ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

ずっとウソだった

踏み絵のような唄だと思った。画面に映る人が所属する大手レコード会社にとっては望ましくない行動なんだろうなと思うから。内容は全然異質のものだけど木下理樹の発したメッセージも会社組織に対するもので、大手の会社組織は往々にしてそういうものだ(でも、それはそういうものだ。批判のつもりは無くって、だってそれは僕も会社組織に属する人だから)。この曲を耳にして、そういえば震災後に多く世に出た歌は、平和や希望や勇気の唄ばかりだと気付いた。今更なのだけど、それぐらいこういったプロテスト・ソングは現代の日本の音楽シーンに存在しない。平和や希望や勇気の唄も必要だと思う。でもこんな風に、世の中の仕組み――それは、政治的なるものに疑問を持っているアーティストって、もっと多いんじゃないか。坂本龍一Shing02のような人が率先的に活動してきた…頭の良さそうなものとはまた別の次元で、生活的な部分で時々感じる政治的な部分――それを歌にしたい人って居るんじゃないかって思うんだけど、今後これに続く人は居るだろうか?

痛烈なディスではあるけれどこれは“反社会的な行動”ではなく、もっと日常的なところに根差している歌だと僕は思う。何が正確な情報かも分かりづらい、本当のことなのかがわからない。ただただ“本当のことが知りたいだけ”。本当はなんか本当があるはず。そんな、「そこにある生活」に抱えている不安――特にそれはきっと小さな子供の居る人たちとって――代弁してくれている歌だと僕は受け止める。こういったことって、サッカー選手には出来ないが、アーティストなら出来るアクションだ。自らの、最近の代表曲(ポップでストレートでロックな曲)を替え歌にするといったことも、ウィットの効いたこの人らしいメッセージ・ソングだと思った。そしてロック・リスナーならば、身を削って、リスクを冒して、それでも伝えたいことを発信した、このアーティストを支持しなければいけない。と思う。で、色々と設定があったと思う(笑)ので、本人の名を書くのは野暮ってもの。なのでサイゾーの取材記事OOPS!の記事は正しいなあと思った。明日のUstream、レーベルの公式番組ってのが…。

もうすぐ都知事選(統一選挙)。こないだ同年代の友人が「今度初めて選挙へ行く」と話していた。彼はアニメや漫画の版権に関する仕事をしているので、それが思い立ったきっかけだと言う。前回の都知事選の投票率は54%、20代の投票率は33%(Wikipedia調べ)。政治家がだらしないのも分かるし、文句言う気持ちも分かる。けど、やっぱりそれを選んでいるのは国民だと思う。だから文句を言うなということじゃない。それなら何故こんな政治家を僕らは選んできてしまったのか?ということをもっと反省するべきだと思う(そして、選挙へ足を運ぶようになってほしいと思う)。「今の民主党を選んだ」ということじゃなく、「こんな民主党に討伐される自民党を選んできた」のも国民だ。でもそれと同時に、国民を政治に対して骨抜きにしてきたのは政治家であり、企業であり、マスメディアであると思う。人災だと言って政治や特定の企業・団体を揶揄する記事も多くあるけど、教育してこなかった側、監視してこなかった側、本当は全員が共犯者なんじゃないかと思う。

だから個々人、一つ一つの組織が変わっていかなきゃ日本は変わらないんじゃないか――ってのがありがちな結論なのだけど、「でもさぁ、変わらないよねえ」ってのが今の日本というか――若年層を取り巻いている雰囲気だとも思います。少なくとも僕は高度成長期は勿論だけどバブル期も知らないし(でもそういえば就職氷河期も知らない)、どストライクな世代だと思うので。変わるんだろうか。変わったら素敵だな。いきなり変わるはずなんか無いから、だから目の前の出来ること一つは、投票することや、知識を蓄えること、と思う。今もまだ序章で、まだもっと悪くなっていくんじゃないかという気だってする(民主が倒れたって自民にこれっぽっちも期待出来ないのは、だって「ずっとクソだったんだぜ」。政府っていうのは、今の民主党だけでなく、永田町全体と言い当てるべきではないか。)。生きる以上はそう腹を括って生きなければいけない気がする。あとね、暴動とか起こるような国民性ではないと思うのです、今の世代って。だから国ももっと国民を信頼してほしい。周辺諸国と比べても、何が正しいか判別する能力は優れていると思う。だから変な情報統制しないで欲しいし、その優れた部分を利用すべきなんだ、本来は。


そんな日の夜に、また地震計画停電も一段落し、会社に遅くまで居るいつもの光景が戻りつつあった中での、この地震。小さいのは慣れてきたつもりでいたけど、高層階だとさすがにすごく揺れて、仕事する気力が失せて皆帰路へついた。会社の窓からは、現在建設中の更に高いビルが見えるけど(渋谷駅東)、これで高層階の入居者は集まるんだろうか…。震度6強なんて、通常でも大地震のレベル。復興に向けて動き出したところを挫くのか。神様が居るのなら、むごすぎる。5月14日のアウェー・ベガルタ仙台戦。予定通り開催予定なので、今まで行くつもりで居た。それは大震災の後もそう思っていた。正直意識が軽いと言わざるを得ない気がしてきた。数少ない旅行者が歓迎されるというのなら行きたい気持ちは変わらないけど、そんな風に見てもらえるだろうか?東京のやつは自由だよな…という感じだろうか?あと一応会社人として働く身として、もしものことがあったらというのはやはり考えなきゃいけない気がする。今日、ARABAKIのTwitterで「Zepp Sendai一発目」という言葉を見たばかりだった。andymoriとおとぎ話の勾当台公園フリーライブも発表されたのは今日だった。追い討ちをかけるのが、何故このタイミングなのか。

さて。今回のこのアーティストのアクションについて、歌の具体的な内容――原発問題については僕個人的には意思のようなものはまだ無い。今日の地震、ビルがこんなに揺れても、エレベーターで下まで降りられるし、渋谷の街はなんだかんだでこんなに明るし、そして電車で家まで帰れる。電気が多く生まれる仕組みを真っ向から否定する程の知識や根拠は僕には備わっていない。雑誌で渡部恒三氏のインタビューを見つけた。自民党時代に原発戦略を推進した一人。ざっくり言うと「今は申し訳無いとしか言えないが、オイルショックの時に影響を抑えられたのは原発があったからだ」といった内容。そういった一面だってあると思うのだ。gooでこんな記事を見つけた。答えは一つでは無い。何がベストな代替案なのか。それを考えずに目の前の問題点だけ見て戯言を言うつもりは無い。まあでも、それを考えて、分かりやすく説明するのが本当は政治家の仕事なのだと思うけど。何の為に頭の良い大学出てるんだっていうね。今週末の統一選挙。どういった結果になるだろう?