ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

AIR JAM 2011 @ 横浜スタジアム



2011.9.18からはや3日。何から書けばいいだろう。Hi-STANDARDのことからかな。

Hi-STANDARDのこと

僕がハイスタを好きになったのは15か6の頃。1999年、テレビで流れていた“The Sound of Secret Minds”がきっかけ。でもスカパンクをスッと好きになったのと比べてこの曲は少し好きになるのに時間が掛かった(何度か見ているうちに)。でも、同じ番組で流れた“STAY GOLD”のPVには一発でやられた。“MAKING THE ROAD”の発売日、買うのは決めていたけど、とりあえず聴きたくて試聴機で爆音で鳴らした時の衝撃みたいなものは今もよく憶えている。

そこからは普通の田舎のハイスタ好きの高校生。多くの人が歩んだ道とそう変わらないと思う。今でこそ静岡だったら浜松に多くのバンドが来てくれるようになったものの、当時は大体静岡SUNASHか豊橋ラハイナ。MAKING THE ROAD TOURも確かその2会場は回ったんじゃなかったかな(でもANGRY FIST TOURでは浜松へ来ていたんだった、確か。僕がまだハイスタを知らなかった頃)。2000年頃からライヴ見に名古屋に行く機会は増え始めたけど、残念ながら当時ハイスタを見ることは叶わなかった。まだ関東へライヴに行くこと、フェスへ行くということも自分の中の選択肢に無かったから、AIR JAM 2000にも勿論行っていない。

高校を卒業する頃には、段々僕のパンク熱も冷めていった。まさかハイスタがそこから止まるだなんて思いもしていなかったけど、当時としてはあれだけの成功を収めながらインディーズからのリリースを選択していた時点で“ただのバンド”では無かったし、そういったバンドでは起こり得そうな――長い活動休止だとしか思っていなかったのが正直なところ。当時この辺の情報も仕入れてなかったから、Pizza of Deathのサイトで横山健が難波の脱退について記したことも知らなかったし、2005年頃難波さんがROCKIN'ON JAPANに出た時に「おお」と思ったり、そして普通にソロでも活動し始めるのが嬉しかったし。

その頃からかな、僕がまた情報を仕入れるようになったのは。2004年に初めて行ったROCK IN JAPANでHUSKING BEEを見た時は本当に「ああ、こういうの久々」って思ったんだけど、その後――2005年にPOTSHOTPENPALSといった、僕の青春にあったパンクバンドの解散が相次いだことが影響していると思う(彼らはAIR JAMバンドとはちょっと立ち位置が違うかもしれないけど)。パンクバンドかはわからないけど…ビークルとかも何年かぶりに聴くようになったり。そんな中だから、2006、7年頃に難波さんがPizzaに対して警告文とか出した時は、「仲違いしちゃって、もうハイスタの復活なんて有り得ないんだ」とは正直感じたし、その後はもうそういう覚悟も決めたのが正直なところ。

今回のAIR JAMに一緒に行った友人と出会ったのはその頃。当時の会社の親会社の社員で、何かの二次会でカラオケ行ったのが最初、お互い歌ってたのはミスチルなんだけど(笑)、何かで「ええ、タメじゃん!」「当時ハイスタとか聴いた?」「ああ、そうそう!」みたいな流れで意気投合したのが最初。エモ系の洋楽や、toeみたいなバンド、Nujabesのようなアーティストでも音楽の趣味が合う友人だけど、最初貸してもらったのはASPARAGUSとかNorthern19のようなバンド。アスパラは前と合わせればキャリア長いけど、そこで最近のパンクにふれるようになった。今回のチケットも、その友人(の同僚であり、僕も元野球仲間)からまわってきたもの。フジ・ロックで久々に会った時「(取れたけど)私、実はそうでもなかったりする」なんて言ってたから「またまたー!」なんて思ってたんだけど。

ハイスタの話に戻ると。何か動き出したと感じたきっかけが二つあるとしたら、難波さんがハイスタを歌い出したこと(2008年のこの時)。前職の頃、仕事で難波さんに話を聞いたのも本当に良い思い出。そして2009年、Ken Yokoyamaが“STAY GOLD”を演奏した時(その前に、難波さんのアルバムに健さんが参加というトピックがあった)。そこはお互い大人なのですぐに「再結成」を期待したわけじゃなかったけど、仲直りしたんだって事実が何より嬉しかった。

そして今年。日本が暗いトンネルに入り込んでいる時、射した一閃の光。「ハイスタ復活!!!」友人からのメールだった。ヒーローが立ち上がった。この3人が、11年の時を経て、何かのハードルを乗り越えた。後で同じこと書くかもしれないけど、別に定期的な活動とか、作品なんて、僕は何も期待していない。ただただほんと、この3人がこの名前で再び動く意志を持った、そのことがただただ嬉しかったし、勇気付けられた。今までも色々な「何年越しで初めて見る」「復活ライヴ」はあった。それらと比べてハイスタの思い入れが違うところはなんだろう――より「青春」な感じがするからかな。高校時代にバンドでコピーしていたことや…自転車で爆音で聴いていた“青さ”が一番ある――なんて前日の日記には書いていたけど、いや、それだけじゃない。上に書いたような――僕の青春以降から今まで、最もストーリーがあるバンドだったからではないか。

前書きが長くなったけど、当日のライヴの感想を書いていきます。

磯部正文BAND / 10-FEET / Pay money To my Pain

開会宣言に間に合わせたかったけど、結局ぐだぐだしちゃって横浜スタジアム着は11時50分頃。リストバンドを引換えて、会場を回っている間にイッソンは終わってしまった。けど、最後の“WALK”の時の大歓声がすごかったな。その後、今回一緒に観た友人以外の友人に会ったりしている間に10-FEETも終わってしまった。一曲目から“RIVER”かあ!とか思っていた。スタンド指定席だったので、スキャフルまでに一度席に行ってみよう、と思って行っている間にPTPをチラ見。この日はあまりにピーカン過ぎて、この時点では結構アリーナもスタンドも空き気味。

SCAFULL KING

たぶん今日のメンツの中でハイスタの次に楽しみだったのはスキャフル。6月に見た時に前行ってあまりに楽しかったので、アリーナ行きたいなーー…と思いながら観ていた(笑)“YOU AND I, WALK AND SMILE”から始まり、“Brighten Up”“Save Your Love”“WHISTLE”“NEEDLESS MATTERS”“NO TIME”“WE ARE THE WORLD”“IRISH FARM”。狭いスタンドの席を跳ねまくって汗だく。「代打ですけど」なんて言ってたけど、最初から決まっていなかったのがおかしいぐらい、序盤一番盛り上がってたのは多分スキャフルじゃないか。こんな代打が控えているんだから大船に乗った気持ちだよね(笑)切り札。

FACT / KGDR / LOW IQ 01 & MASTER LOW

AIR JAMへ来るファン層はやはり(PTPもだけど)FACTとかはストライクという人は少ないようで、スキャフルの時と比べるとだいぶ人もはける。というか本当に熱い!ずっと頑張ってて夜までもつわけがないので、僕もMURPHY'S LAWの頃は外へ出ていた。思ったより中華街も目と鼻の先で、結構皆周辺の飲食店に避難していた印象。そこら中に座り込んでいる人が居るのは、周辺住民にとってどうなのかとかあると思うけど――でもねえ、スタンドが暑いんだもんさー!気持ちはわかる…。

KGDR(キングギドラ)は勿論初めて観る。僕はこの辺のHIP HOPを通っているわけではないけど、それでも観てみたかったのでこの時にはスタンドに戻った。西日が一番きっつい時間帯、スタンドもアリーナも空いていたけど、それでもかっこよかった。この日、隣のステージまで行く人を内心期待していたんだけど、それを実行したのはジブさんとKダブさんだけだったように思う。ミスチル桜井さんはステージの隅から隅を駆け抜けるというのに!(比較それか)“アポカリプス ナウ”は歌詞からして3.11後に作った新曲なんだと思うけど、かっこよかった。

そんでイッチャン。この時にあわせて人が増えているのをみると、やっぱり皆AIR JAM世代が好きなんだなあというか(笑)今まで見たLOW IQ 01のライヴの中でも最も“ホーム”だったと感じた。MASTER LOWもFBYの3人+ナリ+シゲさん+チャーべくんという、いわばフル編成。MASTER LOWも、FBYの3人+シゲさん+ナリ+チャーべくんという、いわばフル編成。初っ端から“LITTLE GIANT”で大爆発!なんとなく、目立つこと・盛り上がることやるの好きな人だから、特別な飛び入りゲストがあったり、特別な曲やるかと思ったんだけど(特にKENZIに振った被災地にライヴハウス作るプロジェクトの曲の話は、それやんのかな!?って思っちゃった)、特にそういうことは無く、最後はイッチャン自身がサックスを握り、インストで締めるという意外な終わり方。盛り上がったけど。

TURTLE ISLAND / the HIATUS / Me First And The Gimme Gimmes

LOW IQ見たら外に休憩に行こうと元々話していて。でもTURTLE ISLANDはあまりに知らなかったから、少し見て。大所帯、太鼓多い。大雑把な方向性で言うと、渋さみたいな。案外面白いなあ、アリーナだったらきっと中央に行ったら楽しかっただろうな、なんて思いながら見ていた。局地的にむちゃくちゃ盛り上がっているし。この時からAIR STAGEはかなり人が入っていたのだけど、今思えばあれはTURTLE ISLAND目的というより、その後からのthe HIATUS〜ホルモン〜ハイスタの流れ待ちだったんだろう(その後、アリーナの入場規制なんてのがあったのだけど、JAM STAGEの方はBRAHMANまでは結構空いていたからなぁ)。途中で腹ごしらえしに出て――そこから暫く経って、そろそろハイエイタスかな〜なんて時間に戻ってきたんだけど、音的にどうもワグダグがまだやっている。ハイエイタスが始まった時点で30分押し。さっきまでオンタイムだったのに。何故?席に戻っていた友人に聞くと、TURTLE ISLANDが20分ぐらい押したらしい。なんと…。

ハイエイタスはフジロックアラバキに次いでこの夏3度目。エルレのイメージで観ていた人なんかは「盛り上がらないじゃん」なんて感じていたらしいけど、今日のメンツの中ではしっとり聴かせるバンドの部類に入るんだろうなあって思うし(でも方向性としてはパンク・バンドってより、Jimmy Eat Worldとかそういう方面を向いているよね)、音と夕暮れとのマッチングが非常に良かった。ハイエイタスがこの時間というのはすごく良かったんじゃないか。そこで少し落ち着かせてのギミギミズはいつぞやのPUNKSPRING以来。“OVER THE RAINBOW”とか“ALL MY LOVIN'”は前回の頃からやっていたと思うけど、3曲目、「ニホンゴワカリマセ〜ン」というMCから始まった、甲斐バンドの“HERO”。カヴァーするにしても何故それ!?笑った。ビール買いに行ったら上司にバッタリ。わあ。

マキシマム ザ ホルモン / BRAHMAN

今回のAIR JAMは、所謂AIR JAM世代ではない若いバンドも幾つか参加していたわけで、その最後の登場がホルモン。「イラネ」って言っている人って少なからず居たと思うんです。友人も当初そうだったし(笑)それでも個人的には、こういうイベントがただの「懐かしむ」イベントになっても意味が無いと思っていたし、新しい血を入れていく、新しい世代と交流していく、逆に言うと新しい世代に古き良きものに触れてもらうことが大事だと思うのです。そしてそれこそハイスタらしいよなあ、って。ホルモンの…ナヲちゃんかダイスケはんか忘れたけど、「誘ってくれたハイスタのためにも、そして何よりも(AIR JAMで人生を変えられた)11年前の自分のためにも、恥ずかしいライヴは出来ない」というMCは、そういった「覚悟」も感じた。

ただそれにしても、ホルモンの受け入れられっぷりはすごかった。結構スタンド全体がヘドバンしていなかったか?どこで「イラネ」なんて言われてるんだ(笑)アラバキ以来に見たホルモンだけど、盛り上がるとわかっているから安心して見ていられるというか。“恋のメガラバ”から始まったのはこの間と同じ。終盤、ギミギミズのカヴァーのことにふれて“皆殺しのメロディ”、ラストが“A・RA・SHI”。こういう場だからこそあえてやるんじゃないかと思っていたけど、まさかラストとは思わなかった(笑)笑った。これはホルモンじゃなきゃ出来ない、お祭りにふさわしい芸当。会場の雰囲気を温めてくれた。

そしてBRAHMAN。ROCK IN JAPANの時もそうだったけど、(震災や被災地がイメージされた)コラージュされた映像とともに登場。今回それと違ったのは過去のAIR JAMの時の映像もコラージュされていたこと。まさかそれがその後ネタにされるとは思わなかったけど。“arrival time”からスタート。そしてTOSHI-LOWがしっとりと語り出す。「…11年間、何してたんだ?」「…この日を一番楽しみにしていた、BRAHMAN始めます」と語るトシロウの笑顔。虚を突かれた。やられた。そして“The Only Way”“SEE OFF”“Speclation”と畳み掛ける。“BASIS”“CHERRIES WERE MADE FOR EATING”“BEYOND THE MOUNTAIN”そして“ANSWER FOR…”。ブラフのライヴでの凄みや緊張感、刹那さは今更書くことでもないだろう。

ANSWER FOR…”の途中(2番ぐらい)でTOSHI-LOWがステージを降り、客席へ。ダイヴっていうか客の上を渡り歩きながら歌う。歌い終わってMC。AIR JAM 2000の時に横山健うつ病だったという客席がざわめく告白。「難波は苛立ってるしツネはオロオロしてるし…俺もイライラして出ないかと思った」という話、バンドメンバーに発奮されたこと、衣装のこと。東北のこと。「いつもステージで死んでいいと思ってライヴをしているけど、でも今日だけは、次のバンドが見てえ」という想い。これは、11年ずっと「AIR JAM世代」を背負ってきた――いや、背負わされてきた?BRAHMANの、偉大なる先輩・Hi-STANDARDへの想い。二人、三人との距離が近いからこそ、複雑な想いで居続けたトシロウの想い。もっともこの「11年」の重みを感じさせられたのはBRAHMANのライヴで、「この日を一番待ち続けていた」のが彼らというのは決してウソでは無いかもしれない。ハイスタで泣ける下地を作っていたとしたら、それは完全にTOSHI-LOWのMCだ。そんなトシロウの泣いて笑えるMCはここなんかがまとめてくれている。

完璧なリレーで、いよいよトリのハイスタへ。

Hi-STANDARD

当初20分のインターバルが短かったのはきっと押していた影響なんだろうけど、逆に「予定通り」じゃなかったことで、また更なるそわそわした気持ちが演出されたような気がした。スタンドではウェーヴ。SEが鳴り止んだ。そしてビジョンについに表示される“Hi-STANDARD”の文字。あの3人がステージに立つ。難波さんの髪が赤い、AIR JAM 2000の時の映像みたいに。1曲目は何だろうってずっと考えてた。けど、「まだ輝いてるか?」みたいなことを言ったから、てことはと思った。“STAY GOLD”!!

イントロが鳴った瞬間、スタンドが照らされ、あちこちで飛び交うペットボトル。これだけ広域でこれだけの数が同時に飛び交うのを見たのはさすがに初めて(笑)(賛否両論ある行為だと思うけど、)でもそれだけ人の心が動いたということが現れていた瞬間で、それを上から眺めるのは爽快で感動的だったし、ここからの2分間というのは、今まで見たどんなスタジアムライヴより、会場全体が爆発してた。先々週も6万人のライヴを見たばかりだし、夏フェスでも3万人、4万人と入るライヴは見る。けれど、本当にあの会場に居た全員が、あの瞬間を、あの曲が鳴らされる瞬間を、本当にずっと待ち続けていた。「I won't forget!!」。誰もがそう叫んだ。この“STAY GOLD”の映像は一ヶ月後のテレビで流れるだろうけど、この時の会場の雰囲気は、テレビの放送では伝えられない景色だっただろう。ステージとの距離なんて関係無かった。ただそこに居られたことが幸せだった。

KEN BANDでも、難波ソロでも、JAPAN JAMでも(10-FEETと鳴らした)“STAY GOLD”は聴いた。けど、あの3人の音・フォルムでの“STAY GOLD”を待ち続けていた。格別だった。たかがオリコン最高3位のアルバム6曲目なのに。それでも皆が待ち続けていたアンセムだった。それ以降のどの曲も大好きだし、歌っていたけど、それでもやっぱり“STAY GOLD”の時の景色が一番感動した。その後は“MY HEART FEELS SO FREE”“SUMMER OF LOVE”“CLOSE TO ME”。1曲1曲、割とMCを挟んでかみ締めるように進んでゆく。

「俺たちHi-STANDARDって言います」「初めましてかもね」「俺たち日本のために集まったんだぜ、笑い事じゃなくて、本当だよ」なんて。“DEAR MY FRIEND”の時には東北の仲間へというメッセージを言ったりしながら、“TEENAGERS ARE ALL ASSHOLES”“FIGHTING FISTS, ANGRY SOUL”へと続く。健さんの“LOVIN' YOU”を挟んで、本編最後の曲が“CAN'T HELP FALLING IN LOVE”。もちろん、大合唱。上の列の人は横山健ファンなようで、ずっとコーラスパートを歌っていた(笑)友人もギターだったから、途中からそれを真似たらしい(笑)

アンコールは“STARRY NIGHT”“BRAND NEW SUNSET”。ダブルアンコールは無く、最後スタジアムに“MOSH UNDER THE RAINBOW”が流れた。スタンドではそれに合わせた手拍子、アリーナではサークルモッシュ。そして合唱。ああ、本当に終わってしまったんだなあ。この時21時。ステージには難波さん、健さん、ツネさん。たびたび3人が現れては余韻を惜しんでいた。横浜スタジアムの音止めが21時だから、押していた分曲が削られたんじゃないかという説はきっとそうなんだと思う。もっと聴きたい気持ちはあったし、特に本編ラストって言われた時は物足りなかったけど。それでも終わってみると、たとえば「“The Sound of Secret Minds”聴きたかったなあ…」とかそんなことは、そんなに重要なことじゃないと思っている。あの場で、ハイスタのあの3人が、ずっと封印されていたハイスタンダードの曲を鳴らしていた、そしてその場に居られた。それが全てだったと思う。

また観たい。今度はアリーナで、もっと近くで。それでも、ペットボトルが綺麗に飛び交い、スタンド全体が揺れるあの光景を上から眺められたのは、それはそれで良かったんだと思う。また観たいけど、ワンマンだとか他フェスだとか贅沢は言わない。Hi-STANDARDとして、3人が集結する意味があると感じたもの、そんな風にハードルが高くても良い。ライヴの合間合間や余韻に浸る3人の姿を見て――何か100%ハッピーなものというよりは、すごく限定的な雰囲気を感じたのも正直なところだったりする。

何となく、10年間以上、皆の心の中でくすぶり続けていたハイスタンダードという“幻想”に「ケリをつけるため」の再結成ライヴでもあったというような――。だから、来年の東北はあるとして、それ以降の活動は――終了宣言とかなければいいなって。せめてまたやってくれればいいなって。それでも、ハイスタンダードというバンドは、今やすごく理想の元に成り立っているバンドな気がする。10年後だってライヴが観たい。けど、10年後に皆また年を取って集まるのが、かっこいいのかどうか、とか(笑)伝説と言われるような存在となったものを、余計に消費したくはないな。なんて思いもするから。見守るしかないけれど。…それでも10年後になって、またこんな風にはしゃげたら、それはすごく素敵なことだと思う。その頃にはハイスタは更に伝説のバンドになっているかな?

アラバキの時に、健さんが「まだいつかも場所も決まっていない」と言っていた2012年の東北でのAIR JAM。東北で行きたいと思っている人が全員行けることを大前提として。叶うのならば、僕もまた行きたい。そしてその次のハイスタのライヴは、また数年後になるんだっていい。何か意義を感じられる時に動くだけで良い。それでも、Hi-STANDARDが動くということが、これだけ多くの人に生きる糧と勇気を与えてくれるのだから。

おまけ:U-22日本代表-U-22マレーシア代表 @ テレビ観戦

昨日は台風の影響で電車が止まり、19時半には復旧したものの改札で人が溢れていたので渋谷のサッカーバーで観戦。見事な先制ゴールだったし、良いシュート沢山あるんだけど、ちょっと前へ攻め急ぎが気になった。そこでボランチのコントロールが大事になってくる。康裕は今回参加出来ず残念だったけど、外から試合を見て色々感じてほしい。扇原も良いボランチだったけど。

テレビでは清武ばっか褒められがちだけど(A代表でチャンス掴んでいるから当然といえば当然だけど)、東の自分でスペースを作ってそこへ入っていく感覚こそ、なんか清武よりも香川ぽいというか、俊哉っぽいというか。そういえば、この2人は大分で元チームメイトか。セレッソと大分は良い攻撃タレントを育てるねえ。そして山崎のゴール!自分のところの選手がゴール決めるのは気持ち良いなー!しかしこの世代、これでも割と飛車角が居ないんだから(香川、金崎など)攻撃陣に関しては過去最高といっても過言ではないんだろうなー。権田の安定感も大きい。相手が相手、シュートの割に得点数が、とかあるっちゃあるけど、それでも近年の五輪代表の中で最もテクニカルでスピーディーだと思う。今後の試合も楽しみだ。