ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

目に見えないもの

日曜なかなか眠れなくて、土曜の試合以降のことばかり考えてしまって(笑)ちょっと監督論と言うか、そういうことについて書いてみようと思います。選手の気迫が感じられない、それも監督のせいなの?って言う意見があると思うんですよ。場合にもよるけれど、でも僕はそれも監督のせいの場合もあると思うし、今回に関しては監督のせいだと思ってるんですよ。そう思うことについて書いていきます。

野球(プロ野球)と違って、サッカー(Jリーグ)は毎日試合があるわけではない。だからあまり1日1日の積み重ねって見えてこない。見えてこないのだからそれを踏まえて語ることは難しいんだけれど、でも全チーム毎日練習があるのだから日々の積み重ねって絶対大事だし、その中で如何にチーム全員統一した意識を持って、そこへ向けて日々技術、体力、戦術理解度、その中での自分の役割の理解…を積み重ねることって絶対大事なはずなんですよ。幾ら選ばれた選手達とは言え、他のチームも皆選ばれた選手達なのだから。毎日の積み重ねを軽視なんてしようものなら一気に転がり落ちるものだと思う。

全く参考外の話にはなるんですが、僕の中学校の頃の野球部の先生と言うのが、県大会、地区大会のレベルでは所謂名将の部類の監督だったんではないかな、と思っているんです。静岡県の西部の大会にすら出たことのなかったうちの中学を、就任1年目で西部大会出場、2年目で県大会出場、3年目で県大会優勝に導いたんですよ。中学の県レベルの話なので、たまたまタレントが揃っただけ。かもしれないが、でも成長の仕方がどうにでも変わる中学時代に資質通りに育てるのってそう簡単なものでもないだろう。

優勝の翌年、僕らの一つ上の世代は…資質の割に結構あっさり終わっちゃって(力があるが故にあまり泥臭さがなかったんだろうなって思った)、そして僕らの世代。上の世代と比べて自分達の世代ってのは本当に小粒で。まず背からして平均が低いんだよ(笑)力も無いし、小学生時代の実績も上の世代と比べて大したことなくて。でも最終的にはガタイの良い中学に僅差で勝利を収め続けて、最後は夏だから体力の差が出ちゃったんだけどあと一歩で県大会ってところまでいったのね。

で、僕らの世代でその先生は転勤しちゃって、その次の世代は僕らより力がありそうだったのにあっさり一番下のカテゴリで負けちゃったって。「まーあの(新しい監督の)先生じゃねぇ(笑)」なんて話したりしたんだけれど、自分で「良い監督」や監督による差と言うのを体験しているから監督って本当に重要だって思う部分はあるのです。中、高の野球はやはり毎日試合があるわけではないから、なかなか見えにくいものではあるんだけれど…日々積み重ねさせることが出来ることや、モチベーションを保たせることって非常に重要だし、それが出来る監督ってすごい。

僕らの世代は本当に小技で1点、2点取って、守り切るチーム。力が無いのに、決して練習が他と比べて厳しかったわけでもないと思うのに、1年通して皆を同じ方向を向かせて、気持ちを切らさずに(いや、切れてなかったこともないかもしれないけど)、練習を積み重ねたからあれだけ戦術的に洗練されたチームになったんだろうし。勿論戦力的に限界があるんだけど…「手持ちの戦力で、どの選手も力を100%発揮出来るチームを作る」ことはしてくれてたと思います。

試合の流れの読み、投球術の読み、采配も本当に上手かった監督ではあったんだけれど(普通の中学生の教員でだよ。よっぽど野球が好きだったんだろうってことだよね(笑))、まぁプロレベルこそ今の時代はより「(データに裏付けされた)読み」って重要になってきているはずで、いくら力のある選手でもただ打席に入って、ただ来る球を振ってることって絶対無いと思うんです。試合前にある程度データの傾向は教わるはず。一応僕も野球経験者だから、野球見ると投球の組立てとか考えるしさ(笑。だから野球はスタジアムよりテレビの方が好きなのかな?)

で、サッカーだ。幾ら野球が打席では1対1のスポーツとは言え、一応僕は小技のチームでやっていたから「野球は考えない」なんて絶対言えない。カウントによって本当に状況って変わる。でも、サッカーはやっぱり野球よりも場面が変わり続けるスポーツには違いないので、より状況判断や考えることって大きいと思う。そして1球1球監督の指示(サイン)が出せるわけではないから、監督のしたい試合をするには練習の中でより統一した意識の中で戦術を磨かなければいけないし、場面毎の対処法を叩き込まなきゃいけない。

もしその対処法を叩き込んでいなかったとしたら。基本的に僕は練習で出来ないことは試合でも出来ないと思う。なんでもそうですよね。勉強してないことを今すぐ本番で解けって言われたって解けない。僕みたくせいぜい走るのなんて駅までぐらいの人と比べて、サッカー選手は完全に身体で「走る」だとか「距離の感覚」を覚えているはず。毎日練習で走ることで、その感覚を磨き保っているんだと思う。

追い付けそうなボールを追わない場面。上から見ていて追い付けそうなボールでも、毎日の練習で追い掛けていなければ「追い付けない」って身体が判断するんだと思うんですよね。「毎日の練習で手を抜いているのでは」。そうだとしたら、それに対して怒る、チームを引き締めるのは監督の仕事だ。若い選手であれば特にそうだ。彼らはまだ人間としても完成していない。サッカー選手としても「どれだけの努力をしたら後悔しないか」って、分からないと思うんだよね。それを教えるのが、一人の大人としての監督やコーチの役割。

でもあくまでチームの最高責任は監督にあるわけだから…コーチだって自分勝手には動けないと思うんだ。そうなると、(グラウンド内では)その全ての管理の責任は監督にあるのだろうし、監督は指示するべきことは指示し、それを把握していてほしいものだと思うし、時には選手に怒ることだって必要だ。でも若い選手はただ怒られたってそれが簡単に出来るものではないと思う。「何故そうなのか」、大人として積み重ねた知識を還元してあげなければ。

以上は「人間育成」としての若手育成、選手育成の一つの考え。(若い時だからこそ)日々の積み重ね(能力的にも、意識的にも)って大事だと。ただまた「ボールを追う」ことについての話に戻るんだけれど…今更の話だけどサッカーって常に一秒一秒連動性があって、ピッチには自分以外10人の味方と11人の敵が居るわけじゃないですか。自分が動き出せば、そこにスペースが出来る。相手もゴールを奪う為に(そのスペースも頭に入れた中で)動く。一人じゃなくて何人もが連動して動く。

もし今のジュビロで出そうなボールを諦めずに追い掛けて追い付いたとしたって、他の選手は多分誰もゴール前にも詰めていないし、フォローにも来ていないし、スペースを埋めてもいないんだよね。それぐらい連動性が無い。それで、相手選手に囲まれて奪われてスペースを突かれて終わり。8日の試合を見た段階では本当にそれぐらいひどい。これは絶対普段の練習からそういうことをやっていないからだ。他のクラブもより良くなる為に日々トレーニングを重ねているのだから。少しの考える時間でも大きな差になる。

選手起用の話に飛びます。競馬ではよく騎手や調教師が「馬を気分よく走らせることを一番に考えました。この馬の力さえ出し切ってあげれば結果はついてくる」と言うようなことをよく言います。馬と違ってサッカー選手は人だから言葉は通じるわけだけど、でも「気分よく」選手を仕上げて、100%、120%の力を発揮出来るような「イレブン」を作ることは監督の仕事だと思うんです。8日の試合で適材適所とか書きましたが、それも一つの要素。

相手があってそれに対抗する為の戦術があってその戦術に合う選手を当てはめる…と言う形もあれば、より良い11人の選手全員が100%の力を発揮出来るチームを作る形もあり、方法や手段はそれぞれですが。そういう…チームの中にそれぞれの役割があって、若い選手に方向性を示してあげて、その中でいかに「短所を補い、長所を伸ばし」ていくかも大人である監督、コーチ、スタッフの役割。それぞれの役割があっても、皆「良い結果」「面白いサッカー」の為に共通した意識、決め事の中でそれぞれの役割をこなしていくものだ。

今上位であるレッズやガンバだって低迷期の選手や低迷していたチームでやっていた選手が出ているわけだし、川崎やマリノスだってそう。いかに選手の力を発揮させてあげられる環境を(戦術と言うものや選手起用を含め)作るか。戦術、って一言で言っちゃうと…サカつく的になってしまうんだけれど(笑)、サッカーをすることが仕事の人々なんだから本当に各場面での共通した対処法の意識が叩き込まれるはず…だと思う。しかし山本監督はもう1年半以上になるにも関わらず、全く何も活かせていない。

結論としては「練習でしてないから試合でも出来ていないはずなんだ」「その練習プログラムを決めるのも管理するのも監督だ。だから監督に責任がある」と言うこと。多分この監督は練習理論からして絶対駄目なんだと(笑)若い選手にただ思いっきりやれって、そう簡単なことじゃないと思うんだよ。相当の自信家じゃない限り…基本的に若ければ経験が少ないわけで、自信って経験に裏付けされるものだと思う。自信が無ければ、勝手に一人(他が動かない中で)「バランス崩して」思い切って勝手に動くことって出来ないと思うんだよな。

精神論って…単なる個々の人としてのメンタルだけじゃなくて、絶対根元の部分があるはずなんだ。若手だけじゃなくこれだけの選手が自信無さそうに臆病なプレー、消極的なプレー、雑なプレーを繰り返していると…山本監督はそういう精神面をケア出来ていると思えないし、それを反省として練習から指導出来ているとは思えないのだ。普通の仕事もそうだと思うが「どう動いたらいいかわかんない」中で、真っ先に上司や先輩をおざなりにして「思い切って動く」ことって…絶対そう簡単じゃないよ(笑)ということ。なのでやっぱり僕は選手は被害者だと思っています!

しかしまあ、8日の試合後のインタビューを改めて読んでも…インタビュアーの「いい形とは?」の後の下りはおかしいよなー。破綻している。まともじゃない…もし本当にもう正常じゃないのであれば、本当に壊れる前に解任してあげないと監督も可哀想だ。今のまま続けるのは誰の為にもならない。…しかし執行役員なんでフロントからは切れないだろうし、立場はお互い様なので辞任も出来ないんじゃないかと…全くなんでこんな馬鹿な契約をしたのか。

監督らしい涙の辞任会見まで待つのかわからないが(笑)、このまま山本監督が続けても(大きな意味で)チーム崩壊が待っているんだろうなとしか言いようが無いし、未来は無い。まぁあれですね、僕も一般人なりに将来的には(近い未来でも?)指導力をどんどん身につけていかねばならんのです。年上の立場、先輩の立場、上司の立場?、親の立場?になっていく…んだろうから。いや、そうなっていきたいね。その時、立派な人間であれるように。その人の為になれるように。

…さて、長くなりましたが監督論はここまで。今日会社の人にこのブログを教えました。いざ教えると恥ずかしい(笑)しっかし僕って文章量は見ての通り多いのですが、「文章力」は無いから…実際文章書いている人に見られるのは恥ずかしいね。あんまり過去のものは読まないで下さい(笑)まぁここ最近文章量が増えているわけじゃなく、元々ずっと長い日記を書き続けているんで、全部読もうと思ったら本当に1日では読み切れない…ぐらいなのかな、もう僕が書き続けてきたものって。

なんで僕は文章が長いのだろう。と考えると、(勿論書き方、表現の仕方が下手なのもあるんですけど)基本的に全部伝えたがるんですよ。「そう思う」ことって必ずそれなりのバックグラウンドがあるわけじゃない。だからその理由を分かってほしい。伝えたい。短く分かり易い言葉も重要。なんだけれど、でも僕は「短い言葉で結論だけ伝えても、僕の意図したものが伝わり切らないと嫌だ」とか考えたり、短い言葉だけ言い合って理解しても、同じ場所でキャッチボールが続いて…堂々巡りになって。次に進めないことがあるから。

前も書いたかもしれないけど――よくAB型って「何考えているかわからない」とか言われてるじゃないですか。僕はあんまり言われない――いやそうでもないか(笑)そんな感じなんだけれど、それに対しては「分かられたいわけじゃないし、分かってほしくもないし、分かられてたまるか(笑)人ってそんな単純なもんじゃないだろ」とか言ったりするんですが、まぁでも…僕が思うことは極力相手にも伝えたいよね。良い事も悪い事も…それが出来ることでより考えって共有出来ると思うし。

伝えることでマイナスになることって…よっぽどのことじゃない限り、無いと思う…んですけどね。人によるだろうけど…。例えば僕は…物事に対して嫌いなことは少ない方ではないだろうけど(笑)、人に対して嫌いというような感情を抱くことはあまり無いし、人のどこどこの行為が好きではないと思うことはあっても…それはそれで好きな人であれば嫌いな部分も含めて好きになってしまうものだったりするし。まあ多分僕は好き嫌いとか線を引く部分ははっきりしている方で、一定の距離をデフォで置く方だから、そう言えるのかも(笑)

今日はあとはフェスのメンツ追加のお話も書くつもりだったんですがやめとく。また次。浜松で昨年同じクラスだった音楽好きな子がRoRのチケット買ったらしい。僕が絶対良い勧めたんだけれど、(多分僕が行くつもりだと思ってないから)先に買われると買い辛い気がする(笑)早く第二弾出ないかな!SN-M600が直った。サポートにメールして対処法が来たので、それをやろうと思って電源アダプタに繋いだら…なんか普通に立ち上がった(笑)電池が付いたまま、変な稼動をしていたようで…電池が切れて復活したようだ。良かったー。

タイトルはGomes The Hitmanの曲。たまたま最近久々に聴いてたのもありますが、練習は見えない。そのまんま。でもなんか今のジュビロっぽい?今日の武蔵野三鷹のピンポイント天気予報は一日中10度。すごい(笑)"揺れるかげろうが 先を拒むように カラカラの舗道が 波を寄せる" "また歩き出すその先に 明日が待っているのかな 夢のような想い出は 花火のように散るのかな" "ただ過ぎてゆくこの時を 僕らは待っていたのかな 限りある喜びを 見つけてハッとするのかな 手におえないものに目をそらす 目に見えないものに手を伸ばす"