ガーデン・シティ・ライフ・ログ

ジュビロ(Jリーグ)とか、野外フェスとかアートとか、庭園巡りや町歩き記録。

恋しくて

今はPotshotのDVD見てます。中盤はこれ書きながらだったからあんまり見てなかったんですが、やっぱもう最初の始まりとか、最後のClearとか、駄目ですね。涙腺が緩む。特に最後のClearはねー。やっぱり僕は名古屋で最後の最後では無いから、泣くようなことは無かったけれど…東京の実際のこの場に居たらどうだったかな?やはり差は感じる。(いや、実際その場に居ても「明日は朝霧だ!切り替えなきゃ!」とか思っていたかな?(笑))

このDVDを見ていて、(一時期は離れていたものの)改めて自分の中のPotshotの大きさを感じた。15-16の時はピロウズやゆずやバインだったかもしれないが、この辺はあくまでCDでのプライオリティが高かったんであって…ライブに入り込み始めた16-17の頃は確実にPotshotであり、プリだったんだよね。ミッシェルでもブランキーでもスネイルでもケムリでもブラフでもその他諸々でもなく、何が何でも圧倒的にPotshotなんですよ。

こうなんていうか…自分の躁?ポップ?ポジティブ?サイドと言うのは、Potshotによって培われたもの…と言っても過言ではないんではないだろうか。今思えばPotshotのライブは全部一人で行ってるんだけど(笑)、色んな人に背負ってもらったし、色んな人と肩組んだし。楽しかったな。今ボーナスディスク見てますが、名古屋のClearの時、後ろに大きな輪が見えました。あの中に居るはず(動体視力悪いから全然わかんないんだけど(笑))。

今は今で充実しているけれど、幸福感はまだあんまり無いし(笑)、当時は…沢山涙流したりしていた中で、楽しさ・幸せさだけで過ごしていて。その中で最重要だったバンドなので…やっぱなんか思い入れもまた別ですね。最初Potshotのライブ映像を見たのが、"Clear"だったのかな。この時の「Potshotのライブ行きたい!!!!!」と言うような…初期衝動と言うのかな。そういう新鮮な気持ちは今後も感じながら居たいものだね。

「幸せな時は不思議な力で守られてるとも気付かずに けどもう一回と願うならばそれは複雑なあやとりのようで」と、小沢健二 "恋しくて"のフレーズをふと思い出しました。そう言えば今週のR25読んでいたら「恋愛ニート」って言葉があったのですよ。なんだそりゃ!と思ったんですけど、「Not in Employment, Education or Training」の言葉から考えると…別に変な使い方では無いのか…?でもまぁ…変な言葉の使い方はしたくないものです。

(今回は涙腺こそ緩んだけれど)涙までは出なかったなー(そうそう、Penpalsも…最後のライブの時より、ロッキンオンの増刊号のレポ見た時に少し来たね)。昨年のピロウズの"916"を見た時以降は涙って出てないんじゃないか。(マイナスになるのなら要らないけれど、)でもやっぱ様々な感情を揺さぶる要素って欲しいし必要なもんだよなあ。年を取ったものですよ(笑)

"そんなことも全て 僕らが見た光 まぶしすぎて生々しくて痛むよ とりあえず" "いつもいつも君が恋しくて 泣きたくなるわけなんてないよ" "思い出すたび何か胸につっかえてるだけ それで何か思ってももう伝えられないだけ Baby!" "そんなことの全て 僕らが見た光 呑み込まれてゆく魔法のようなもの 待っている"