいなあと思ったから。なので朝は極力努力をしようと。乗るのが遅くなればなるほど、並びが長くなるから。越後湯沢着が7時半。早いもんだ。バス並びも、2台目で乗れたので相当スムーズ。だけど、もう既にこんだけの人数が降りてくるのに、2台目のバスすら待機させられないのはどうなのだろう。まあこの時間にバスを何台も待機させるのは労働的には厳しい話だけどね…。

■8時過ぎに苗場着、9時過ぎにはテントも設営完了。例年と比べて相当早い。というか、キャンプサイトは今年は結構空いていたように感じたなあ。あまりに狙い通りのところに建てられたんで拍子抜け。早く準備が整い過ぎたので仮眠。前日の天気模様はずーっと眺めていたけど、この日は本当に快晴。なんか一人でキャンプする時は大体天気が良いのです。なんか複雑な気持ちになるジンクス。あと割と早い段階で知り合いとか、マイミクさんとか、そういう人とバッタリ会えて(声を掛けていただいて)気が楽になりました。感謝感謝感謝。

■朝一発目は9mm Parabellum Bullet。後ろの方ガラガラ。かっこいいなあと思いながら見ていたんだけど、でも人少ない。そりゃ、こんな朝イチでは仕方無いか…。なんか今の9mmは数年前のフジファブやテナーやサンボぐらいのところまで来ていると思うのだけれど。こういう若いバンドをこんな枠に出すような扱いをしちゃうから、フジロックの世代交代というか客の新規開拓がし切れないのではないか。今年は客少ないんじゃないかという予感は来る前からあって、そんで…以前程大物外タレを呼ぶのが難しいとして、数や枠を埋めるのって結局日本のバンドでしょ。んでコストが掛からない若いバンド。そういう意味ではやっぱこういうバンドをもうちょっと盛り上げる扱いをしないと、なんて思った。余計なお世話かな。でもやっぱなんか客少なくなってる現状は、良いとは思えないもん。

■んでGREENに戻ってThe Birthday。アベに関する発言があるかなと思ってたけど、僕が見た中ではもうなかった。聞けなかった。オアシスで苗場支部。2年ぶりでしたが楽しかったです。去年の写真だけ見て、ああまた人増えたんだ、と思っていたけど、更に増えたようですごかった。「磐田さん、船谷ほんとありがとうございました」と話しかけてきてくれた鳥栖サポとしばらく談笑。船谷ありがとう。そろそろ怪我治るはずなのだけれど。それ以外にもなんかやっぱいつもながら色んな話を色んなサポと出来るのが面白かったです。おつかれさまでした。あと僕歌詞間違えてました。ゴールじゃなくて勝利かも。まあいいや。あと初めてお会いしたジュビサポのかたに「はてなでブログ書いてましたよね、読んでました」と言われたのには、ああ読んでいる人が居るもんだなあと(笑)嬉しいです。

■その後はCOOL WISE MEN⇒初めてSTONED CIRCLEとCafe De Paris。というかMOON CARAVANは平坦なのか。良いな。テントで寝やすそう。ORANGEやヘブンも近いし。うらやま。その後ORANGEかヘブンでごはん食べてる最中に眠る。というか今年のフジは椅子に座りながら寝まくった。それぐらい今回持っていった背もたれ&横付きの椅子は快適でした。最高。朝霧みたく寝転がれると別に要らないんだけど、地べたに座りにくい(特に今年は)フジには超強力。んでそもそもこの日は前日からあんまり眠ってなくて、且つ朝から飲んで食って飲んで食ってだったので、この辺で眠気が一気に。一度テントに戻る。ちょうどグリーンを通り過ぎた時にJETとかそれぐらいの時間。おかげでCBMDもトラキャンも(眠って)見れず、更にはブライト・アイズとZAZENの時間すら引き続き眠ってました。うわー勿体無い。けど眠気にはかなわない。

清志郎オーケストラから復帰。日本酒飲みながらちょっと泣けた。んでダイナソー。なんか前日まではすっかりSOIL行くつもりだったのに、眠って清志郎オーケストラをこちら側で見てしまったが故。まあどっちでも良かったから良いけど。The Wagonが終わってから出て行く人が多過ぎ。その後、フランツをチラ見、Public Enemyチラ見、んでFunky Meters。その後BOOKER T。この日はとにかく椅子に尽きる。Funky MetersもBOOKER Tもほぼずっと座って見てた。前日のおかげで足元が悪くて予想以上に疲れた。

■深夜はパレスオブワンダーでやってたモンゴルのショーと、モンゴルのバンド(Altan Urag、だっけ?)と、壊れかけのテープレコーダーズを見る。モンゴルのバンドは、モンゴルのthe telephonesみたいな(笑)、なんか民族楽器使ってるのにディスコ・パンクな感じで超面白かった。やっぱ僕はマーキーよりこっちのが合うんだろう。壊れかけのテープレコーダーズはpodoみたいな印象。この時間のPOWで、浅野忠信を2回見た。「似てるなあ」と思って手首見たら出演者用のやつでした。こんなはっきりと僕が有名人を見つけたのは初めてぐらいな気がする。一人でとぼとぼ無表情でした。離婚したと知ったのは月曜の昼。同じ年に出演(予定)なんてなあ。思った以上に疲労感を感じたので早めに眠ったつもりが午前3時頃。あ、あと興味本位でテポ丼を買ったんですが、一口ぐらいしか食べられなかった。あれはほんとテポ丼だわ。

アベフトシ

アベフトシ。比べるもんじゃないとはいっても、でも清志郎の時よりもショックにリアリティがある。それは、やっぱり僕は世代的に、ミッシェル、ブランキー、ハイスタっていうバンドが盛り上がっていくところを目の当たりにして育ったリスナーだからだ。

この中でも、やはりミッシェルはデビューから間もない“キャンディハウス”の時から聴いていたわけだから、成熟期になって知ったブランキーやハイスタともまたちょっと違う。

アベをライブで見たのはたぶん2度とかそれぐらい。ミッシェル解散の時には、僕はすっかり渋谷系に染まっていたため最後のツアーにも行かなかった。それなのにそんなにショックか、って感じかもしれないけど、ミッシェルが居なかったら僕の音楽遍歴がどうなったかなんて想像出来ない。そりゃあ、ショック過ぎるほどショックだ。

フジロック、という言葉を知ったのも、ミッシェルが出ていた98年の豊洲のおかげ。ベースを買ったのも、ウエノコウジみたいなベースというリクエスト。ミッシェルのコピーバンドもやった。初めてステージにたったのもそれだ。あ、うそだ。それは違うや。最初はミスチルか。まあいいや。98年のフジロックの映像や、自分もビデオで撮っていたHEYHEYHEYの映像を今見直しても、本当にあの時のミッシェルは全てを塗り替えていた気がする。今の、ある程度完成された舞台の上で登りつめるバンドとは違う。98年の映像なんて、オーディエンス含め“経験値がない”が故の狂気をお互い感じるもんなあ。ロックだよね。間違いない。

結局まだ(ブランキーと)ミッシェル以降、フジロックでGREEN STAGEのヘッドライナーをやったバンドっていないよね?忘れてるだけかもしれないけど。ミッシェルが表紙だったギラギラのJAPANもよく憶えている。横浜アリーナのWORLD PSHYCO BLUESの映像、何度見たことか。

清志郎とかRCが日本のロックを育てたように(知らないけど)、ミッシェルも確実に日本のロックを育てたし、シーンを変えた。ミッシェルが居なかったらこのフェス・ブームも無かったんじゃないか。98年の豊洲も、99年のライジングも、00年の苗場も。フジロックも、JAPANも、ある種RIJFも、ミッシェルと一緒に育った、ミッシェルが育てた。といっていいぐらいの存在だったでしょう。

これでミッシェル・ガン・エレファントは“伝説のバンド”の仲間入りをしてしまったのだな。ひそかに再結成、期待していたんだけど、もう二度とかなわない。そう思えば、いくらでも寂しくなれるよね。この3ヶ月で、一気に3つの時代の終わりを告げてしまったけれど、シーンが盛り上がる、ネジの一つになりたいと思います。