ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

小沢健二 @ 浜松・はまホール

僕にとって小沢健二とはなんだったか。僕が音楽に興味を持ったのが小6の頃、1994年。初めて買ったCDがMr.ChildrenTomorrow never knows”。小沢健二で言うとたぶん“ラブリー”で、“強い気持ち・強い愛”をテレビで歌うのを見ていたのははっきりと憶えている。だから順番的にはフリッパーズ・ギターではなく小沢健二を先に知ったわけなので(フリッパーズを好きになるのはまだ後の後の後)、“インテリ”“王子様”という…男子的にはいけすかないレッテルであるはずの小沢健二、なんだけれど(実際周りに小沢健二好きな同年代の同性は居たことがなかった。昨年そういう同僚と出会ったけど。)、僕は別にそういうこと思ったことなかった。単純に曲が好きだったんだと思うし、ああいう人を食うキャラが鼻につかないのかもしれない。高校受験の頃“Buddy”をよく聴いてたのをよく憶えている。

シングルは大体テレビやラジオ、レンタルで追っていて、中古ながらシングルを集め出したのが高校生の頃。でもそれが98年なので、小沢健二が表舞台から消えたタイミングと同じ。アルバムを集めたのもその時期、小沢健二はもう“消えた過去の人”になっていたので、犬、ライフ、球体と3枚合わせて1,000円ちょいで集められた。シングルも100円とかそういう次元(“大人になれば”は10円とか)。でも基本的には当時はいわゆるロッキング・オン・ジャパンに載っているようなアーティスト…主にロック・バンドが一番熱い時期だったので、その流れでCorneliusを“FANTASMA”で好きになってフリッパーズ・ギターを初めて聴いたのもその頃。だけど当時はまだ犬も球体もフリッパーズも分からなかった。当時の彼女が小沢健二が大好きで、「“春にして君を想う”は駄作」と言っていたこともよく憶えている。

小沢が表紙のロッキング・オン・ジャパンを一緒に読んでいたことも、フリッパーズが表紙になったGbを僕が買っていってあげたことも憶えていて(僕は当時はフリッパーズ自身よりadvantage lucyとかRoboshop ManiaとかZEPPET STOREとか、そういうのに興味があったわけだけど)、でもまさかその後僕自身があんなにフリッパーズを好きになると思ってなかったから、あげたことを少し後悔したりもしたんだけど(笑)、まあそういうこと含めて青春ってやつなんだと思うけど、今思うと。あのGbどうなったかなあ。普通に読みたいなあ。その子が居たから(居なくなったから)小沢健二を好きになったわけでも、フリッパーズ・ギターを好きになったわけではないけど、結果的には居なくなった後に落ち込んで、たまたまその時期に本格的に小沢健二フリッパーズ・ギターにハマった、それが19〜20の頃。

んでフリッパーズ〜ピチカートを基点に渋谷系にダダハマりしたのがこの頃。人として一番ダメだったのがこの頃。“犬は吠えるがキャラバンは進む”はそんな気分に合っていたけど、それでも鬱な時だったから躁な音楽ばかり聴いていた時期だった(逆に…幸せ者だったはずの高校の頃や、すごく達成感や充実感のある今の方が暗い音楽を一杯聴いている)。それ以降の音楽遍歴はしばらく渋谷系基点で…洋邦新旧ジャンル問わず聴き漁る時期になったので(ジャズに辿り着く頃に“球体”にハマったり)、その中でもやはり核である小沢健二フリッパーズ・ギターはすごく大きな存在であり、一人でカラオケ行って2つの全曲を歌ったことも一度や二度ではないと思う(笑)なんだかんだで小沢とかフリッパーズは一部の人には非常に受けが良いのでよく歌う。でもまさか、見られる日が来るとはもう思っていなかった。

こうして振り返ってみると気持ち悪いもんですが、でもやっぱ19〜20の頃に…ある種病的にハマったことよりも、高校時代の最も甘酸っぱい記憶を思い起こさせるアーティストの一つであることの方が大きい気はします。あの子どうしているかなあ。この1年、ようやく僕の周辺にも結婚ブームが来ているので、そう思うとあの子ももうきっと結婚してんだろうなあ、もう子供も居たりするのかもな、でも絶対知れないんだろうな。何年経っても思い出してしまうな。今僕がしている仕事、落ちこぼれた僕が今となってこじ開けられた狭き門、僕自身じゃなくあの子が入りたいと言っていたことも未だよく憶えていて、ほんとここまで辿り着けたのって…そういうモチベーションでしか無かったのかなって…今これ書きながらふと思ったりする。でもまだ伝わらないなら悔しいな、まだやれるな、もっと頑張らなきゃな、と思うけれど、でも最近は充実感以上にちょっと疲れてきた。さすがに高校生の頃からもう10年経ってるんだから。それなりの老いや、抜ける髪だって気になるような年ですよ、もう。


ということで小沢健二@浜松はまホールへ行ってきました。この感想は今夜中に書ききろう。曲名は書かない大枠の部分と、ネタバレ部分と分けて書きます。ツアーが決まった時点で行くなら浜松だと決めた。だって関東の公演(特に東京)はチケット取れる気全くしなかったから。浜松はアテがあるのもあったけど、それを頼んだ先が変わったり心配要らず譲って頂いたり、行く相手というか譲り先が二転三転四転として、前日に姉貴と一緒に行くことが決まったり(今年出産した姉貴の出産後初ライブとなった(笑))。姉貴はいわゆる王子様な小沢健二が好きだった、そんな世代の人。まあだから譲るには良い相手だったと言えばそうだったかもしれない。会社を早退して新幹線に飛び乗り、17時半に浜松着。いつもフリーペーパーもらうべく駅の観光案内所に寄るのだけれど、「はまホールってどうやって行けばいいですか?」というようなことを聞いている人が数人。同じ新幹線で来たのだろうな。街中を歩きつつ、浜松の街中に来てまで仕事の電話をしつつ、はまホールへ。

自分の周りには東京公演に行った人も多かったし、おそらくTwitterやブログを下手に検索しようものなら幾らでも情報が入って来るような時代なので内容を知ることは容易だった。けど今回は知りたくなかったから情報をシャットアウトし切って、ああ浜松はまだ先だなあってずっと思っていたけど(笑)、過ぎてみるとあっという間に訪れた当日。本当に演出もセットリストも全く知らなかったので、全て純粋に「うおおお」って思えた。オープニングから、近くには泣いている人が居た。「あの王子様が帰ってきた」という体験になった人にとっては、それぐらい感極まるものであったんだと思う。けど、そのすすり泣く声、僕ははっきり言って全くピンと来なかった。結局、僕は小沢健二を後追いで聴いた人間なのだ。本当に好きになってリアルタイムでライブがあるということ自体が初めてで、それが10年越しぐらいで実現はしたけど、「本当に居たんだ、本当に歌ってる、本当にあの声だ」という状況把握から始まったので…感情が動く程ピンと来るものではなかったと思う。

だから。僕にとっては今日の小沢健二は…全然“過去の人”ではない、ただただ“2010年の小沢健二”だった。何年ぶりだからでもないし、懐かしくもない、全くの新しい体験。98年までの小沢健二、“Eclectic”“刹那”、そしてインストだった前作“毎日の環境学”を経てたどり着いた、ただの“今の小沢健二”だった。懐メロではない。そんなのとんでもない。東京公演を見た人、内容は言わずとも「普通にものすごく良かった」ということだけは聞いていた。ツアーの前のスチャのライブでのコンディションという不安要素が最初はあったけど、そういう心配も一切要らなかった。情報をシャットアウトした甲斐があった。帰ってきた甲斐があった。でも、甘酸っぱい記憶なりなんなりと言うより、自分が一番悪い頃に一番聴いた“犬”が僕にとってのツボ…ぐっと来るポイントなんだな…ということは実感した。

僕個人はこういうコンサートの雰囲気は慣れない。そりゃあ、DeerhoofやJohnny Foreignerのライブに居たような人たち、渋谷系を通っていそうな人たちはこのライブにも居たかもしれないけど、逆に小沢健二好きがそっちに流れたかと言えばそんなはずはないわけで。だから、いわゆる“コンサート”の雰囲気をベースに、あのライブのような雰囲気の歓声も今日の会場には響いていた気がするし…なんだろう。でもライブとかコンサートとかそんな枠では語れない…エンディングまで含めて、“ショー”“劇場”そんな体験でした。今までの「今年のベストライブ」というような機軸では比較出来ない。こんな光悦感、思い起こすとしたら渋さ知らズオーケストラであったりROVOであったり、「ええっ?」って感じかもしれないけど、そうなのだ。小沢健二っていう策士、コンダクターによる脚本の上で踊らされた…それを演じ切ったのか、吹っ切れたナチュラルな姿なのかはわからないけど、とにかくすごい“ショウ”だった。そこに受ける側の音楽背景の差は存在しなかったと思う。

で、以下ネタバレ。



暗転。何も見えない。朗読。すすり泣きが聞こえる。“流れ星ビパップ”、大歓声。“ぼくらが旅に出る理由”。途中で照明がつく。うわ小沢健二だ!本物だ!朗読、“天使たちのシーン”、新曲“いちごが染まる”、“ローラースケートパーク”〜“東京恋愛専科”〜“ローラースケートパーク”のメドレー。“ローラースケートパーク”大好きだから嬉しかったなあ。途中で終わって一瞬残念な気持ちになったけど戻ってよかった。この辺、ちょっとマニアックな選曲じゃないか?と思っていて、また渋いイントロだなと思って始まった曲が“カローラ2”。この曲もだけど、“天使たちのシーン”も全く違う曲になっていた。“痛快ウキウキ通り”、またエレクトロなイントロが鳴り出したと思って、“戦場のボーイズライフ”かと思ったら、エレクトロな“天気読み”。でもやっぱこの曲も大好きなので嬉しかった。

んでその流れで“戦場のボーイズライフ”。この流れで“麝香”もあったかも。でもエクレク以降でやったのってこの曲だけか。かっこよかったけどなあ。朗読、“夢が夢なら”。その前の朗読で「夢が夢ならそれでもかまわない、ってか」って言ってた。新曲・シッカショ節もこの辺で、終盤は“さよならなんて云えないよ”、“ドアノック”“ブギーバック”“ラブリー”というヒット曲群。“ある光”もサビ部分だけ歌って、新曲“時間軸を曲げて”。これ普通に今シングルで切ったらオリコン上位にいくと思う。すごく好き。ブギーバックはラップ部分を客に歌わせるというフリだったのだけど、ラップ大合唱という場は初めて(笑)すんごかった。皆言ってるの。シュールでしょ?本編は流れ星ビパップで終了。アンコールは“いちょう並木のセレナーデ”、“愛し愛されて生きるのさ”。“愛し〜”はサビの語りが…もうあのまんまで…すげえなあと思った。本当にこれを生で見れる時代が来るとは思っていなかったな。最後小沢が一人になって歌いながら暗転。大歓声。

照明がついたらもう小沢も消えてる演出なんだろうな…“刹那”の最後が“流れ星ビパップ”のインストだったように。と心で思っていたら、照明がついて、まだ小沢がステージ中央に居た!うわあ、そう来たか。また大歓声。すっごい。皆呼び込んで、メンバー挨拶。こういう展開が、“ショウ”なんだなあと思った。ほんと面白かった。最高のライブだった、と思う。最後の挨拶が結構長くて、小沢自身も色々喋ってて。“呼んでくれたらやる”って、ほんとかよ?(笑)全く信じられないけど、なんか発言が色々すっごく前向きだし、今回のツアーの充実ぶりが見えて透けて…すごく躁なんだなっていうか…「本当にやるのかもなあ…今日やった新曲もリリースするのかな…」とちょっと思ってしまう。メンバーからも「次はいつ?」って突っ込まれてたけど。終了時間は21時半を少し過ぎたぐらい。約3時間。

ちなみに、10年前の今日はGRAPEVINEを東京に見に行った日でした。10年前の僕らは胸を痛めて“想うということ”なんて聴いてた、んだったかなあ(笑)グッズは、東京もとにかくすごかったと聞いていたので諦めていたけど、姉が終演後に並ぶというので、ついでにTシャツを買っていただいた。ちなみに仮に日帰りで帰ったとしてもなんとか間に合ったと思う…けど、こういうグッズのことや、あとは終演後は先輩やチケット譲ってくれた人に会って話したりしていたので、もう何よりこんな風に余韻に浸れてよかったと思う。明日休みにして良かった。そうだ、ライブの途中「首都圏から来た人はどれぐらい居ますか?」という質問があって、かなり挙手の数が多かった(僕もだけど)。中野サンプラザの後、ヤフオクのチケットが高騰し出した…というのはここにも書いた気がするんだけれど、なんかもう次何年後かわかんないと思うと、もう1回見たくなる気持ちは非常によく分かった。僕も序盤に見ていたらきっとそう思った気がする。残り4公演か…もったいないなぁ…。

明日休みにしてよかった。実家で2泊の予定。見たい展示のある土曜には東京に戻る。このエントリの序盤を書きながら思い返している時には、“誰かと居た僕の聴いていた小沢健二”といった感覚が大きかった。けれど、今日のライブを体験して、僕が小沢健二を好きなのはやっぱ僕自身が小沢健二が好きなんだな…ということがわかったというか…それは上の方でも書いたんだけど、自分が一番ダメな時に一番聴いていた“犬”が掻き立てるものは、すごく大きなものだった。リアルタイムではちゃんと通っていない分、この10年間、小沢健二は割とずっと聴き続けていたアーティストであり作品だったのも確か。別にこの復帰が無くても、小沢健二はテレビでのイメージとは全く違って、もっと繊細で、もっと切なくて、もっと物事の本質を突くことを歌っていた。これだけのハッピーな空間を作り上げながら、伝えているメッセージからシニカルさは失われていない(むしろ、らしい)。僕は10年経ってようやく小沢健二に出会えた。そんなライブだったと思う。ほんと来れてよかった。