ガーデン・シティ・ライフ・ログ

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秋の庭園巡り・大分県臼杵編。臼杵城跡、旧臼杵藩主稲葉家下屋敷庭園、二王座歴史の道〜城下町の古い町並み

右が愛媛県、左が大分県
秋の庭園巡り、大分県臼杵市編。愛媛県八幡浜からフェリーで渡って初めて来ました。渡る前の宇和島編は↓。そしてJ1昇格を決めた大分アウェー以来の大分県です。
romitou.hateblo.jpromitou.hateblo.jp前エントリでも書いたけど、愛媛の西部・八幡浜と大分の南部・臼杵市を結ぶ航路――きっと昔はわざわざ陸路で小倉辺りまで行かなくて良い、大阪や京都へ向かう為に良いショートカット路線だったんだろうな。決して今後利用者が伸びる路線ではないだろうけど、船がリニューアルしたばかりできれいだったので頑張ってほしいなあと。リニューアルを記念して作ったと思われる冊子もデザインがオシャレだったので…。




臼杵港は臼杵駅や市街地からも約1km程の距離なのでそんなに不便な場所ではない(何もないっちゃ何もないけど)。間近で造船中の船なんかも見られて、おおー迫力あるなーなどと思ったり。

ちなみに整備新幹線の一覧を見ていたら、四国の松山駅を経て、八幡浜より西に伸びる四国最西部・佐田岬半島を通り大分へ至るルート…というのが実はまだ生きていたりする。今ググったら大分県内の新聞で今年構想が記事になっていたぐらい。これが実現したらいよいよその時、この航路の役割が終わるんだろう。
www.oita-press.co.jp

臼杵城跡(臼杵公園)





臼杵港から市街地へ向かって歩いていくといきなり高台・臼杵城跡があります。戦国時代に大友宗麟が築いた城が前身で、江戸時代は臼杵藩の拠点となるお城だった。一部の櫓や石垣が残りますが、あとはほぼ市民公園化されています。何かに「庭園の遺構が残る」って書いてあったけどそれっぽいのは見つからなかった…護国神社の神池がそうだという感じもしないし…。

臼杵市中央公民館

臼杵港から臼杵公園へ向かう途中にあったのが臼杵市中央公民館。かっこいい建築!

臼杵藩主稲葉家下屋敷






江戸時代に臼杵藩を治めたのが稲葉氏。江戸時代が終わりその稲葉氏が藩主の任を解かれ東京へ戻った後、臼杵での滞在用に造られたのがこのお屋敷(なので江戸時代の武家屋敷ではなく明治時代の建築)。臼杵で見たいなと思っていた庭園の一つです。屋敷から門から、色んな建物が国登録有形文化財
庭園を通じていく離れには江戸時代の臼杵武家屋敷・旧平井家住宅も。また敷地内の臼杵市臼杵図書館も国登録有形文化財


臼杵三大庭園 とは

ちなみに臼杵には「春光園」という元武家屋敷の料亭・旅館があり、そこには小堀遠州が作ったとされる庭園があると。今回は料亭も宿泊もムリそうだったので見れなかったけど…いつか行きたいなあ。小堀遠州作庭説はともかく素晴らしい庭園は見たいです。しかし臼杵三大庭園ってあと2つはどこなんだろう。
usuki-shunkouen.com…と、このエントリ書いてる最中に臼杵観光協会に問合せたところ、文化財チームに確認とってくれて「春光園」「月桂寺」「香林寺」とのこと。今回寺院まわりは全然巡ってない…また次回行く時に行こう…!

野上弥生子成城の家、山海荘主屋

城下町からは少し離れた場所(城の北側の海沿い)にも国登録有形文化財の建物が残されています。元は臼杵城の御殿だったとされる山海荘と、臼杵出身の作家・野上弥生子が東京は成城で暮らしていた時の家屋を移築したもの(たしかに成城にありそう)。所有者は臼杵に本社を置くフンドーキン醤油

臼杵の古い町並み〜二王座歴史の道








前述の通り城下町だった臼杵には現在も古い町並みが残されていて、商店街や飲み屋街など現在も街の中心になっています。冒頭の「小手川酒造」一帯は江戸時代からの建築が残されていて国登録有形文化財

二王座歴史の道




寺町と武家屋敷街が合わさった、石畳で雰囲気のある通り。
二王座歴史の道から入った小路、↓この辺は元花街っぽい?


サーラ・デ・うすき

このエリアの中心部にあるのが複合施設『サーラ・デ・うすき』。カフェなどいくつかのおされ風な店舗や、市民ギャラリー、体験工房などがあります。


臼杵駅前の町並み〜臼杵駅



といった感じで今回は港からスタートした都合上徒歩で巡ったけれど、臼杵駅にはレンタサイクルもあるのでレンタサイクルしてもよかったなあ。今回歩けなかった範囲に歴史資料館やフンドーキン醤油の工場があったようなのでも少し行動範囲広かったらより街歩き楽しかったかな…と。

佐伯駅



さてこの日は宮崎県延岡市まで向かいます。福岡・小倉から大分を経由し宮崎まで結ぶ日豊本線大分県内の臼杵〜佐伯間はこのつい数日前までこの夏の大雨の被害により運休していて、ちょうど復旧したばかりでした。なので佐伯駅には地元の学生による復旧を記念したボードが。

佐伯で下車するのも初めて。街歩きしたいなーとは思っていたけど、時期的に17時前にはだいぶ日が落ちてしまう。佐伯の旧市街(武家屋敷の町並みがあるらへん)は駅から2kmぐらい離れた場所にあって、レンタサイクルももう閉まっちゃう時間だったので今回は断念…。その周辺には国木田独歩の暮らした旧家や市民茶室のある(割と新しめの)庭園もあるようだったので、もう少し明るい時間だったら寄りたかったな。駅周辺を歩いたけど特筆することはなし…(スーパーがあるので電車旅の食料調達には有り難い!)。フェリーの出ている佐伯港の方の港町なんかも気になったけど…いずれもまた次回に!

臼杵〜佐伯間は地元の学生を中心に乗客がそこそこ多かったけど、佐伯〜延岡間は普通列車は1日3往復しか設定されていない超閑散地区(特急列車はそこそこある)。そのうちの1つに乗って延岡まで。そして宮崎編に続きます!

秋の庭園巡り・愛媛編④。宇和島〜八幡浜編。宇和島城、天赦園、等覚寺龍華山庭園、西江寺庭園、明源寺庭園、「伊予の大阪」八幡浜の町並み

秋の庭園巡り、愛媛編その4。宇和島の前、松山市編は↓。
romitou.hateblo.jp四国のほぼ一番西側・宇和島へ来るのは2014年以来約3年半ぶり。初めての愛媛アウェーの前でした。
romitou.hateblo.jp一番の目的は大名庭園である「天赦園」の再訪ですが、宇和島の中心部にはそれ以外にも寺院の庭園が。行ったところない所も含め、引続き愛媛県造園緑化事業協同組合の「愛媛の古庭園」を参考にします。

愛媛の古庭園(南予)
http://www.ehime-zoen.com/062_3.htm

宇和島城




宇和島以降の移動の予定を考えた時、宇和島を出たい時間は10時17分。そして天赦園のオープン時間が朝8時半。この1時間半ちょっとに色々と見に行きたい忙しない今回の宇和島。駅から天赦園までが約2kmなので自転車に乗れるとちょうど良いのだけど、宇和島はそんなに早くからレンタサイクルをやっていないので早めにチェックアウトして歩き始めることに。
で、せっかく自転車が無かったので「現存12天守」の一つ、宇和島城へ登りました。朝早いので天守(資料館)の中には入れなかったけど。市街地を一望できる良い見晴らし。

天赦園








国指定名勝。宇和島城の入口は何箇所かありますが、駅や商店街から一番離れた口から下るともう天赦園はすぐ。天赦園は宇和島藩主・伊達家の過ごした浜御殿の一部に造られた池泉回遊式の大名庭園で、完成は江戸時代後期。宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗伊達政宗の長男であり、その子孫・宗紀が政宗が詠った詩の一句より「天赦園」と名付けたそうです。
鬼ヶ城山の借景が美しく、場所によっては「現存12天守宇和島城をのぞむことも。以下は前回気付かなかった枯山水庭園部分。早い時間だったけどやっぱ素敵な庭園でした!



oniwa.garden天赦園のあとは街の東側の寺町地区へ移動。この地区に残る古庭園を巡る。ちなみに西江寺、等覚寺、明源寺のある一帯は「辰野川流域の寺町風景」として宇和島新24景に選ばれているそうです。


龍華山等覚寺庭園



立派な山門の寺院で、庭園は宇和島市指定名勝。江戸時代初期、初代藩主・伊達秀宗伊達政宗の長男)によって創建。それ以降は伊達家の菩提寺となっており、歴代藩主の墓所が県や市の史跡に指定されています。庭園は創建当時に造られたものとされ、現在では池の水は抜かれていますが書院から眺める池泉鑑賞式庭園。ソテツが植わっている雰囲気が温暖な宇和島らしい雰囲気を醸し出している。
常時公開ではないので拝観は事前連絡が無難です。
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西江寺庭園


ここは前回も来ました。愛媛県指定名勝の庭園。鎌倉時代に創建された宇和島最古の寺院で、伊達秀宗の城下町整備により現在地に移転。江戸時代初期作とされる枯山水庭園で、二方向にのぞめる借景の山々が美しい。広い芝生に築山と植栽という手法はあまり似た庭園を見ない気がします(あとは石橋も特徴的!)。
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明源寺庭園



西江寺の近くにある明源寺さんの枯山水の庭園も桃山時代〜江戸時代初期に築庭されたと推測されている、宇和島市指定名勝の庭園。西江寺のように広い芝生に特徴のある石組、そして築山と美しい山の借景。1枚目は手前に木が写っちゃってるけど、この辺りの位置から借景と築山を一緒に楽しむのが一番だったのでは…と感じました。常時公開ではないので拝観は事前連絡が無難。

あと以下はお隣の「山本内科」さんの庭園。ガラス越しに見えた庭園、素敵だし歴史ある庭園なのではという気がして。気になる!

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金剛山大隆寺



等覚寺よりも南側(山っぺり)にある寺院「金剛山大隆寺」。こちらも伊達家の菩提寺で、本堂裏?には市指定名勝の庭園があるのですが、拝観は断られてしまいました…。でも上の写真だけでも結構造園に力入れてる感は伝わってくる。

宇和島の町並み



ということで、今回はレンタサイクルができなかったので行動エリアも限られて。本当は普段行かない街はもっともっと街をめぐりたいけど今回はそれはかなわなかった――けど前回来た時多分歩いていない上記エリア(駅のちょい北側から続く飲み屋街)は夜も朝も歩いていて楽しかった。

中心商店街「きさいやロード」も10万人を切った規模の街のアーケード街としては日本屈指の大きさじゃないでしょうか。西条や新居浜の数倍も立派だし、というか宇和島の人口が10万人に満たないことが驚き。お城の規模、中心街の規模からするともっともっと大きな街の印象を受けるんだけど――さすがに四国の最西南という大都市からのアクセスの悪さを考えれば、地方の過疎の波に飲まれているということかねえ…。新居浜が20年で13万人→12万人という人口減に対して、宇和島は15年で9.5万人→7.7万人、、、。





予讃線の風景

そして予定通りの列車で宇和島を出ます。宇和島卯之町の間で見られるこの《みかん畑と宇和海の風景》、日本三大車窓に負けず劣らない位めちゃくちゃ絶景だと思うのです。

にしても乗客少ない…松山行ですらない八幡浜行。松山から宇和島までは特急で1時間半、鈍行で3時間。意外と遠い。鈍行でなく高速バスを使うと2時間ぐらいで、JRよりも安い。今回の中国〜四国の移動は福山→今治、(新居浜→)西条→松山、松山→宇和島と結構都市間バスを利用した。正直本数も列車よりも多いし時間も多少速いので助かるし便利。…そりゃJR四国も経営が難しいよね(京都でホテルを運営するって報道があったけど、そうやって関連ビジネスで収益源探すよな…という)。失われてほしくはないけれど。

伊予の大阪。八幡浜の町並み





宇和島から約1時間。八幡浜へ初めて来ました。お隣の大洲市が「伊予の小京都」ならばこちら八幡浜は良港を持ち「伊予の大阪」と呼ばれ栄えた商業都市。駅から少し歩いた場所(港方面)にかつての(現在も)中心街が残り、古い町並みや長いアーケード街が見られる。人口動向でいうと宇和島の傾向と同じでなかなかの減りっぷり、この15年で4.4万人→3.4万人…。

ただなんだろう…歩いていた印象としては、「昼間に街を歩いている人が意外と多い」。栄えているとまでは言えないのだけど、モータリゼーションに食われた地方の人通りの無い商店街って本っ当に人通り無いので。それと比べると八幡浜はまだ商店街が生きている感じ。これは市内中心部を通る道路が片側一車線で、車だと渋滞して不便というのがあるのかも。ところで上に写真載せた「大正湯」。2月に放送された『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』にも出ていた。八幡浜の街にはレトロな銭湯が似合う。





八幡浜駅から徒歩20分程の位置に九州へ渡るフェリーが出ている八幡浜港があります。そこへ向かいつつ忙しなく街歩きを…したものの、街中に残る文化財建築や三階建旅館も場所を特定できないうちにタイムアップ。ああもっと歩きたかったー…!



ということで11:45発のフェリーで愛媛を後にします。…ていうか「宇和島フェリー」の時刻表ばかり見てたけど(宇和島フェリーのこの次の便は14時台)、よくよく調べると「九四オレンジフェリー」が同じ航路で1時間後の12:45発の便があった。…それを知っていれば八幡浜をもう1時間歩いても良かったし、宇和島をもう少しゆっくり出来たかも…。で、「卯之町にも寄れたかもしれない!」とか結局迷う(ザ・優柔不断)なので、西予地方もまたいずれゆっくり来ます!八幡浜には駅・港から5km程離れた「川之江」地区にも、明治・大正の香り漂う古い町並みがあるようでそちらも気になる。

昔は新幹線・18きっぷとレンタサイクル中心だった旅も、LCCを始めとした飛行機で行く範囲が広がり、今回は都市間バス、そして前月の五島列島あたりからフェリーにも幅が広がってきた…。愛媛の西部・八幡浜と大分の南部・臼杵市を結ぶ航路。決して今後利用者が伸びる路線ではないだろうけど、、、船がリニューアルしたばかりできれいだったし、なんというか旅行者的には「心くすぐる航路」なので、頑張ってほしいなあと思うのです。佐伯・宿毛のフェリーもいつか乗りたい!

というわけで大分・臼杵編へ続きます。
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秋の庭園巡り・愛媛編③。松山編。萬翠荘庭園、翠水園、浄信寺庭園、長建寺庭園、庚申庵史跡庭園

秋の庭園巡り、愛媛編その3。この日の昼間、新居浜伊予西条編は以下。
romitou.hateblo.jpromitou.hateblo.jp松山へ来たのは2015年6月以来、2年半ぶり。ジュビロJ2時代の愛媛アウェー以来です。この時やその前年の愛媛アウェーの時にも松山の庭園を巡りましたが今回はそういった所を再訪。大洲を再訪しようか迷ってたけどもうそこまで行く時間はなさそうだったので、まだ狭い範囲で色々行ける松山を。
romitou.hateblo.jpちなみに愛媛の庭園を巡るにあたっては、愛媛県造園緑化事業協同組合の「愛媛の古庭園」というページがめちゃくちゃ参考になります。

愛媛の古庭園(中予)
http://www.ehime-zoen.com/062_2.htm

萬翠荘庭園




大正時代に建てられた迎賓施設である洋館で国の重要文化財昭和天皇などの皇族が滞在したり、敷地内に夏目漱石が暮らしたことも。松山のド街中にある施設でその存在は知っていたけど、ちゃんと見学するのは初めてでした。萬翠荘の前には洋風の庭園が広がる。
そして昼間の南岳山光明寺に続き、安藤忠雄建築「坂の雲の上ミュージアム」。

翠水園



萬翠荘を訪れようと思ったのはこの庭園を観たいと思ったから。松山地方裁判所の中庭となっている池泉鑑賞式庭園「翠水園」。元は江戸時代前期に松山藩の重臣が造ったもので、昭和年代に現在の姿に復元。
萬翠荘の敷地の一部」――という情報を見て、萬翠荘行けば見えるのかなーと思いきや、萬翠荘に向かう坂道の下にその庭園が見えて(冒頭の写真)。ダメ元で地方裁判所の受付で聞いたら、警備員監視の元で見学させてもらえました。基本的に旅行者の多い松山市、公開されたら結構訪れる人沢山居る気がする!

浄信寺庭園





レンタサイクルで道後温泉方面へ。今回温泉自体に浸かることはできなかったけど、人で賑わう道後温泉のあの雰囲気はやっぱ好きだな〜。道後温泉街の中心部からは少し北へ外れたところにある「浄信寺」。このお寺の存在は今回初めて知りました。奈良時代に創建され、江戸時代には松山藩主となった松平氏によりこの地に移転。県の史跡でもある松平氏の霊廟もある由緒ある寺院。
その庭園は、東京のホテルニューオータニも手掛けた岩城亘太郎によるもの。上に書いた「愛媛の古庭園」では「岩城氏」としか無かったので住職さんに聞いたら、岩城亘太郎さんで合っていた。普段公開されている庭園ではないので「この庭園のこと、どこで知ったんですか?見学される方、久々です」といったようなことをおっしゃられていた。なので事前に電話問合せが無難。

人の多い道後温泉がすぐの場所なのに、イノシシが出没するのか…!野崎島がイノシシで徐々に荒れていることを聞いてから、なんかイノシシ問題考えさせられる。自分ができること…たとえばイノシシ肉・ジビエを多く消費すれば、イノシシ狩りに貢献できたりしないものかな…。

長建寺庭園


浄信寺から自転車で西へ(松山は毎回レンタサイクルをしているので中心部の位置関係はなんとなく覚えた)。松山城の真北にある寺町にある長建寺には江戸末期に造られたとされる池泉鑑賞式庭園が残ります。2014年にアウェーで来た時以来、3年半ぶりの訪問で写真を撮り直す。
oniwa.garden

庚申庵史跡庭園




長建寺から南西のJR松山駅方面へ。庚申庵史跡庭園は2年半ぶり再訪。江戸時代に俳人・栗田樗堂によって造られた草庵で現在は市民の茶室などとして利用されています。愛媛県指定史跡。
oniwa.gardenこれで開園時間的にタイムアップ。松山城二之丸庭園の再訪はまた次回…自転車を返して松山の街中を少しだけ歩く。泊まれば温泉もご飯も行きたいところ色々ある好きな街ですが、今回の旅は庭園を巡るために先へ先へ…。ふと思ったことなんだけど、四国・九州をはじめ、西日本の県庁所在地…の中心街(=大体、元々の藩の中心やお城のあった場所)って基本的に海から近いところが多い。その中で松山は比較的海から遠い(市内である三津浜まで行けば港があるけれど)。あとは熊本、山口とかかな…山口は江戸の城下町である萩は海沿い。特にオチはなく「そういえば少数派の街だよな〜」と思ったというだけです。


愛媛県庭園巡りは宇和島編へ続きます。
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